第4話

「……復讐か」

 バルカロールの呟きに、アインは何も反応しなかった。ただ、目に宿る光の強さがそれを肯定していた。

「残念ながら、奴がどこにいるかは不明だ。よければ、話を聞かせてもらっても?」

 大声の騎士の問いに、アインはスッと目を閉じ、口を開いた。

「十年も前の話だ。夜ごと、各地で人馬ケノスが襲撃されているという噂が流れた。賊は、赤い髪の人族という話だった」

「確かに、カストラートは燃えるような赤い髪をしていた――」

「奴は、俺が居た部族にも現れ、名乗りを上げ、そしてその凶刃を振るった。俺は長の子だという理由で一人逃がされ、身を隠すべく山に逃れた。そこで出会った酔狂な牛人ミノスに救われ、俺は復讐を誓って修業を続けた。そして、少し前に月の導きを受け、奴を探す旅に出たのだ」

 沈黙が広がった。

 月の導き、という言い回しはトリルには理解できなかった。ただ、アインの旅の目的が復讐だということは、しっかり理解できた。 鬼神のような強さは、そのために必要なものだったのだろう。

 重苦しい空気に、喉がひりついた。トリルは潤いを求めてグラスをとった。

「――んんっ!? げほっ、ごほっ!」

 強い熱さが喉を刺激して、トリルは噴き出してしまった。弾かれたように立ち上がった父が、グラスをのぞき込む。そしてそっと口に含み、声をあげて笑った。

「これは火酒だ。トリルには、十年は早かったな。」

 涙目になりながら、トリルは父をにらんだ。後ろから、申し訳ありませんと女中が謝ってきた。どうやら、女中達も話に夢中になりすぎて、仕事を間違ってしまったらしい。ただ、そのおかげで食卓に流れていた陰鬱な空気は少し穏やかになったようだった。

 トリルにとっては不幸な事故によって食卓は明るさを取り戻し、笑顔の中で宴は閉じられた。

 初めて口に含んだ火酒に体が火照ったトリルはといえば、客室に行っても落ち着くことが出来ず、両親にことわって中庭で涼むことにした。寝間着にと渡されたローブの肌触りは心地よく、柔らかな風に相まって気持ちを安らげてくれる。

「眠れませんかな」

 中庭のベンチにいたのは、バルカロールだった。月が満ちていて明るいのに加え、あちこちに明かりが灯されているから顔がはっきり認識できた。

「はい、ええ、あの……」

 しどろもどろになるトリルに微笑み、彼は隣に座るよう促した。トリルは、座るのが失礼なのか、断るのが失礼なのか判断がつかず、間違っても小娘のことだと笑い話になるだけだろうと腹をくくり、ようやく腰を下ろした。

「何分、初めてのお酒だったものですから」

 トリルが言うと、彼はハッハッハと大きな声で笑った。夜の静けさに、よく響く声だった。

「アイン殿の話も、目の覚めるような話だったしなぁ」

 そう言って騎士は、遠くを見た。トリルは何を言えばいいのか言葉を見つけられず、ただ同じように中庭の虚空を見た。

「懐かしい名を聞いたよ。カストラート、か」

「お知り合いだったんですか」

「同輩だった。同じ釜の飯を食い、同じ教官に叱られ、同じ時間帯に寮を抜け出した仲だったよ」

 バルカロールはトリルの方を見て、穏やかに笑った。

「奴は強かった。教官ですら勝てなかった。まさに、天才だった。ただ――天才であるが故なのかな。奴はいわゆる選民思想のような考え方をもっていたよ。特に、他の種族を蔑み、低く見ていた」

「だからって、人馬ケノスを襲うなんて……」

「武者修行の旅と称して王都を出たのは、もう二十年も前のことだ。どこをさまよっているものかと、妻と話題にしたこともないではなかったが……」

「奥様、ですか?」

「ああ。妻も騎士でね、カストラートとも見知っていた。数年前に病で他界したがね」

 しまった、とトリルは失言を悔いた。食卓に姿が無かったことから、慮るべきだった。すみませんと謝ると、バルカロールはあたたかく笑った。

「実は、妻の遺言なのだよ。我々貴族の生活を支えてくれている市井の方々に、まっとうな評価と報酬を与えていける国にしていってくださいと。それは現女王アリア様の施政にも通じるゆえ、私は武具職人の皆様に直接会うことを始めたのだ」

 職人の皆様、という敬語表現に、トリルは驚きを覚えた。この人は、本当に父に対して敬意をもってくれている。嬉しい気持ちが盛り上がり、さらにお酒の勢いに乗せられて、目頭が熱くなった。

「こちらから足を運ぶようにせねばならんな、と今は思っているがね。それはともかくとして、実際に会ってみると、職人の方々というのは、実に澄んだ眼をしている。純粋な情熱を宿らせた、美しい瞳だ。お嬢さんも、お父上と同じように……」

 そこまで言って、彼はハッとした表情になった。トリルはその理由を勝手に察し、弁明のために慌てて口を開いた。

「あ――私の眼ですよね。父と違うんです。母とも違います。生まれつき、こうだったみたいで……でも、正真正銘、あのふたりの娘ですよ。わりと珍しくて、気に入ってますし」

 トリルは笑いながら言った。目の色が違うということは、つまり、実の父ではないということなのか――などと不要な気遣いをされても困る。ただ、目の色が違うというだけだ。

「虹の乙女……」

「はい?」

「君は、ノルドで生まれた。鳥の嘴の街で」

 トリルは、ひとまず頷いた。

 この大地は、鳥に例えられる。実際、「不完全ながら」と書き添えられた世界地図を見たとき、世界は翼を左右に広げた鳥のように見えた。その地図を見たことがない者でも、ノルドが鳥の嘴にあると表現されることは、みな知っている。

「嘴、虹……あとは、なんだったか」

 大声の氏らしからぬ小声のつぶやきに、トリルは首を傾げる。

「トリル嬢。明日の予定は決まっているだろうか」

「予定では王都を見学しようと話していましたが、こちらにお邪魔している時点で予定通りではなくなっているので、たぶん、まっさらだと思います」

「それは重畳だ。明日、是非、我が知己に会ってもらいたい」

 意図は分からないまま、トリルは頷いて応えた。饗応に預かり、湯浴みという贅沢までさせてもらって、相手方の要求を断れるはずもない。彼女の反応にバルカロールは満足そうに頷き、それから立ち上がった。

「それでは、私は寝るとしよう。トリル嬢も、夜風に当たりすぎて風邪など召しませんようにな」

 翌朝、トリル達はバルカロールに案内されて、同じほどに大きな屋敷に足を運んだ。

 屋敷の主人はインテルメッツォと名乗った。騎士団に並ぶ組織、宮廷魔術師団の団長なのだという。グレーの長髪を後ろに束ね、やや細面ながらも眼光鋭い風貌は、いかにも熟練の魔法使いという雰囲気だった。

「ようこそ、バルカロールのお客人方。この無骨な男のものとは違う、王都式のもてなしをさせていただきましょう」

 インテルメッツォがにやりと笑うと、バルカロールは鼻で笑って返した。そんなちょっとしたやりとりで、二人が気の置けない仲だということが伝わってきた。

「それにしても――人馬ケノス族の方にお会いするのは、幼少の頃以来です」

 アインを見て、魔術師長は言った。白の毛並みの方には初めてだと付け加えると、アインは軽く頭を下げた。

 通された応接間は広く、磨き上げられた白い石壁は美しかった。調度品の多くは白を基調としていて、バルカロールの屋敷の食堂とはちょうど対照的な雰囲気だった。

「さて、お茶が運ばれてくるまでの間、少し、おとぎ話に付き合って頂きましょうか」

 インテルメッツォが口を開いた。

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