第3話

 門番は例の手紙を受け取り、読み進め、次第に表情が変えた。

「バルカロール様の客人であらせられたか。して、その後ろの面々は――」

 父が振り向き、門番に向き直る。

「家族と御者、そして命の恩人だ。街道でオークの群れに襲われ、危うかったところを助けられた。彼が屈強な戦士であることは、見ればわかるだろう」

 アインを見上げる衛兵二人は、自覚してか知らずしてか、二歩ほど後ずさった。通ってよし、と言われたトリル達は、御者とは別れ、遠く見える王城に足を向けた。舗装された石畳、その中央通りをまっすぐ進むと、また衛兵と問答をし、いよいよくだんの氏の館へと案内された。

「まことに済まなかった!!」

 王城近くの広い屋敷の一室で、装飾の施された鎧を纏った騎士が、深々と頭を下げた。その大きな声は、広い玄関を通り越して外にまで聞こえそうだった。

「このバルカロール、一生の不覚だ。よもや、街道にオンブラが現れ、私が招いた客人が危険な目に遭うとは。やはり、こちらから伺えないからには部下を何人か寄越すべきだった」

 はげあがった近衛騎士団長は、見るからに悔しそうに歯を食いしばり、握りこぶしをつくった。ただ、トリルはバルカロールを責める気にはなれなかったし、それは両親も同様だったらしかった。

「顔を上げて下さい、バルカロール様。街道に怪物が出ることなど、ここ数年で一度もなかったことです。連中が増えてきているという噂はあれど、これを予期することなど、誰に出来ましょうか」

 母が恭しく頭を下げながら、流麗に言葉を紡ぐ。

「ましてや、主人の仕事を認めて頂き、一家で身に余る光栄を喜んでいた次第です。感謝こそすれ、他の思いはひとかけらほどもございません」

 こんなにしっかりした話し方をする母を見るのは、もしかしたら初めてかも知れないな、とトリルは聞きながら考えていた。でも、こういう所作や雰囲気を身に付けるのも、自立して生きていくためには必要になるのかもしれない。

 そもそも、母は家のどこに隠し持っていていつ着替えたのか、随分上等なスカートと、それに合うヒラヒラした上衣を纏っていた。替えがあるなら、ひとつ貸して欲しかった。

「奥方にそう言って頂き、このバルカロール、感激で胸が裂けそうですぞ。そして何より、ブッフォ殿。あなたの拵えた武具、特に長剣は素晴らしい!!」

 バルカロールは、父の手を握って上下に激しく揺さぶった。

「このバルカロール、これまでに数多の剣を振ってきたが、あれほど重心が馴染んだ剣は他になかった。ここだけの話、あなたの剣を振って以来、他の剣では違和感を覚えるほどになったよ」

 大きな声で言い、大きな声で笑う主人の様子を見守っていた執事のひとりが、何事か耳打ちをした。

「おお、そうだな。旅の疲れもあるでしょうし、こちらの不手際の償いもさせて頂きたい。この後の食事はもちろんのこと、ぜひ、今日は我が屋敷に泊まって頂こう。そうと決まれば、まずは客室にご案内いたそう」

 父と母が執事について行こうとすると、少し離れたところに下がっていたアインが振り向き、逆の方に歩を進めた。カツカツと蹄が鳴る。

「アイン?」

 トリルが声をかけても、彼は足を止めなかった。

「アイン」

 トリルは駆け足で彼の前に行き、歩みを止めさせた。

「どうしたの?」

 足を止めた戦士の、紫色の瞳が彼女を射貫く。何か、言いようのない寂しさのようなものが、その中に光って見えた気がした。

「俺は人の屋敷には合わないだろう。もはや、護衛も必要あるまいしな」

 笑って見せるアインに、トリルは違和感を覚えた。

「そなたは客人だ、アインザッツ殿」

 バルカロールの大きな声が広間に響いた。

「人族は種族によって差別しない、とは言わん。ここに来るまでに、心無い視線を向けられたことは想像に難くない。しかし、このバルカロール、人族である以上に、誇りある騎士だ。客人の恩人をないがしろにするような真似はせん。是非参られよ」

 彼の言葉に、トリルは合点した。確かに、街中でアインに注がれる視線は、決して気持ちの良いものではなかった。これが王都に住む人間か――と憤慨したが、すぐに思い直した。アインとの出会いが劇的だったゆえに勢いで親交をもったけれど、ノルドに突然人馬ケノス現れたとしたら、好奇の視線を向けずにいられただろうか。トリルに出来るのは、ここに来るまでの間、必死にアインに話しかけることくらいだった。

「しかし……」

 アインが落とした視線に、トリルは体を滑り込ませた。そして見上げて、言葉を紡ぐ。

「ひとつ教えてあげる。人族では、招待をお断りするのは失礼に当たるんだよ」

 トリルがなんとか笑顔をつくってみせると、アインもフッと笑った。そしてアインはバルカロールの方に向き直り、前足を折って膝をつき、両手を重ねて胸に当て、こうべを垂れた。

「人族の戦士バルカロール殿のご厚意、痛み入る」

 きっと、この姿勢は人馬ケノス族の、かなり高い敬意の表し方なのだろう。同じように感じたらしいバルカロール氏は、両足のかかとをピッタリ揃え、右手を胸に当てて深くお辞儀をした。

 素敵だな――という気がした。なんとなく、尊い光景だと思った。

 それからトリル達は寝泊まりするための客間を紹介され、湯浴みなどという信じられない贅沢までさせてもらった。アインは体の大きさからいって、さすがに浴槽に入ることは出来そうになかったので、全員が上がった後、父が温かいタオルで体を拭いてあげていた。二人が浴室にいる間、笑い声が何度も聞こえてきたから、どうやら二人も打ち解けたようだった。

 さっぱりした一行は食堂に通された。周りの調度品や棚の類は、黒を基調とした重厚な感じで、絵本に出てくるお城の一部屋のようだった。急ごしらえではあるのだろうが、アイン用の大きなテーブルも準備されていた。膝を折ったアインが食事をしやすいような高さだった。

 テーブルには肉が多く並べられ、魚はほとんどない。トリル達が暮らすノルドでは、割合がまったく逆だ。普段は魚が基本で、後は野菜しかない。肉はお祝い事でしか食べない。これが王都の食卓なのか、バルカロールの好みなのか、トリルには分からなかった。人馬ケノスって肉は食べるのかな――と不安をよぎったが、アインは骨付き肉を頬張っていた。

「時にアイン殿」

 ある程度食事が落ち着いたところで、館の主が口を開いた。

「そなたはまだ若そうに見えるが、数体のオークを瞬時に切り伏せたと聞く。かなりの剣の腕だ。浅学ゆえ聞きたいのだが、人馬ケノス族というのはみな、そなたのように強い戦士ばかりなのか」

 アインは食後の水を飲み込んで、首を横に振った。

「俺たちの部族には、戦士もいれば魔法使いもいた。母は、そのどちらでもなかった」

 ふむ――と頷いて、バルカロールは言葉を次ぐ。

「そなたの強さは、部族の中でどれほどだったのだね」

 問いに、アインは首を傾げ、思索しているようだった。短い沈黙が通り過ぎた後、アインは言った。

「未だ、父は超えられてはいまい」

 紫色の瞳に寂しさが宿る。それを見たトリルの胸に、いいようのない苦しさが広がる。

「バルカロール殿。俺も、貴方に聞きたいことがある」

「なんでもお答えしよう」

 豪快に笑って彼は言ったが、次のアインの言葉を聞いて表情を強張らせた。

「カストラート――という人族を探している」

 空気が張り詰めるのが、トリルにもはっきりと分かった。

「カストラート」

「ご存じか」

 二人の話の行き先を、他の者はみな固唾を呑んで見守るしかなかった。

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