第2話
呆然とするトリルのそばに、両親が駆け寄る。そして父が
「待って、お父さん。剣を下ろして。この人は、明らかに私たちを助けてくれたじゃない」
トリルはゆっくり膝を曲げ、握っていた剣を置いた。ガラン、と固い音が響く。娘に応じて、父は何も言わず、剣を腰の鞘に納めた。母もそれに倣った。
トリルは、あらためて戦士を見た。
銀色の髪が風になびき、その両目は濃い紫色が透き通っている。精悍な顔つきでこちらを見ているが、その表情から彼の感情は読み取れなかった。服装は、よくなめされた色合いの革鎧の上に、くたびれたジャケットを羽織っている。下半身といえばいいのか、馬の部分には革のベルトや鎧のようなもの、手斧や手投げ槍など物騒なものをあちこちに帯びていた。
「ありがとう、戦士殿」
父が口を開いた。
「あなたのおかげで命を拾った。家族を代表して、深く感謝を申し上げる」
父が深々と頭を下げ、母がそれに続いた。トリルも、あわててそれに続いた。
「人族の家長、顔を上げられよ」
戦士が言った。
「俺は偶然居合わせた畜生どもを影に戻しただけのこと」
影に戻した、という表現を聞いて、トリルはハッとしてオークたちの死体を見た。いや、正確には死体があったところを見た。
「結果的に貴方達が救われたとて、それを恩に感じる必要はない。恩に着せるつもりもない」
巨大な剣の刀身を大きな布で拭きながら、戦士は言った。明らかに手慣れている。戦いが終わって安心した様子もないし、肩で息をしている風でもない。たまたまそこに居たから斬った、そんな感じだった。一緒に居てくれたら心強い――トリルは閃いて、一歩進んで言葉を紡いだ。
「そういうわけにはいきません。どうか、命を救っていただいたお礼を受け取ってはいただけませんか」
戦士がトリルを見下ろす――とはいっても、本人には見下ろすつもりはなくとも、結果的にそうなってしまっていた。馬車の上に立っているとはいえ、小柄なトリルからすると、彼はかなり上背があった。
「ただ、私たちは街道を南下し、王都で仕事を為す予定です。着いて来ていただき、その地でお礼をさせてはいただけないでしょうか」
彼女の言葉を聞いて、戦士はふっと笑った。さっきまでの無感情な表情とはうってかわって、優し気な笑み。
「その間は、俺が護衛になるということだな」
トリルはニッと笑って戦士の紫色の目を見た。
「いいだろう。
戦士の言葉に、トリルは満足感を覚えた。なんとなく、信頼に足る人物だと感じた。種族が違うという歴然たる事実は、自分でも驚くほど気にならなかった。
「それに、貴方達と共に王都へ入れるとなれば、それこそ何よりの報酬となる。何分、都に入ろうとして門前払いを食って北に向かっていた身なのでな。ゆえに、あらためての金品は辞退させていただこう」
こうしてトリル達一家は、心強い同行者を加えてあらためて王都へ向かうことになった。ただ、幌が壊された以上に、車を引いていた二頭の馬が殺されてしまっていたため、トリル達は持参した武具を手分けして持っていく羽目になってしまった。
「あの方に、馬車を引いてもらってはどうかしら」
「駄目だよ、それは」
母の発言を、トリルはすべて言い切る前に制した。
「
「お嬢ちゃん、もしかして種族学だとか歴史学だとかに詳しいのかい」
御者が、小声で言った。
詳しいわけではなかった。そもそも、これまでに読んだ本の中で、
「なんとなく、彼は誇り高い人だという気がして」
俺もいくつか持とう、と申し出てくれた分については甘えさせてもらい、それ以外は御者の協力もあってどうにか背負い、街道を進み始めた。
トリルは戦士の隣を歩いた。横に並んで話そうとすると、トリルは随分首を傾けなければならなかったが、話しかけると彼は快く応じてくれ、たくさんのことを話した。
彼の名前がアインザッツであるということ。彼を呼ぶときはアインでよいということ――これについてはトリルからも、自分を呼ぶときは名前そのままでいいと伝えた。彼はトリルよりも三つ年上だということ。
深刻な話もあるにはあったが、アインは淡々と話をした。それが
「そういえば」
途中、アインが振り返って、あらためてトリルに向き直って言った。
「トリル達は、俺に車を引いてくれとは言わなかったな」
「なんとなく、失礼になりそうだなと思ったの。
そう言ったトリルの頭に、アインの大きな手が乗っかった。
「ありがとう、トリル。それは絶対的に正しいことだ。俺達
紫色の瞳に優しく見つめられ、トリルは小さな胸の高鳴りを覚えた。ただ、いかにも子供扱いされているような気がして、生来の負けず嫌いが頭をもたげた。
「それじゃあ、私も人族のしきたりをひとつ教えてあげようかな」
トリルは頭の上に乗せられた大きな手をポンポンと優しくたたき、言葉を次ぐ。
「頭の上に手を乗せるのは、子供扱い。年頃のレディには、しない方がいいよ」
驚いてパッと手を離し、「これは申し訳ない」と顔を赤くするアインを見て、トリルはまた胸の鼓動が早くなったのを感じた。
「見えてきたな」
御者が口を開いた。遠目に、外敵の侵入を拒んでそびえる石壁が見える。ノルドの街のものよりも、幾分高いように見えた。
「アインくんのことは、私から話そう」
父が言った。
「命の恩人だからな」
無骨で無口ながら、きちんと筋を通す父がトリルは好きだった。
「止まれ」
門の衛兵ふたりが、互いに槍を交差させて壁をつくった。
「何者か。手形はあるか」
いかにも高圧的な声の出し方に、トリルは表情を憮然とさせた。それに気づいた母が、肘で娘の脇腹を小突いた。
「私はノルドの職人ブッフォ。この手紙を読んで頂きたい」
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