7・群れ
わずかな夕陽のなごりは天空の果てへ、揮発するように退いていった。
入れ替わりに環状の地平から巨大な闇がいくつも立ち上がる。
地平を囲繞した闇はさらに深く溶暗し、またたくまにただひとつの夜となった。そしてすべてを閉ざした霧が、夜闇の色に染め上げられてゆく。
16号西側に立ちならぶ廃倉庫群は陸屋根の堅固な輪郭が曖昧になって、やがて眠りに没するように霧に呑まれていった。
ほぼ同時にいまはもう遠い阿子川の対岸に、ぽつぽつと街灯りがともった。
最低限の電力で維持されるごくささやかな文明の光だった。
駅前広場の向こう側の評議会本部とその周辺の政務エリアにともった灯りを浴び、放置されたままになっている
〝 霧の時代 〟がくる前とその後を通して
時折あちらこちらで霧に小さな渦が生ずると、朧なかがやきは漁火のようにゆれて瞬いた。
♮
かつて夜空をいろどっていた星あかりのような街の灯をあび、こちらに向き直った少女の前歯がそこだけ闇の中でちかり、と光った。それで少女が笑ってることがわかった。
――それじゃあさ。
少女は悪戯っぽい仕草で小首をかしげた。
――先生この霧、厚さが通信衛星の飛んでる高さまで届いてるって話は聞いたことある?
――あちこちに霧があらわれ始めたころ、そんな話がネットで話題になってたね。
――だからこの霧ほんとは霧じゃなくて雲で、“ C ” はクラウドの “ C ” のなんだって。雲が電波を遮断してるからネットもだめになっちゃったのかな?
――さあ。それはどうかな?
斉木もまた落ち着きを取り戻していた。
もしかしたら自分もこの霧のなかを、ひとり生きてゆくことができるかもしれない ――
ようやくそんなことを考えられるようになっていた。
――もしも衛星軌道まで届いてるならこの霧は大気圏のはるか上まで、宇宙空間まで続いてることになる。そうなると当然この霧は君が学校で習ったような水滴のあつまりじゃない。水は電波をさえぎらないしね。
それにもし本当に君のいうとおりなら、正体が何にせよこの霧は厚さが地球の半径くらいあるってことになる。
それにしては大気が汚染された気配もなかったし、不思議なくらい気象にも変化は現れなかった。そんな正体不明の巨大な気体の固まりに突然覆われたのなら、ぼくたち人類はおろか地球上の全生物が絶滅したとしてもなんの不思議もなかったのに、だよ。
この霧はぼくらの目に見えてはいるけれども、おそらく本当は存在さえしていないはずなんだ。
――なによ先生。霧のことなんか考えたこともない、とか言って!
そう言って少女ははじめて声に出してわらった。
笑い声は休憩所に大きく響き、それが生んだ反響で屋根がうすい金属の板からできているのがはじめて分かった。
――さあ。もう行こうよ。ずいぶんと長居をしてしまった。
斉木もようやく相好を崩しかけたが、つぎの瞬間言葉を切って少女と顔を見あわせた。
車はおろか人の往来さえ絶えて久しい自動車道路を、激しく路面を蹴りたてながらやってくる一群のものたちがあった。
闇の中にけたたましくさけぶ声が交錯する
――まずいな。
斉木は素早く立ち上がって、ベンチととなり合ったプレハブの門衛所のドアノブを廻そうとした。鍵がかかっている。窓もあかない。
コンクリートの舗石をける軽く荒々しい足音が入り乱れ、それらは旧16号線になだれ込んできた。
野犬たちだった。
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