太陽の音を忘れない

Siren

太陽の音を忘れない

 それは限りなく太陽に近い。

 いつも中心にいて,それがないと世界は回らない。

 でも,いることを認識することは少なくて,いつもそばで支え続ける。


 ああ,近づけない。近づくほどにこの身は焼かれてしまうから。

 苦しくて苦しくてたまらない。

 ________


 7月半ば,冷房がガンガンに効いた音楽室は音で溢れかえる。人の声なんかよりも,もっと大きくてずっと重要な音がこの部屋には響き続けているのだ。その中でも異質な音が1つ紛れている。カサリと乾いていて,パリッっと張りがある。この部屋にいれば,いやこのフロアにいればどこまでも響くであろう突き抜けた響き。すべてをかき消すたった一打。


 かすかに聞こえた手を鳴らす音で全員の音が波打つように消えた。


「合奏始めます。初めから。」


 指揮者のその声に生徒は自分の楽器を構えなおす。もちろん,立奏の打楽器奏者たちも各々の構えを取った。宙に描かれ始めた線を合図に息を吸う音がそろう。

 音楽が始まる。


 音楽の中でその音は鼓動だ。音楽を動かし続ける心臓になる。常に響いているわけではない。しかし,それは確かに鼓動で,曲には必要不可欠なのだ。

 その音を鳴らすのはたった2本の細いスティック。腕よりも細く脆い。奏者は細い指をスティックにまとわせ,まるで腕の一部のように振り続ける。時に弱く,時には強く響かせるが,鼓動は乱れない。

 1人ティンパニに囲まれた岸弓香は,その音に強烈な憧れを抱きながら自分のマレットを動かし続けた。

 ______


「このみちゃん。今日もびっくりするくらい正確だったね。」

「今年のスネア,速さで注意されてるの見たことないもん。」

「中3なのにすごいよね。」


 そんな声が聞こえるその日の終わり。話題のスネアドラム奏者,日高このみはそんな声など聞こえていないのか,クロスで打面を拭き上げ,鍵盤楽器で待つ先輩へと手渡していた。


「弓香。拭き終わった?」


 いつの間にこのみはティンパニのカバーをその腕に抱え,弓香の目の前に立っている。


「あ,うん。大きいのは私やるから,小さいほうお願いできる?」


 了解。とこのみは大きいカバーを弓香の足元に立てかけると,残りを抱えたまま反対へと向かってしまう。


 同じ学年,同じ経験年数。なのに,なのに,なぜこんなに違うのか。


 弓香は自身の手を見つめ,そっとカバーをつかんだ。

 ______


 昼休みの音楽準備室にメトロノームと練習台を打つ音が響く。弓香は自覚していた。自分がリズムを一定の速さで叩くことが苦手なことを。

 それに気が付いた中1の冬から,毎日欠かさず,基礎練習を長くとっている。時には昔のマーチの楽譜などを借り,練習することもあった。


 人一倍苦手なら,人一倍練習すればいい。きっと追いつける。


 そう信じやってきた1年とちょっとは,3月に報われなかったことを知った。


「スネアは,このみちゃんやろうか。もう,中3だもんね。いけるよ。」


 高2の先輩によって,コンクール曲のスネアの楽譜は,いとも簡単にこのみの手に渡る。弓香の手元にやってきたのはティンパニの楽譜だった。


 ティンパニは得意だった。音を変えるのも,強弱をつけるのもやればやるほどうまくなるのが自分でもわかっていた。得意だから好きになった。

 それでもスネアは憧れだったのだ。

 初めて聞いた吹奏楽部の演奏。曲目なんて覚えていなくても,中心のスネアの音が輝いていたことは覚えている。そんな演奏がしたくて,そんな音を出したくて,打楽器を志望し,練習してきた。


 このみの第一志望はトランペットだった。でもやはり花形。志望者も多く,中1の初心者では勝ち目がなかった。

 いや,指揮者は見抜いていたのかもしれない。このみは正確なリズムを刻み続けることが得意なことを。


 これは才能の差なのか。埋められはしないのか。自分にはできないのかもしれない。


 そんなことに気が付きつつも,弓香は練習を続ける。

 才能の差を埋められるように。苦しさを吐き出すように。

 _______


コンクール本番の朝。早く目覚めた弓香はいつもより30分早く部室にたどり着いた。出番は夕方のため,楽器はまだ部室で眠っている。

 職員室に鍵を取りに行けば,すでに渡したといわれ,先輩でも来ているのかとそっと扉を開ける。


「おはようございます。」


 おはようございます。そうかえってきた声は少し遠くから届く。不思議に思った弓香が歩を進めようとしたとき,打楽器群の影から顔を出したのは,このみだった。


「いつも遅いのに。今日早いじゃん。」


 驚きつつも鞄を置きながらそう声をかけると,このみからは意外な答えが返ってきた。


「ちゃんとできるか不安だったから,早めに来て練習しようと思って。」


 早く着きすぎて,音が出せる時間まで待ってたの。そうはにかむ。

 そうなんだ。と弓香は落ち着いた声を返したが,内心では,『あんなに正確に叩いていて,指揮に指摘されたのも片手で数えるほどしかないのに,不安になるのか。』なんていう疑問が渦を巻く。そんな小さな会話のうちに,時計の針は練習可能な時間を指し始める。


このみの細い指は握られていたスティックをそっと抱えなおし,そして柔らかく弧を描いて打面へと落ちた。


タン.タン,タ,タ,タ


たった1本のスティックの一振り。それが音のない空間に際立って響く。他のどの楽器とも違う,軽くてハリのある乾いた音。


弓香もカバーを外したティンパニを叩いてみる。重くゆったりとした,でもほわりと暖かい音がした。

_______


舞台の上でやはりその音は輝いている。後ろにいる弓香すら突き動かすスネアドラムの鼓動。中心となるにはあまりにも小さなその楽器は,たった一台で何十もの楽器の先頭に躍り出る。


このみの腕は正確なリズムを刻み続ける。それはロボットのような無慈悲なものではない。音に合わせて表情を変えていく。それでも動きを止めない。

まさに心臓。


いつもの何十倍もの光の中で輝くこのみのスネアは,影を作ったティンパニの裏にいる弓香を照らし続けた。

________


やはりその音は限りなく太陽に近い。

刺すような鋭さも包み込むような柔らかさも秘めている。

中心で鼓動を刻み続けるそれがないと,音楽は進まない。

正確なリズムは,しっくりとはまる表現は,常に曲の一部となりながら世界おんがくを動かす。


その音に焦がされて,苦しくて苦しくて仕方がない。

近づけば近づくほどに,私には「その音」が出せないことを照らされる。

それは,忘れたくても忘れられない,忘れてはいけない太陽の音。























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