第22話 レイラちゃん 2/2★

 ——その日は急遽、午後の授業がなくなりました。


 先生の説明では、うさぎを殺したのは校内に侵入した不審者の可能性があるから、とのことでした。


 ちなみにこれは噂でしかないのですが、飼育小屋にはきちんと鍵がかかっていたそうです。猫や蛇が侵入できるような穴もあいておらず、犯人は生徒の誰かじゃないか……みたいな話で盛り上がる声も聞こえてきました。


「怖いよねー」なんて人ごとのように噂しながら荷物をまとめる同級生を尻目に、私はブルブル震えていました。


 ズタズタに切られた本の残骸。首から血を流して死んでいたうさぎ。

 

 まさか、そんな。


 震える手で私は机の中のテキストを取り出しました。

 するとその一冊の裏表紙に、クレヨンの線がありました。




 Car please

 

 車をちょうだい




 赤い文字のメッセージが見え、尋常じゃない汗が私の手に吹き出しました。


 唾を飲み込み、悲鳴を噛み殺し、テキストを引っ張り出します。

 そこにはノート半分くらいの背丈で描かれたレイラちゃんの姿がありました。

 

 また大きくなっている……一瞬、そう思いました。 

 しかしじっと正面の私を見つめているレイラちゃんを見て、私はもう一つの仮説に思い当たりました。



 

 大きくなっているんじゃない。

 この子はこっちに近づいてきている。




 そう思い至った直後……私は口を押さえ、トイレの個室に駆け込みました。


 胃の中のものをひとしきり吐き出した私は、手にしたままだったテキストにもう一度視線を落としました。


 “車をちょうだい“


 肩で息をしながら胸ポケットからペンを取り出し、私はレイラちゃんの横に車の絵を描き殴りました。


 レイラちゃんの落書きにはおそらくルールがある。

 

 レイラちゃんの要求を断れば、それが壊される。本とうさぎの傾向から直感的にそう考えたのです。

 

 だったら要求されたものの絵を描き込めばそれで解決かと言われたら、そうじゃないことはわかっていました。だって最初に気まぐれでアメの絵を描いた後も、レイラちゃんの要求は続いたのですから。


 とはいえ従わなければ、身近な車が被害に遭うことは推測できました。これまでのように切りつけられるのか、あるいは爆発、交通事故……。悪い想像をしだせばキリがありません。


 私は急いで教室に戻ると、友達の呼び止める声も聞かず家に向かって走りました。


 家にはパートから戻ったばかりのお母さんがいて、「あれ、授業はどうしたの?」と尋ねてきました。

 朝の様子で早退でもしてきたのかと思ったようですが、私はつとめて普段通りに「不審者がいるかもしれないからって午後の授業がなくなったの」と正直に答えました。


 それから母とリビングでテレビを見て過ごしました。

 ドラマの感想を呟く母の話に相槌を打ちながらも、私は車のことで頭がいっぱいでした。


 うちの車は二台あります。一台は駐車場に停めてある軽自動車。もう一台はお父さんが通勤のために使っているワンボックスです。


 帰ってきた時に見た駐車場の車は無事でした。あとはお父さんが帰ってきてくれれば、ひとまず今日のところは安心することができます。

  

 レイラちゃんの要求は車。私はその絵を描き込みました。

 これで大丈夫のはず——。

 

 それからドラマを見終わり、お母さんが夕食の支度を始めようとした時のことでした。

 家の固定電話が突然鳴り始めました。

 

 私への用事が家の電話に入ることはないので、いつものようにお母さんが電話をとりました。


 すると。


「え? 車が……盗まれた?」


 唖然とした声でお母さんは呟き、驚いた顔を私に向けました。






 おそらくお父さんからの電話を受けている母を尻目に、私は急いで自分の部屋へと走りました。


 そしてカバンの中身を全てひっくり返すと、本の間に、数日前に買ったキャンディの袋が挟まっているのを見つけました。


 中は包み紙のゴミでいっぱい。

 まだ残っていたはずのアメは全てなくなっていました。


 その時、私はレイラちゃんのもう一つのルールを知った気がしました。


 要求を無視すれば壊される。

 

 そして要求の絵を描き込んだ場合は……それが手元からなくなる。


 描かなかった本とうさぎは切られていた。

 描き込んだアメと車はなくなった。

 そうとしか考えられません。


 私はおそるおそるテキストを手に取り、再びレイラちゃんの絵を見ました。


 レイラちゃんの絵はそのまま。

 しかしそのメッセージは変わっていました。




 Your treasure please

 

 あなたの宝物をちょうだい




 ——いろんな感情がごちゃ混ぜになった涙が、私の頬を伝っていくのを感じました。


 レイラちゃんの要求は、私の

 その文字を見て浮かんだのは、家族や友達、好きな人の顔でした。

 

 失っていいものなど一つもありません。失いたくないから宝物なのです。

 

 けれどレイラちゃんの要求を無視することはできません。無視すれば壊される。

 しかし応じることもできません。応じればそれを奪われてしまうのですから。


 でも、とにかく何か描かなきゃ……。そう思って私はベッドに埋めていた顔を上げました。


 レイラちゃんの要求に解決策はありません。でも、とにかく時間を稼ぐべきだと考えたのです。ひとまず何か描けばレイラちゃんの要求は更新されるはず。

 

 今までの傾向からそう考えた私は、急いでペンをとりました。どれだけの時間が経過したらレイラちゃんに“要求を無視した”とみなされるのか、わかったものではありません。


 描いたのは部屋に飾ってあるぬいぐるみでした。小さい頃に旅先のお土産で買った、くまのぬいぐるみ。思い出もあって捨てにくいからというのもあり、ずっと棚に置いてあったのです。


 絵を書くのに少しのためらいはありました。しかし万が一にも替えのきかないものを奪われるわけにはいきません。


 ——ペン先を紙面から離した時、階下からお母さんの声が聞こえてきました。

 職場に停めていたはずの車がなくなっていて、お父さんを迎えにいく事になったそうです。一緒に行くかと聞かれましたが、私は家で留守番していると答えました。


 階段の上からの会話が終わり、私はため息を吐きながら部屋に戻りました。

 もう疲れた——私は力なく部屋のドアノブを回しました。


 中ではお腹の裂かれたぬいぐるみが転がっていました。


 ついさっき描いたくまのぬいぐるみ。それだけではありません。棚に飾ってあったもの、クロゼットにしまってあったものも合わせて、全てのぬいぐるみが腹を縦に裂かれて床に放り投げられていたのです。


 そしてノートにはこう書かれていました。


 

 Liar


 嘘つき



 そばに描かれたレイラちゃんはとても近くて……今にも紙面からとび出してくるようでした。


 表情もいつもの笑顔ではなく無表情。


 イラストの周囲は「Liar(嘘つき)」の文字で真っ赤に埋め尽くされています。


 そしてテキストの反対側の表紙には、太い文字でこのように書かれていました。





 

 You or Friend please


 あなたか、友達をちょうだい。






 ——きっと、もう逃げられない。

 

 私は小学校の頃に使っていたクレヨンの箱を、机の奥から引っ張り出しました。


 そして髪の長い女の子の絵を描きました。



 

 明日、消えるのは誰になるのだろう。

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