第23話 奇箱 1/2

 私がリサイクルショップでアルバイトをしていた時の話です。


 お客さんから奇妙な箱が持ち込まれました。


 壁面に墨の文字で何かが書かれていて、蓋を紐で縛ってある木箱でした。


 お客さんの記入した品目の欄には、美術品と記入されていました。


 美術品となれば箱の状態も影響します。なので私は赤と黒の組紐くみひもを慎重にほどき、蓋を開けました。


 中には筆で書かれた手紙のようなものが、三つ折りの状態で収められていました。


 文字を崩しているせいなのか、そもそもかなり古い文字のせいなのか。

 何が書かれているのか私にはさっぱりわかりませんでした。

 

 誰か有名な人が書いたものなのでしょうか。

 

 そう思ってインターネットの画像検索をかけると、似たようなものはヒットするのですが、この紙がなんなのかはさっぱりでした。


 分からないものの査定はできません。査定用紙に“買取不可”のハンコを押そうとしていたその時でした。


 今日は出勤しないはずの店長が、たまたま店に顔を出したのです。


 私が箱の蓋を閉めようとしたのをみて、店長は「ちょっと見せて」と箱を手に取りました。


 店長は虫眼鏡で紙を観察したり、箱に触ったりしながら、これが何かは分からないものの、少なくともこの紙と箱は相当古いものだと言いました。


「美術品としての価値は分からないけど、ひとまず買い取って調べてみよう」


 店長がそう言うので、私は形だけの状態確認を済ませてカウンターに戻りました。


 ひとまず査定額は様子見の150円。査定額を伝えると、お客さんは「その額でいいです。引き取ってください」と食い気味に返事をしました。


 承諾のサインを書いた時、お客さんは喜んでいると言うよりも、ホッとしているように見えました。


 帰っていくお客さんの背中を見送ると、私はカウンターに残された箱に視線を戻しました。


 正体の分からない紙の収められた、奇妙な木箱。


 理由はわかりません。けれどなんだか嫌な予感がしました。


 ただその時は……そんな予感が現実のものになるとも知らず、私はその箱をバックヤードに運び入れました。



 

 


 例の紙と木箱は、買い取った当日に店長が自宅に持ち帰りました。


 値打ちがあるのかはひとまず置いておき、これがどういうものなのか、興味を持っているようでした。


 買い取った時こそ不気味だなと感じた私ですが、しばらくモノが店から離れていたこともあり、二日も経つとすっかり木箱のことなど忘れていました。


 それから三日が経ちました。


 夜中にもう一人のバイト仲間と閉店作業をしていると、久しぶりに店長が店に姿を見せたのです。


 店長は真っ青な顔で私たちに駆け寄ると、「僕がいいと言うまで、誰も店に入れないでくれ」と言い残し、資料庫に閉じこもってしまいました。


 どう考えても様子が普通じゃありません。私たちは顔を見合わせ、そっと店の外を覗きました。


 もしかして誰かに追われてたとか? そう思って薄暗い店先で目を凝らしましたが、人影は見当たりません。


 一体何があったのでしょう。私たちは店長に尋ねようと資材庫の扉を見ました。


 その時です。


 店内に水音のようなものが響きました。


 べちゃべちゃ? ぴちゃぴちゃ? 分からないですけど、そんな感じの音だったと思います。


 トイレや休憩室には水道が通っていますが、私たちのいる受付カウンターに水の出る場所はありません。


 私ともう一人のバイト仲間は、視線を泳がせながら店内を見渡しました。

 音は確実に店内のどこかから聞こえているのですが、それがどこか分からない。

 

 というよりも、音が移動しているような気がしたのです。まるで足音のように。


 怖くなってきた私は「ねえ、私たちも隠れた方がいいかな」ってバイト仲間に言いました。


 するとその子は目を見開いたまま、資料室の扉を指していました。



 

 扉の隙間から黒い液体が漏れていました。


 墨のような……いや、もっとはっきりとした黒だったと思います。

 この世の黒いものを色々混ぜて煮詰めたようなドロっとした液体が、扉と床の隙間でコポコポと音をたてているのです。

 

 そしてその液体は、部屋に傾斜がないにも関わらず、ゆっくりと私たちの方に向かってきていました。


 

 

 あまりの異質な光景を前に、私たちは叫び声を上げながら店の外に逃げ出しました。


 店長の心配は頭の片隅にありましたが、とても扉に近寄る勇気はありませんでした。


 逃げ出した私たちが店から100メートルくらい離れた路上で震えていると、「どうかしましたか」って男性の二人組が声をかけてきました。


 あまりのショックでろくな説明もできなかった私たちですが、「店の中が」とか「店長が」とか断片的に何かを話したのを覚えています。


 その説明に、二人組の男性は最初、強盗か何かだと思ったそうです。けど腕っぷしに自信があったのか、二人は店の場所を聞いて走っていきました。


 私たちはというと、なぜか路上に残るのが怖くてその後をついて走りました。けど店に入るのは怖くて、店の前で男性二人がドアを蹴破るのを遠巻きに見ていました。


 ドアを壊す音が聞こえた直後、男性が短い悲鳴をあげたのが聞こえました。


 それから「警察……いや救急車……!」という叫び声と共に、携帯に耳を当てた男性が私たちの元に走ってきました。

 



 


 私たちは何が起きたかも分からないまま、慌ただしく動く救急隊員の様子を見ていました。


 救急車に担架が乗せられる姿が一瞬だけ見えたのですが、白い布の担架から、黒い液体がしたたり落ちているのが見えました。


 その数分後には数台のパトカーが現れ、私たちは車内で事情を尋ねられました。


 事情と言っても、私たちにも何が起きたかなんてさっぱりわかっていません。なので見たことをそのまま話すのが精一杯でした。


 話が終わると私とバイト仲間はすぐに解放されました。その子は「店長……無事だといいね」と私に言いましたが、私は頷いて返すことができませんでした。


 たぶん店長はもう死んでいる。

 パトカーを見たせいなのかもしれませんが、直感的にそう感じたのです。


 翌日、再び警察から事情を聞かせてほしいと言われ、予感は確信に変わりました。


 警察からはいろいろなことを聞かれました。まず店長が店に現れた時の様子を聞かせてほしいということ。不審な人物は見かけなかったかということ。私とバイトの子を疑っているわけではないこと。


 しかしそんな中で一番わけがわからなかったのは、「あの部屋で、溺れるような原因になるものに心当たりはありますか」という質問でした。


 あの部屋はただの資材庫です。買取品や備品の保管をしているだけの部屋で、蛇口の一つもありません。



 

 そんな何もない部屋で、店長は溺死できししてしまったらしいのです。


 見つかった店長の胃や肺の中は、真っ黒な液体でいっぱいになっていたとのこと。


 


 そんな説明と共に見せられた現場の写真は確かに濡れていました。


 しかしただ濡れているのではなく、真っ黒な液体が床一面に広がっていたのです。


 バケツの5杯や6杯をひっくり返したくらいじゃこうはならない……写真だけを見ても、その場所で何か普通じゃないことが起きたのは想像がつきました。


 その写真があの夜のことをフラッシュバックさせたのでしょうか。警察の前にもかかわらず、私は悲鳴を飲み込むことができませんでした。

 

 扉から漏れた液体が、自分の足元に向かって流れてくる。


 あの夜の光景は、私の命を奪おうとする何かが這い寄ってきていたのだと思えました。


 私が怯え始めたのを見てか、警察からそれ以上の聴取はありませんでした。


 たださっきの「あの部屋で溺れるような原因になるものに心当たりはないか」という質問については、心当たりがなかったのは事実です。


 その時は、ですが。


 


 店長の死があの箱と結びついたのは、その翌日のことでした。


 亡くなった店長の自宅が、火事で焼け落ちたのです。

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