第24話 奇箱 2/2

 火事のことは、一番古株のバイトさんから連絡があって知りました。


 自宅には店長の奥さんが一人でいて、今は病院で入院している。すでに入っているシフトの件は申し訳ないが、退院できるまで店は閉店させてほしい。そんな内容でした。


 店長の奥さんはとてもいい人でした。店に顔を出しては私たちバイトに差し入れをくれたり、「困ったことがあったらいつでも言ってね、私が旦那てんちょうにクレーム入れてあげるから」なんて言って、気遣ってくれる人でした。


 いてもたってもいられず、私は店長の奥さんが入院している病室を訪ねました。


 奥さんは個室のベッドで横たわっていましたが、私の姿を見ると、むしろ私を気遣うような笑顔を見せました。


 火事に巻き込まれた奥さんは、両足に火傷を負っていました。旦那さんが亡くなった直後にこんな事故が起きて、私は「立て続けにこんなご不幸が……本当になんて言っていいか」みたいなことを言った記憶があります。


 すると奥さんはぽつりと呟きました。


「私が燃やそうとしたの。あの箱を」


 ——え?


 そう私が返す間もなく、奥さんは体を震わせながら続けました。


「旦那が亡くなったのはあの箱のせいなの。

 あの箱がきてからおかしくなった。あの箱が……っ!」


 頭を抱えて泣き出した奥さんに、私は「大丈夫です、大丈夫です!」となんとかなだめるつもりの声をかけました。


 その時に奥さんが口にしたことをまとめると、どうも奥さんはあの箱を燃やそうとして火事に巻き込まれたそうなのです。


 店長が箱(奥さんは中身を知らなかったそうです)を持ってきてから、家では説明のつかない現象が頻発。店長はいつも何かに怯えている様子でした。


 そして先日、店長が奇妙な死に方をして奥さんは確信を持ったそうです。


 あの箱はものすごく危険なものだと。


 すぐに奥さんは、箱を捨てることを決めました。

 しかしどうやっても捨てることができなかった……奥さんはそういう表現をしました。


 どういう意味かがちょっとわかりませんでしたが、とにかく箱を捨てられなかったために、燃やして処分することを試みたそうです。


 その時の様子を奥さんはこのように話しました。


「箱に火を近づけたら、蓋の隙間から急に変な液体が溢れてきて……それに炎が引火したの。


 庭から避難する間もなかった。信じられないくらいあっという間だったの。


 気づいたら、両足と家が燃えていたわ」


 そこまで口にして、奥さんは泣き出しました。


 どんなに怖い思いをしたか。理不尽な思いをしたか。

 その涙が全てを物語っているようでした。

 

 その時、私は奥さんにこんな思いをさせたあの箱が許せなくなりました。


 できるならこの手で叩き壊してやりたい。そう思いました。


 箱はまだ家の焼け跡にあるのでしょうか。私は奥さんにお見舞いの品と挨拶を残し、その足で火事の現場へと向かいました。


 燃え残った石柱には、“keep out“と書かれたテープがかかっていました。しかし警察の姿はなかったので、私はテープの網をくぐって敷地に足を踏み入れました。


 奥さんが火をつけようとしたのは庭だったはず。私はおそらく灰で真っ黒になった庭を探索しました。しかしそれらしいものはどこにも見当たりません。


 警察に回収されたのでしょうか。それとも、燃えてなくなってしまった?


 私は振り上げた拳をどうしていいか分からないような気分になりました。


 しかし燃えてなくなったのなら、奥さんはあの箱に勝ったのだ。そしてもう同じ不幸が繰り返されることもない。


 だから、これでよかったんだ。私はそう言い聞かせるようにして家路につきました。


 そして、今日はご飯食べずに早く眠ろう……そんなことを考えながら、自分の部屋のドアを開けました。



 

 テーブルの上には箱がありました。

 

 壁面に墨の文字で何かが書かれていて、蓋を紐で縛ってある木箱。




 奥さんが火をつけたはずのソレは、焦げ目ひとつない状態のまま、私のもとに現れたのです。








「——お恥ずかしい話ですが、私は怖くなりました」

 

 私は目をぎゅっと閉じて、自分の正直な気持ちを絞り出しました。


「奥さんの仇を取りたい……そんな気持ちがあったはずなのに。いざ矛先が自分に来たら、私はいてもたってもいられませんでした。


 ……。箱がどうして私の家にあったのかはわかりません。


 でも箱を見た時、って言われているような気がして。


 それで、それで……」

 

 話しながら、自分の話が支離滅裂だという自覚はありました。


 けれどそんな話を、若い神主さんは静かに頷きながら聞いてくれました。


 ——あの後。

 私は箱を手にしてすぐに、この神社へとやってきました。


 幼い頃におばあちゃんたちの集まりに出た時、幽霊やら物の怪のたぐいはこの神社に相談するのが良い……そんな話を耳にしたことがあったからです。


 突然押しかけたせいなのか、昔からやっている神主さんは不在のようでした。


 しかしその息子さんの、若い神主さんが通してくださり、こうして話を聞いてくれたのです。


 若い神主さんは私の様子が少し落ち着いたのを見計らい、「別室で箱を覗かせていただきました」と切り出しました。


「あなたの周りに起きた不可解な現象は、持ち込まれたものが原因で間違いありません。


 正体はわかりませんが、あの紙からは極めて強い怨念を感じます。


 箱の方は、むしろそれを抑えるためのものしょう。

 ある地方では、これを“奇箱きばこ“などと呼んでいます」


 紙の正体は分からない。しかし箱の方は何度か似たようなものを見たことがあると神主さんは言いました。


 “怪奇を封じ込める箱“……そんな意味合いを由来として名付けられたこの奇箱は、本来、中に収めたものの力を抑えるためのもの。並の呪物であれば、時間をかけて中に収められた悪いものを浄化できるはずなのだそうです。


 若い神主さんは、とてもよくできた奇箱だと評価しました。おそらくちゃんとした神木を使い、呪文も書かれている。しかし中の紙が、それを凌駕する性質のものなのだろうと言いました。


 そして、この先の話は調べてみないとわかりませんが……。

 そう断りを入れて、若い神主さんは続けました。


「お祓いを……ということでお越しくださいましたが、それで解決するのは不可能だと思います。


 無理に祓おうとすれば、何人犠牲になるか想像もつかない代物。


 かなり面倒ではありますが、時間をかけて浄化させる方向に持っていくしかないような気がします」

 

 店長さんの奥さんやあなた、それと私が助かるためには。

 そう言って若い神主さんは苦笑いをしました。


 その発言から、彼を巻き込んでしまったことを悟った私ですが、それよりも“助かる”という言葉が聞けたことに安堵しました。


 それから「お祓いができなくても、祟りはなくせるのですか」と私が尋ねると、若い神主さんは頷きました。


「怨念とは簡単に言えば心残りです。それが解決すれば悪いものは消え去ります」


「心残り?」


「あの紙はメモのたぐいじゃなく手紙のような感じに見えたんですよね。

 もしくは誰かに遺した文章……」


 あの紙に書かれている内容が読めたのですか? 私がそう尋ねようとしたのを悟ったのか、若い神主さんは「いえ、読めたわけではないので推測ですよ。というかちゃんと読んだら死ぬ感じがします」と、真面目な顔で付け足しました。


「ともかくこの紙が誰かに宛てたものなのだとするなら、その人のもとに届くことで、コレは役割を終えることになるわけです。


 お話を聞く限り、この紙は処分することを許さない。

 

 しかしリサイクルショップに持ち込まれたということは、この紙はということ。


 ……この紙は今も、誰かのもとに届くのを望んでいるのかもしれませんね」


 そう言って箱に向けられた若い神主さんの視線は、少し哀れみのような感情が込められていました。


 そして彼は、私から奇箱を預かることを承諾してくれました。


 紙の方はあまり深掘りせず、箱の方からアプローチをかけてみるとのことでした。

 

 彼は警察や各方面につてがあるようで、まずこの奇箱がどのような道を辿ってきたのか。それから、これがどこの神社で作られたものなのかを探ってゆく方向だそうで。


「この紙が誰かの手元に届くことを望んでいるのなら、それに協力する私を呪い殺したりはしないでしょう。

 多分、ですけどね」


 若い神主さんの曖昧な笑顔に、私もまた引きつった笑顔を返すことしかできませんでした。




 


 こうして箱は私の手を離れました。あの夜を境に、私の周りでおかしなことは何も起きていません。

 

 入院していた奥さんの容体も少しづつ回復し、車椅子に乗って外出もできるようになりました。


 あの紙は無事に誰かのもとに届いたのでしょうか。


 バイト先にかかった“休業中”の札を見ると、時々、そんなことを思うのです。

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