第4話 石津谷鉄橋

 私の家から駅までの道に、ヤバいと言われている鉄橋があります。

 

 道路を交差するようにかけられていて、高さはおおよそ15mくらいはあるのでしょうか。下を見るとけっこう足がすくむような高さです。


 その橋は昔から自殺者が出ることで有名でした。

 この土地とは縁もゆかりもない人がやってきて、橋の上から身を投げるという事件がたびたびあったのです。


 そのため、下の道路を車で走っていると上から何かが落ちてきたような音がしたとか、橋の上から下を見ると引っ張られるような感じがするとか。

 そんな噂は絶えない場所でした。


 私は高校からバスで通学していたため、バスに乗ってその橋を通ることはよくありました。

 しかし夜中に歩いて橋を渡ることはないため、特にその橋のことを意識することはなかったと思います。


 けれどある時、その橋で妙な事件が起きて、地元がざわついたことがありました。

 

 男性が一人、橋の下で亡くなっているのが見つかったのです。

 これが自殺ではなく、事件として捜査されていたことが大きなニュースになりました。


 で、それがなぜ事件になったのかという話ですが、実はこの橋、前の年に工事をしていました。

 自殺の名所みたいに言われるのを嫌がった自治体が、事故防止の名目で予算を組み、柵を設けたのです。


 その柵はかなり高く、登れる構造にもなっていません。

 もうこれで飛び降りる人は出ないだろう。事件が起きたのはそう思われていた矢先の出来事でした。


 警察としては、飛び降りるのが不可能なのだから、誰かが遺体をそこに投げ出したに違いない。そういう線で捜査を進めたようでした。


 しかし遺体の損傷は明らかに酷く、かなりの高さから落ちなければこうはならないだろう……本当かどうか知りませんが、目撃した人の声として地元紙に紹介されていたのを覚えています。


 結局、警察の捜査の甲斐もなく、男性の死は未解決事件の扱いとなってしまいました。


 けれど橋に対して自殺の印象を強く抱いていた私たち地元民は、「それでも自殺者が出る橋」みたいな噂をし、学校でも「気をつけるように」という呼びかけがあったのを覚えています。




 

 そしてこれは私が高校三年生の時の話です。


 進学先も推薦で決まった1月のこと。同じく推薦が決まったメンバーと駅前でカラオケをしていました。


 受験が終わった開放感もあって、私たちは時間も忘れて歌いまくっていました。気がつくと23時を回り、一緒にいた二人は「やばいやばい」なんて言いながら急いで自転車を漕いでいきました。


 でも本当にやばかったのは私で、実はその時間、私の家に向かう最終バスが出た後だったんです。


 私は駅前まで迎えに来てもらおうと母に電話をしましたが、出ませんでした。都会だったら、たいていの家は女の子に夜道を歩かせることに抵抗があるのではないか思います。


 けどうちは良くも悪くも放任主義で、こんな時間まで遊んでいるのを許してくれる反面、ある意味で「放ったらかし」的なところもありました。

 

 ダメもとで送ったメッセージにも既読がつきません。きっともう寝ているのでしょう。


 さすがに許可なしの外泊はまずいと思ったのと、ギリギリ歩けないこともない距離だったこともあり、私は歩いて帰ることに決めました。


 


 


 駅前はまだ車通りもありましたが、歩くにつれて周りは静かになってきました。

 

 道が林や草むらに挟まれていて、夏だと虫やカエルの声がけっこううるさかったりするんですが、冬になると草や木が揺れる音が聞こえるくらいのものです。


 心細くなった私はイヤホンをつけて、スマホの動画に注意を逸らしました。不用心だと思われるかもしれませんが、不審者など出たことがない土地柄でしたので、静寂の方が不安だったのだと思います。


 それから40分くらい歩いたでしょうか。見ている動画がとつぜん止まってしまいました。

 確認したら電波のアンテナが0本に。でもこの道をバスで通っている時、圏外になったことは記憶にありません。


 不思議に思いながらスマホをしまって顔を上げると、その場所はちょうど鉄橋の手前でした。



 

 石津谷いしづだに鉄橋てっきょう

 石柱に掘られた文字が街灯に浮かんで見えました。



 

 よりにもよってここでかぁ……と思いました。

 別に幽霊の噂を本気にしていたわけではありません。けれど人気ひとけのない夜の橋、それも自殺者がたくさん出ている場所ってなったら、どうしても不気味に見えてしまいます。


 赤く塗られた鉄の骨組みと、灰色の高い柵が余計に空気を重苦しく感じさせました。

 

 思わず足が止まりました。けれどここを通らないと帰れません。

 私は深呼吸を一つして、橋を渡り始めました。

 

 なるべく気にしないように、気にしないように。特に橋の下は見ないように。

 ぼんやりと照らされた道を、私は早足で進んで行きました。


 そしてちょうど橋の中央あたりまできた時のことです。

 私は異変に気づきました。




 妙に足が冷たい。そして重いのです。



 

 足元を見ると、わけのわからない光景が目に飛び込んできました。

 私の足首より下が地面に埋まり、見えなくなっていたのです。


 沼にはまったような状態といえば伝わるでしょうか。

 さっきまで歩いていたはずの私はアスファルトの地面に沈み、動けなくなっていました。



 

 一瞬、私は何かの見間違いかと思ったし、情報の処理が追いつきませんでした。

 

 地面を踏んでいる感じがありませんでした。泥の中にいるみたい。

 足を引き抜こうともがくと、余計に沈んでいく。


 誰かに足首を掴まれているような感覚もありました。


 私はパニックになりながら暴れ回りました。けれど足は沈んでいくばかりで抜け出せず、助けを求める相手もいません。

 スマホの存在を思い出すも、アンテナは圏外のまま。


 半狂乱の状態になった私は橋の手すりをつかみました。

 その時に初めて橋の下を見ることになりました。


 橋の下の車道の真ん中で、作業着を着た男が立っていました。


 男は腕をこっちに伸ばすようなポーズをしていて、ただ、肘から先は透けて見えなくなっていました。



 そいつがずるずると沈んでいく私を、無表情で見上げているのです。



 目があった瞬間に、寒気と吐き気が込み上げました。

 圏外のスマホを狂ったようにタップし、誰にもつながっていない状態のまま助けを叫んでいました。


 見てはいませんが、その時には冷たい感触が膝くらいまで登ってきていたように思います。

 

 このまま橋の上で沈み続けるとどうなるの。

 橋の中に生き埋めになるの? それとも……


 最悪の想像が私の頭をよぎった時でした。クラクションとともに、車のライトが私を照らしました。


 その車は見慣れた車で、運転席には母親が乗っていました。


 母は車を歩道に寄せると窓を開け「あんた、こんな橋の上で何してんのよ」と言いました。


「見ればわかるでしょ! いや見てもわかんないと思うし私もわけわかんないけどとにかく助けて!」


 —そんな言葉が喉まで来ていましたが……気づくと私の足は埋まっていることもなく、ただ橋の上の歩道にへたり込んでいました。


「え、な、何怒ってんのよ。

 たまたま目が覚めてあんたがまだ帰ってなかったから、メッセージを見て迎えに来わたよ。

 ていうかあんたここまで歩いてきたの?」

 

 なんか母が色々聞いてきたのですが、私は黙って車に乗ると「いいから出して」と言いました。

 私の言い草に、機嫌が悪いとでも思ったのでしょう。母は「何よ。せっかく来てあげたのに」と小言を口にしながらも車を出してくれました。


 車が動き出して、はじめて私は自分が靴を履いていないことに気がつきました。

 けど私は橋を振り返るどころか窓の外を見る勇気もありませんでした。


 私の靴は橋の中に埋まったままなのでしょうか?

 

 もう全部夢だったと思ってしまいたい。

 そう思いましたが、結局私は朝まで寝付くことができませんでした。





 

 

 翌日になって、私は靴だけでなくスマホもないことに気がつきました。

 おそらく橋の上で暴れた時に落としたのだと思いました。


 さすがにスマホを放置しておくわけにはいきません。けどあの橋に探しに行く勇気はとてもありませんでした。


 学校に行き、どうしようかと思っていた時のことです。休み時間に先生が私を職員室に呼び出しました。

 職員室に行くと、先生の机には私のスマホがありました。

 

 先生の話によると、落ちていたスマホは地域の住民によって拾われたそうです。

 その方は交番に届けようと思ったようですが、貼ってあったプリクラに制服姿の私が写っていたので、うちの高校に届けてくれたとのことでした。


 これで私はあの橋にスマホを探しに行かなくて済むことになりました。

 目一杯ホッとした顔で「ありがとうございます!」とスマホを受け取る私に、先生は


「しかし君は、なんであんな場所にスマホを落としたの」

 

 と尋ねました。


 あんな場所? そう私が尋ねると、先生は「地域の方が拾った場所を教えてくれたけど」と続けました。



 

「君のスマホ、車道に落ちてたって聞いたよ。

 ちょうど鉄橋の真下の」




 

 あっけにとられながら、私はスマホのカバーを開きました。

 スマホは手帳型のケースに入っているにもかかわらず、画面の角にヒビが入っていました。

 

 まるで相当な高さから落ちたみたいに。


 



 そんな私も社会人になり、今は一人暮らしをしています。


 ときどき実家に帰ることはあるのですが……車であの橋を通る時には、今でもあの夜のことを思い出してしまうのです。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る