第13話 Y小学校の家庭科室 1/2★

 私がとある小学校に勤めていた時の話をします。


 当時、私の勤めていた小学校には変な噂がありました。夜になると家庭科室に女の子の幽霊が出るという噂です。


 それだけ聞くと、どこにでもある噂だって思うじゃないですか。たいていどこの学校にも、怖い噂のひとつやふたつありますよね。


 けどこの話のちょっと違うところは、これが子供の間の噂じゃなくて、先生の間の噂であったことです。


 私がこの話を聞いたのは、赴任した初日のことでした。4月はどこの学校でも遅くまで残業が続くのですが、19時を過ぎたあたりでみなさんが帰り支度をするのです。


 みなさん仕事が早いなって思って周りを見ていると、机を挟んで正面に座っている女性の先生が


「〇〇先生(私のことです)も帰るよ。うちの学校、20時になるとオバケが出るから」


 って言うんです。


 珍しい冗談を言う人だなって思いましたが、その日は私も仕事を切り上げて学校を出ました。

 

 しかし次の日もまた次の日も、うちの職場で20時を過ぎて学校に残る人は誰もいません。みんな20時が近づくと荷物をまとめ、帰っていくのです。

 私がそのそぶりを見せなかった日は、「帰るよ。ほら、もうすぐだから」って言われたくらいです。


 残業を減らす取り組みのひとつなんだろうな。そう思っていましたが、始業式直前の職員会議で校長先生がこんなことを言いました。


「昨年から在籍してみえる先生方はご存知のことですが、本校は20時ごろになると家庭科室に幽霊が出ます。そのため20時を過ぎて学校に残ることを禁止しております。

 連日の業務でお忙しいことは承知しておりますが、くれぐれもご注意ください」


 いつもの業務連絡をするトーンで、さらっと。

 校長先生が言ったんですよ? それも職員会議で。


 つまりうちの職場では、幽霊が出ることを理由に、20時以降の残業をルールとして禁止しているってことになります。

 

 私を含めて、今年赴任してきた先生方は面食らった顔をしていました。しかしそれ以外の先生方は淡々と仕事に戻り、ざわつくことさえありません。


 会が終わってすぐに私は「あの、さっきの幽霊の話って」と、正面に座る先輩に尋ねました。


 先輩は「私も見たことはないんだけどね」と言って、作業する手を止めて私の方を向きました。


「この学校は、20時ごろになると家庭科室に女の子の幽霊が現れるらしいの。

 噂自体はもう何年も前から言われてはいたんだけど、前の校長先生の時に“20時ルール”がはっきりとできたみたい。

 ちょっと騒ぎがあってね」


「騒ぎ?」


 聞き返す私に、先輩は周りを見ながらちょっと声をひそめました。

 

「幽霊に出くわした先生が夜中、パニックになりながら同僚に電話してきたの。もう無理、もう無理って。


 連絡を受けた校長先生とか教頭先生が学校に着いた時には、その先生が泣きじゃくりながら家庭科室の前でうずくまってた。


 事情を聞いても要領を得なくて、でも話の中に“幽霊が”とか“女の子が”とかそんな言葉が出てきて。


 最終的には警察まで関わる騒ぎになったらしいって、当時は別の学校にいた私の耳にも入ってきたのよ。

 業界的にはノイローゼみたいな感じで処理したみたいだけど」


 その先生は辞めちゃって、今となっては確かめようもないんだけどね。


 そう付け加えると、「〇〇先生も気をつけなよ〜」って先輩は手首をぶらんとして見せました。


 そんな話でしたが、私の感想は「まあでも噂でしょ」という感じでした。実際に幽霊を見た人が今この学校にいるわけではないのです。

 

 それでも校長先生がおっしゃるということは、前任の校長先生からしっかりとこのルールが引き継がれているということなので、そこだけは気になりましたが……。日々の忙しさに追われるうちに、私はそんな話も気にならなくなっていました。





 

 それからしばらく経った、2学期の半ばのことです。


 当時の私は行事の準備に忙殺されていました。運動会に校外学習、学習発表会。時間がいくらあっても足りない状況でした。


 その夜の職員室には私ともう一人の先生だけが残っていました。

 時計を見ると、19時30分を回ったころでした。


「〇〇先生も帰りますか?」


 パソコンを閉じた年下の先生に尋ねられ、私は「んー、もう少しやってく」と答えました。


 その先生が「もうすぐ時間が……まあでも噂ですよねえ」と言って、久しぶりに幽霊の話を思い出しました。


 怖くなかったわけじゃありません。ただ幽霊は噂でも、私の仕事は現実です。

「私もすぐ帰るから」そんなことを言って誤魔化すと、「じゃあお先に失礼します」と言ってその先生は帰っていきました。


 それからパソコンとにらめっこをして、作業に区切りがついた時には、21時近くだったと思います。


 やっと帰れる。私は軽く伸びをして、トイレに立ちました。


 職員室を出て廊下をちょっと歩いた場所に職員用のトイレがあります。廊下の窓の外には中庭があって、その向こうには南側の棟が見えるつくりになっているのです。


 問題の家庭科室も、廊下の窓から見える位置にありました。


 その時……こういうのを魔が差した、というんでしょうか。仕事に区切りがついた開放感もあって、つい、家庭科室の方に目を向けました。


 本当に幽霊なんているのかしら、みたいな感じで。





 街灯が少しだけ差し込む家庭科室の窓の向こうに、高学年くらいの女の子の姿がはっきり見えました。


 窓際から黒板の方を向くような形で立っており、私のいるところからは横顔だけが確認できました。





 ぱっと見は本当に普通の女の子でした。本来なら「なんで深夜に子供が残ってるの」って、すぐに駆けつけなくちゃいけないところだったでしょう。


 でもあんな噂があるんだから、もう間違いなく幽霊じゃないですか。その子。


 悲鳴を噛み殺した私は、すぐに職員室に戻ってバッグに荷物を詰め込みました。それから転げるようにして下駄箱へと走り、そのまま家に逃げ帰ろうしたんです。


 でもそこで問題が発生しました。うちの学校は最後に退勤する先生がセキュリティのロックをかけるという作業があります。夜中に誰かが構内に侵入できないようにするためです。


 しかし、そのロックができなかったのです。


 セキュリティ装置の液晶画面には“家庭科室の窓の閉め忘れ”が表示されていました。


 私はその場にへたり込みました。ロックをきちんと作動させるためには、家庭科室の窓を閉め、鍵をかけてこなければなりません。


 それをしないと帰ることができないのです。

 

 震えながらスマホを取り出し、私は教頭に電話しようとしました。しかし20時のルールを破ったことが上司に知られると思い、指を止めました。


 赴任した最初の年でしたから、騒ぎを起こしたくない。そんな気持ちもありました。


 私は大きく深呼吸をして立ち上がりました。それから再び、ゆっくりと廊下の窓から家庭科室を覗き込みました。


 女の子は動いていません。さっきと同じ場所に立っています。


 このまま待っていても事態は動きません。もう一回だけ深呼吸をして、私は家庭科室へと向かう覚悟を決めました。

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