第15話 釘打ち集落

 俺が大学2年の時の春。念願の車を手に入れた。


 バイト代を貯めて買った中古車で、あれは初めて県外へドライブに出た日のことだった。

 

 ある山の見晴台みはらしだいに行った帰り道。

 山頂の自販機で買った缶コーヒーを啜りながら、車で薄暗くなった山道を下っていた。


 登っていた時は一本道のように思えた山道だった。しかしどこで間違ったのか、途中で見覚えのない道へ迷い込んでしまった。

 

 貧乏だった俺の車にカーナビはついておらず、スマホのナビも今ほど一般的じゃなかった時代。帰り道を調べるすべのなかった俺だが、進んでりゃそのうち知ってる道に出るだろと高を括って、そのまま車を走らせていた。


 しかし予想に反して、道はどんどん細くなっていった。道は舗装されてはいるものの、ガタついていて、しばらく工事の手が入った様子もない。

 

 こりゃあ引き返すしかないのかもな。そう思い始めた矢先のことだった。目の前に少し開けた景色が広がった。


 木を切り拓いて作った土地に、朽ちた家々が並んでいる。いわゆる村のようだった。

 

 沈みかける夕日に照らされた廃屋は不気味だった。けどどこかノスタルジックで、気づくと俺はエンジンをとめていた。


 他に車が通る気配はなく、人に見られる心配もない。少しくらいならいいだろう。


 好奇心に唆されるように、俺は集落の散策へと乗り出した。


 今にして思えば、そこで車を降りたのが人生最悪の間違いだった。







 車を停めた場所からは5軒ほどの家が見え、それが集落のすべてのようだった。

 どの家にも庭と畑があり、それぞれの家は数mずつ離れている。


 放置された農機具や、錆びたトタンの外壁からは時の流れを感じた。

 この集落から人がいなくなって、どのくらいの時間が経ったのだろう。


 廃墟は荒らされやすいって聞くけど、そんな様子はあまり感じなかった。

 通りかかった最初の一軒目こそ塀の落書きを塗り直したような跡があったが、そのくらい。まあ辺鄙な所だし、ノリでやってくる物好きは少ないのかもしれない。

 

 沈みかかった西日を背にした集落は、退廃的な美しさがあった。

 気づくと俺はどんどん集落の奥へと進み、とうとう一番はずれの家までやってきた。


 その家の玄関先で、俺はちょっと普通じゃないものを見つけた。


 男物のスニーカー。それに、なんか長い釘……五寸釘っていうのか? あれが刺さっていた。


 それも一本じゃなくて、何本も。


 靴に釘を打ち付けるなんて普通はしない。だからその光景自体も異様なんだけど、さらに異様に感じたのは、靴と釘のギャップだった。


 釘は錆びているのに、靴がまだ新しく見えたのだ。


 なんだよこれ。俺は思わず玄関先に目をやった。

 そこにはビニールで覆われた2枚の張り紙があった。


 

 のぞくな   ここはわたしたちのいえ


 

 殴り書きのようなその文字は、おそらく俺のような連中に向けた警告のメッセージだった。




 今思えば、あそこで引き返すべきだったと思う。

 

 でもあの時の俺は足が震えてるくせに、敷地に足を踏み入れてしまった。


 スニーカーを串刺しにするようなイカれた趣味をもつ奴の家ってどんな感じだろう。

 そんな意味のない好奇心に背中を押された。いや、引き寄せられたかのような感じだった。


 それでもさすがにあの玄関に手はかけられなかった。「わたしたちのいえ」と書かれたあの紙は、なんだか近づくだけで呪われそうな感じがした。


 なのでひとまず俺は庭の方へとまわることにした。


 庭は雑草が生い茂っていた。その向こうには木製の雨戸が見える。

 雨戸は閉まっている状態だが、そのうちの一枚が外れかけてナナメになっていた。そこから中を見ることができそうだ。


 俺はおそるおそる近づいた。人がいるはずはないにもかかわらず、だ。

 辺りの静けさもあってか、砂利を踏む音がやけに大きく聞こえた。


 雨戸の前に立つと、俺は片目を閉じて中を覗き込んだ

 ところどころ穴があいているせいだろう。日の差し込んだ室内の様子ははっきりと見えた。


 ……というより見えてしまった。


 中央にちゃぶ台。それを取り囲むように、人形が座っていた。

 

 赤い服を着て、赤い口紅の塗られた小さな女の子のぬいぐるみ。

 それとひとまわり大きい、女の子のお父さん、お母さんみたいなやつ。


 まるで人形たちがそこで生活をしているかのような、そんな光景。

 もしくはこの家の住人たちが、そのまま人形になってしまったかのような光景に見えた。


 ここの住人が残していったものかもしれないし、誰かがイタズラで置いたものかもしれない。

 冷静に考えたら別にビビることはないんだけど、それを見た瞬間、背筋に冷たいものが走った。


 そんなわけないのに、玄関のあの張り紙をこいつらが書いたんじゃないかと妄想したんだ。


「わたしたちのいえ」のって、もしかしてこいつらの事?


 ぅわ……みたいな声が思わず口から漏れた。それとほぼ同時だった。


 人形たちが一斉にこちらを見た。


 動いたとかじゃない。目の光が、視線が一斉に、間違いなく俺へと向けられた。


 人生で出したことのないような叫び声をあげて、それから全速力でその場を離れた。

 その直後、



 カラカラカラカラ!!



 って玄関を開けるような音と、こちらに向かう足音が背中から聞こえてきて、一気に汗が吹き出した。


 とても振り返る余裕はなかったから実際はどうだかわからない。

 けど、あいつらがすぐ後ろで俺を追いかけてきているような気がした。

 

 走りながら、脳裏に浮かんだのはあの串刺しのスニーカーだった。


 もしかして、前にもこの家に侵入しようとした誰かがいて。あの靴はそののものだったんじゃないのか。

 

 捕まれば、俺もああなるんじゃないのか。

 そう思ったら足を止められるわけがない。


 薄暗くなった道を無我夢中で走った。来た道をそのまま戻ったつもりだったが、どこで何を間違ったのか、俺は車を見つけることができなかった。

 けど捜す余裕なんてもちろんなくて、俺は狂ったように真っ暗の山道を走った。


 それからどれだけ経っただろう。いつの間にか見覚えのある道に出ていた俺は、たまたま通りかかったトラックに拾ってもらった。


 最初は事情を尋ねてきたトラックの運ちゃんだったが、俺がガタガタ震えながら黙っていたせいだろう。途中から何も聞かずに、最寄りの駅まで送ってくれた。




 翌日何をしていたのかは記憶にない。けど3日ひきこもってようやく落ち着いてきた俺は、一人暮らしをしている兄に電話をかけた。


 事情を覚えている限り正確に話したつもりだったが、「そりゃこえーなー。で、なんの用よ」とだけ言われ、相手にされていないのがわかった。


 もう忘れてしまおうかとすら思ったが、けど車を放置しておくわけにもいかない。

 俺は仲の良かった友達に連絡をした。ヤバいところは伏せて「山道に車を置いてきてしまったから、そこまで乗せていってほしい」とだけ話した。


 なんでドライブに行って車を置いてくんの? と怪訝な顔をされたが、友達の車を出してもらうことができた。

 

 もう一人友達に声をかけたらそいつもついてくるって言って、3人もいたし周りも明るかったんだけど、それでも俺の心臓はバクバク鳴っていた。


 もしかしてあの人形たち、俺が戻るのを待ち構えていやしないだろうか。そんなことを考えていた。


 結論から言うと、あいつらに再び出くわすことはなかった。それどころか集落へ向かう道すら見つけることができなかった。


 ただ俺の車は見つかった。


 見つかったのは、俺がトラックの運ちゃんに拾ってもらったすぐそばの道。そのガードレールの向こう。


 これ以上刺す場所がないってくらいに釘を打ち付けられた俺の車が、崖の下でひっくり返っていた。

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