3 ダラー・エンジェル・ラダー
廃工場が燃えていた。血を流して人が死んでいた。
少年少女天使たちは黒曜石の眼に炎を写し取る。
多湿のなかでも燃料を呑んだ火は威勢がいい。都市から離れた田舎の、村はずれの立地だ。スコールが諌めてくれるまで燃え続けるだろう。その奥に隠した悪事さえも灰に変えながら燃え続ける。
韮はその光景を眺めていた。彼のパスポートは燃え落ちた。右手には少女の手を握り込み、左手には薄くなった財布が。少女の手にある拳銃は撃ち尽くされ、スライドが後退した状態で固定されていた。十数分前まで職員の腰に下がっていた凶器。少女の身体に不釣り合いな無骨で洗練された暴力の形。大人子供、性別、あらゆる立場に関係なく、銃口の前では平等に暴力を受ける。もしも、この世に完全な救いなんてものがあるとするならばその平等さは暴力に似ている。そう韮は嘆いた。
天使たちの頭上には、黄金の光輪が浮かぶ。
「素晴らしい成果です。やはり、あなたをスカウトして正解でした。この味は……義憤、悲嘆、それとも興奮。質の良いドーナツが出来上がっています。この味がしばらくは市場を席捲するトレンドとなるでしょう」
目ざとく難を逃れ、生き残っていた田中が天使から光輪を奪い、出来栄えを検分する。彼女は工場を潰されたにも関わらず、むしろ上機嫌で韮を褒めたたえた。
「実は自称慈善家たちの方々のもたらす幸福には限界がきていたのです。天使は増殖するたびに、以前覚えた幸福で光輪を産み出すことができますが、何度も複製を繰り返すことで品質が劣化していく。加えて、顧客の舌は度重なる幸福の味で肥えていく。似通った刺激では飽きられてしまう。そう、幸福とは簡単に劣化して、陳腐化する。気軽にロングセラーとはいかないものです」
韮が天使たちに与えたもの。10ドルと引き換えに、拳銃で他人を撃つということ。破壊して、他人を害して、生きること。隙をみて奪い取った拳銃を天使に握らせ、最初の一発は彼が支えて引き金を引いた。
「これは持論ですが、幸福とは三つのサイクルで成り立っていると考えます。最初に苦痛があり、苦痛を突破する為の破壊に至り、そして破壊により得られる快楽へ。そしてまた快楽を阻害する苦痛が覆い被さる。私たち人間は苦痛の期間をいかに短くするか、破壊のリスクを低減するかに注力して生きる。しかし、我が社のハッピィ・ドーナツがあれば、ひとはリスクを負うことなく、手軽に幸福を手に入れられる」
「すばらしき、ユートピアか?」
「天使たちは経験を共有します。今頃、世界中の支社で、韮さんの与えた幸福でドーナツが量産されていることでしょう。できますよ、あなたの感情が作り出したユートピアが。なにが幸せになるかは誰にも決められません。決めるのは彼ら天使だけ」
天使は増える。幸福の輪を回して。薄汚れた羽ではどこにも飛んでいけないのに。
「テン、ダラー」
少女は再びねだる。壊れたレコーダーは繰り返す。幸福が擦り切れて、味がしなくなるまで繰り返す。
韮にはわからない。自らのしたことのどこかに正しさがあったのか。自分がなにに怒り、そして興奮を感じていたのかを。
天使は増える。
天使はねだる。
たった10ドルの幸福を握り締めて。
「さぁ、売ろう! 幸せのドーナツを」
(了)
天使墜落(私)刑 志村麦穂 @baku-shimura
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