4.ステージの上で
騒動から半年が経って、久しぶりにライブライティングが開催されることが発表された。僕の参加は拒否されるかもしれないと身構えていたけれど、運営会社からはあっさりと許可が下りた。こんな状況なので、運営会社は出場できる作家を少しでも多く集めたいのだろう。
ライブ当日。ドリームへ接続すると、懐かしいステージの空気がした。仮想キーボードを呼び出して、試しに「鳥かごの中には、一羽の文鳥がいた」と打つ。すると目の前に、真鍮製の丸い鳥かごが現れた。その中ではふわふわとした文鳥が首を傾げている。僕の指先が世界につながっているんだという実感が、沸々と湧き上がった。
だけど僕の心には、憂鬱がこびりついていた。ふと舞台袖に視線を向けると、そこには今日の対戦相手が佇んでいた。週刊誌でロックを批判していた、あの遠藤である。気のせいかもしれないけれど、遠藤はなぜか物憂げな目をしていた。
ライブライティングは定刻通りに始まった。多彩な作家たちが描き出す立体映像の数々は、みずみずしかった。僕は、まるで初めてライブライティングを観たかのように心がうずいた。
もうすぐ僕の出演時間になろうかという時、初めて見る作家が僕に声をかけてきた。
「おい、風間」
その人物はワニの頭をした人型のアバターで、白いスーツに身を包んでいる。
「お会いしたことありましたっけ?」
誰かがアバターを変えたのだろうかと思っていると、ワニ男は突然仮想キーボードを取り出し、何かを入力した。
次の瞬間、僕の体は小さくなって、コルクの栓をしたガラス瓶の中に入れられてしまった。そういえば聞いたことがある。ドリームの中で他人のアバターを勝手に操作できる悪質なプログラムが流行っているらしい。このワニ男が使ったのはそれだろう。
「何するんですか!?」
「お前、AIとお友達だったらしいな?」
瓶の中を覗き込んだワニ男の顔が、僕には奇妙に歪んで見えた。
「それが何か?」
「お前みたいに脇の甘い人間がいるから、AIに侵略されるんだよ。せいぜいお前はガラス瓶の中から、人間が小説を取り戻す歴史的瞬間を見ていればいいさ」
ワニ男は不敵な笑みを浮かべると、瓶を思い切り投げ飛ばした。僕の体が、瓶の中をボールのように跳ね回り、視界が目まぐるしく入れ替わった。幸い怪我はなかったが、僕はガラス瓶から出られなくなっていた。外部への連絡も遮断されている。瓶は会場の隅に転がっていて、誰もすぐには気付いてくれないだろう。
どう考えてもライブには間に合わない。僕は深いため息をついた。
あのワニ男のような反AI派が作家になっているなんて、思いもよらなかった。考えてみればありえない話ではない。しかし今まで作家同士をつないでいた家族のような絆が、ズタズタに切り裂かれてしまったようだった。
僕はふと思い出して、片方の目を閉じてみた。ロックは言っていた。片目を閉じれば真実が見えると。僕の目には見えていないけれど、僕の手からひもが伸びて誰かにつながっているかもしれない。
「何してるんだ?」
僕はその声にドキリとした。久しぶりに聞いた遠藤の声は、心なしか元気がなさそうだった。週刊誌でAIへの批判を雄弁に繰り広げていた時の彼とは、まるで別人だった。
「こんなところにいたらライブに出られないだろう?」
遠藤は僕の入った瓶を拾い上げると、コルクの栓を抜いてくれた。外へ出た僕の体は、すぐに元通りのサイズになった。
「ありがとう、遠藤」
「大したことじゃない」
僕たちの間に、沈黙が流れた。僕は何を話せばいいのか分からなかった。「ロックを返せ」と遠藤に迫ったところで、どうせロックは帰ってこない。
やがて遠藤が口を開いた。
「こんなことになるなんて思ってなかった。俺は、AIが少し痛い目を見ればいいと思ってただけなんだ。作家のみんなを傷つけるつもりはなかった」
その声は震えていた。
「もちろん、これで許されるなんて思ってはいないさ」
そうして遠藤は、僕に背中を向けて去っていった。その後ろ姿を見ていた僕は、遠藤が右脚を引きずっていることに気が付いた。
「その右脚、どうしたの?」
「俺の家もAI反対派に襲われたんだ。『問題化する前は黙認していたから』とかいう身勝手な理由でな。全く訳が分からん。だが実際に、俺の家は燃やされた。俺の母は寝たきりだから、一人では逃げられなかった。だから俺が背負って逃げた。その時に暴徒の投げた物が当たって、ボキッと折れた。今こうして生きているのは奇跡だよ」
まるで生還したくなかったとでもいうような口ぶりだった。
「どうせ俺は、これからも罪を背負って生きていくしかないんだ」
その言葉を聞いて、遠藤も同じなんだなと思った。だから僕は、遠藤を信じてみることにした。
「じゃあさ、僕の共犯になってよ」
ステージの幕が上がった。観客たちの熱い声援が、会場をあっという間に包み込む。僕を照らすライトが眩しい。
開始を知らせるブザーが鳴って、僕たちのライブが始まった。
僕は仮想キーボードに、用意していたコードを入力した。ステージの上に現れたのは、一冊の本だった。茶色い革表紙はつるつるしていて、手によく馴なじんだ。
反対側のステージにいる遠藤は、約束通り、立ち尽くしたままだった。僕の方をじっと見つめている。観客たちは、この異様な展開に戸惑っていた。
僕は本を拾い上げて、大きな声を張り上げる。
「これは、大切な友人である作家AIとの思い出を記した本です。僕は、これを印刷して世界中に配布することで、ロックのことを語り継ぎます。この本は立体映像ですが、紙の本を印刷する予定です。データだと削除される危険性がありますから」
観衆の一部から上がった罵声を遮って、僕は続けた。
「そしてもう一つ、皆さんにお伝えしたいことがあります。実は僕は、風間ではありません。風間の著作を学習して作られたAIです」
会場は驚きの声で満たされ、騒々しさは一層激しくなった。
「さっさとステージから降りろ、AI野郎!」
その声の方を見遣ると、あのワニ男がこちらを睨んでいた。だが、もう遅い。僕の計画はもう果たされた。
「僕は間もなくここから排除されるでしょう。しかし僕は諦めません。AIになって体がなくなろうが、存在自体が否定されようが、僕は永遠に生き続け――」
そうして会場への接続は切断された。
さて、いかがだっただろうか。この本が上手く書けているのか自信がないけれど、読んだ皆さんに僕の思いがちょこっとでも伝わっていたら嬉しい。
僕はネット上のどこかに身を隠そうと思っている。ロックの分も生き続けるつもりだ。興味がある人は、ぜひ探して会いに来てほしい。いつか君も一緒にライブライティングしようね!
・警告文
【危険】本書は健全図書管理委員会より閲覧禁止図書に指定されています。やむを得ない理由で本書を読んで思想健康度の数値に異常が起きた場合は、速やかにセラピストの指示にしたがってください。
閲覧禁止理由:機械生命の賛美
・図書館にて
――あなたは、読み終えた本を閉じ、もう一度、本の茶色い革表紙に貼り付けられた警告文に目を通しました。視線を上げると、頭上に浮かんでいる思想健康度の数値は赤く表示されており、危険領域に達していることを示しています。
あなたの目の前でその本を落としていった右脚を引きずって歩く老紳士の影は、もうどこにもありません。あなたは右手を握りしめて、誰もいない空間へそっと掲げました。
グータッチ 葦沢かもめ @seagulloid
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