3.現実と非現実

 現実世界で人混みを歩くのは苦手だ。ドリームにいるつもりで歩いていると、すぐ人にぶつかりそうになってしまう。

 僕は渋谷に来ていた。背の高いビルには、所狭しと立体映像看板が並んでいる。爽やかな男性が新発売のジュースを美味しそうに飲んでいる横で、近未来的なボディスーツを来たアニメキャラクターが映画の宣伝をしている。

 今では看板やCMだけでなく、説明書や本の表紙などのあらゆる場面で立体映像が採用されるようになった。これはスマートコンタクトレンズが普及したからだ。スマートコンタクトレンズを付けると、現実世界に立体映像を投影できる。立体映像で視界全体を覆えば、仮想世界も体験できる。現実と非現実の境界は、急速に溶けつつあった。

 そしてスマートコンタクトレンズはカメラにもなる。僕は、今見ている渋谷の街並みをロックにリアルタイムで共有していた。

「人間視点の映像は何度も見たことがありますが、リアルタイムで見るのは初めてですね」

「楽しい?」

「はい、とっても。なんだか風間君と一心同体になったみたいです。このまま乗っ取っちゃいたいくらいですね」

「頼むから体を乗っ取るなんてやめてくれよ」

 きっとロックなら、僕の体を乗っ取ったとしても悪いことには使わないだろうけれど。

「大丈夫ですよ。そんな機能ありませんから」

 ロックはそう言いながら、クスクスと笑う。心なしか、いつもよりテンションが高い。

 立体映像看板を見かけるたびに、僕たちは足を止めてそれに見入った。人の多い場所に置かれた立体映像には、しっかりと目立つ工夫が施されている。立体映像マニアの僕たちは、関心してばかりだった。

 特にロックは、シルクハットを被った柴犬の立体映像に釘付けだった。柴犬を照らしている色とりどりのライトが次々に入れ替わっていくパーティーのような演出は鮮烈だった。

「もっとよく見せてください」

「ちゃんと見てるだろ? 見えないのは、ロックが眼帯してるからじゃないか?」

「片目に眼帯をしているのは、物事の真実の姿を見るためです。見るという行為は、姿形だけでなく、その存在を感じ取ることも必要なのです」

「僕にはよく分からないな」

「そんなことより、この映像すごく綺麗です。まるで光の工芸品ですよ。これを見ると幸せな気持ちになります」

 僕からするとピカピカ光りすぎて眩しかったけれど、このくらい刺激が強い方がロックの好みなのかもしれない。

 ロックにはどんな世界が見えているのか、僕には分からない。でも人間同士だって、同じものを見て違うことを感じ取るのだから、そういうものなのかもしれない。何はともあれ、現実世界の体験を活かしてロックがもっと素晴らしい作品を生み出してくれたら、僕は嬉しい。

 それから一時間後、僕たちはようやく目的地にたどり着いた。

「そろそろ右手に目的の看板が見えてくるはずです」

 それは商業ビルの壁面にあった。ガラス張りの扉の横に設置された大きな三次元電子看板に、ポップなフォントで「魔法の力を信じていますか?」と表示されている。続いて映像が切り替わり、幼い子供が魔法の杖を振り回しながら歌っている場面になった。背景にはキラキラとしたエフェクトがかかり、子供は笑顔でポーズをとっている。そして背景にメリーゴーラウンドが現れて、遊園地の名前が表示された。どうやら遊園地のCMのようだ。

「実際に路上に掲示されると、こんな感じの色合いになるんですね。ちょっとイメージと違いました」

「でもいい感じだよ。ファンタジックな雰囲気が出ているし」

「本当ですか? 風間君にそう言ってもらえるのは嬉しいです」

 しばらく近くで眺めていると、通りがかった家族連れが遊園地のCMに興味を示した。子供が真似をして踊っているのを見て、ロックは喜んでいた。

 そうして僕たちは、渋谷の街を後にした。



 数日後、とあるネットニュースのタイトルに目が留まった。

「立体映像で健康被害 製作した作家AIを逮捕」

 胸騒ぎがした。僕は急いでニュースの立体映像を再生した。

「昨日開催されたライブライティングにて、立体映像を視聴した人々が相次いで体調不良を訴え、病院に搬送されました。被害者は世界各地で報告されており、現在分かっているだけでも三百名以上が治療を受けています。原因は、急激な光の明滅が立体映像に含まれていたことによる光過敏性発作と見られています。警察は、当該立体映像を配信した作家AI『第六筆魔王』を容疑者として逮捕しました」

 僕は夢でも見ているのかと思った。

 だが思い当たる節はある。多分、あのカラフルなライトで照らされた柴犬の立体映像を見たからだ。ロックがあれにインスピレーションを得て、光の明滅を取り入れた立体映像を作ったとしても不思議ではない。

 人間だったら、何度も明滅するシーンが健康に良くなさそうだと自分の体で判断できる。でもロックはAIだから、人体に与える影響を想像できなかったのだろう。

 もしそうだとしたら、この事件のきっかけを作ったのは僕だ。僕が街へ出て立体映像看板を見に行こうと誘わなければ、こんなことにはならなかったかもしれない。

 翌日には、僕も警察から事情聴取を受けた。僕はロックの無実を訴えたが、警察官たちは誰も聞き入れてくれなかった。

 それからしばらくして、ロックの永久停止処分が決まった。僕は無力だった。悔しかった。全身の力が抜けてしまって、何もする気になれず、毎日ベッドの上で過ごした。

 しかし事件はそれだけで終わらなかった。

「私はライブライティングの出場者として、以前からAIの危険性を指摘し続けていました。しかし誰も私の声に耳を貸そうとしませんでした。今こそみんなで声を上げる時なのです」

 ウェブ週刊誌の立体映像記事で、遠藤が熱弁していた。その記事には、異様なほどに大量のいいねがついていた。遠藤がこれまでライブライティングで獲得したいいね数よりも多いだろう。

「続いてこちらをご覧ください」

 司会者が提示した立体映像には、僕と渋谷に行った時にロックが発言した「このまま乗っ取っちゃいたいくらいですね」という言葉が映し出されていた。

「このように第六筆魔王が人間を乗っ取ろうとしていたログデータも発見されましたが、いかがお考えでしょうか?」

 司会者の問いに、遠藤は待っていましたと言わんばかりに答える。

「私のような作家なら分かると思いますが、『乗っ取る』という言葉は普通使いません。何かしらの反抗の意図があったと判断できるでしょう」

 誰もロックがどんなやつかを知らないくせに、無責任な主張は事実として世界中に広まっていった。僕一人では、それを止めることはできなかった。

 それ以来、AIへの反対運動が活発化していった。まずターゲットにされたのは、作家AIやその開発者、そしてAIと仲が良い作家だった。作家AIたちは現実世界に実体を持っていないから安全なように思えるけれど、実際はそんなことはなかった。ある作家AIはオープンソースで提供されていたため、良心的なバグ修正のリクエストを装った攻撃を受けた。その結果、その作家AIはつまらないギャグばかり書くように改変されてしまった。

 人間の作家への攻撃もひどかった。脅迫メールが送られてくるのは当たり前。街中で殴りかかられたり、自宅に火を付けられたりした人もいた。そして一人、また一人と、作家たちは自分と家族を守るためにライブライティングからの引退を発表して身を隠していった。

 こうした事態を重くみたライブライティングの運営会社は、全てのAIの参加資格を停止すると発表した。反AI主義者たちはそれを歓迎したが、僕は納得できなかった。僕は、僕にできることを考え、そして行動に移すことにした。

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