2.第六筆魔王について

 終演後、僕はステージの縁に座って、足をぶらぶらさせていた。さっきまで満杯だった観客席は、空っぽになっていた。

 お客さんたちは、同じライブを見るために世界各地からアクセスしてくる。ライブライティングは見れば伝わるから、言葉の壁なんてない。それが「小説のeスポーツ」とも呼ばれるライブライティングの醍醐味だし、僕が好きなところだ。

 同じように世界中から集まった作家たちは、僕の後ろでお互いのライブの感想を語り合っていた。みんな使っている言語はバラバラだけど、ドリームでの会話は自動翻訳されるようになっている。日常会話なら問題はない。

「お疲れ様です」

 僕に声をかけてきたのは第六筆魔王だった。ウサギのアバターが僕の隣に腰掛ける。

「すごかったです、風間君のパフォーマンス」

「勝ったのはロックだろ?」

 第六筆魔王は、オープンソースの作家AIとして開発された。親しみを込めて、みんなからはロックと呼ばれている。ロックの学習データが日本語のせいか、ロックは僕とよく話が合った。

「一歩間違えれば、私が会場の雰囲気に飲まれていたでしょう。特に海の描写は見事でした。私は本物の世界を知らないので、あそこまでリアルに大海原を映像化できません」

「僕だってクジラに襲われたことはないよ。あれは、あくまでも僕の想像さ」

「そうなんですか? 船がクジラに襲われる動画、結構ありますよね?」

「クジラはおとなしい動物だから、実際には襲ってこないよ。ロックが見たのは映画か何かじゃないかな」

「そうかもしれないです。確か動画のタイトルが『シャークVSホエール』とか『クジラの逆襲!』とかでした」

「……そういうの好きなの?」

「動物って心がときめくんですよね。非人間的なところに共感するというか」

「なるほどね」

 だからウサギのアバターなのかと、僕は妙に納得した。

 AIに少しくらい現実世界を体験させてあげてもいいんじゃないかと、僕は思う。ロックのように高度な知性をもつAIは、現実世界で物理的な体を持ってはいけないと法律で定められている。

 世界を体験できないことは、ロックのような作家AIには不利だ。海の青さを眺めたり、潮の匂いを嗅いだり、波の音に耳をすませたりした時の感覚を、AIは知らない。波打ち際に立った時に引き波によって足が砂の中に沈んでいく感覚も、AIは知らない。そうした感覚は人間だけのものなのだろうか。僕はいつも疑問に思っていた。

「実際に見てみたいものって、他にもあるの?」

「たくさんありますけど、一番見てみたいのは、自分でデザインした立体映像看板ですね。先日、初めて企業から依頼をもらって作ったんですが、それを見た人たちがどんな反応をするのか興味があります」

「それはおめでとう! 僕もぜひ見てみたいな。場所を教えてよ。僕の視界を共有して見せてあげる」

「いいんですか! 私、楽しみです!」

 ロックのアバターが、無邪気な笑顔になった。ロックは、スイッチ一つで変えられる表情しか知らない。もし多様な表情ができる体を使えたら、ロックはどんな表情をしていたんだろうか。

「おっ、風間じゃん。久しぶり」

  突然声をかけられて振り向くと、そこにいたのは遠藤だった。遠藤は人間の作家で、アバターは生身の体そっくりのものを使っている。

「クジラのやつ惜しかったな。お前の実力なら勝てるはずだろ? AIなんかに負けてヘラヘラ笑ってんなよ」

「そうかな」

 僕は苦笑いを返す。

「じゃあ私はこの辺で失礼します。また今度お手合わせしましょう」

 空気を察したロックは、その場でアバターの立体映像ごと消えてしまった。

「遠藤、失礼だぞ」

「AIには心なんて無いんだからいいんだよ。それよりAIと絡むのはやめとけ。何を考えてるか分かんないぜ?」

「ロックはいいやつだよ」

「AIの肩を持つのか? まさかお前もAIだったりしないよな?」

「僕らは友達だろう?」

「当たり前だ。俺は、お前の作品をよく知っている。だから信じてるんだ。お前には血が通ってるって」

 言いたいことを言い終えたのか、遠藤はすぐに手を振って去っていった。

 遠藤も悪いやつではないのだ。彼は、文章へのこだわりが人一倍強い。彼の映像文体は独特の抑えが効いていて、多くの作家がその実力を認めている。僕もその中の一人だ。

 そんな遠藤がAI嫌いになったのは、半年くらい前からだ。その頃、遠藤は作家AIに連続して大敗した。遠藤の落ち込み方は尋常ではなく、僕たちは誰も声をかけられなかった。そうしているうちに、遠藤の人柄は変わってしまった。責任の一端は僕にもあると感じている。

 僕はドリームへの接続を切った。スマートコンタクトレンズに映し出されていた映像がフェードアウトしていく。僕の頭の中は、現実世界へと一気に引き戻される。

 目の前にあるのは、賃貸アパートの狭いワンルーム。作家としてのパフォーマンスは華々しく見えるが、その実生活は地味だ。

 作家として活動し始めて、今年で三年目になる。収入はライブライティングの出演料と賞金、そしてファンから貰った投げ銭だ。なんとか生活できるくらいのお金は稼げている。

 好きなことをして生きる。それが僕の望みだ。でも僕の好きなものは、スマートコンタクトレンズに映し出された仮想世界にしかない。僕の体は、現実に囚われたままだ。

 ロックと体を交換してあげられたらいいのにな、とふと思った。

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