第17話

一ヶ月が経ち渋谷の街に蒼穹の空が広がるなか、飛行機が今にも手に届きそうな低い距離で次々と飛び立っていく。ある事件の取材を終えて新聞社へと戻り、行きつく間もないところにスマートフォンに着信がかかってきたので名前を見ると、斗真の恋人である千尋からだった。


彼女はミリネに合う日程を決めたいと言ってきたので彼はメールで伝言を送ってくれと返答して、次の取材先へと向かった。その翌朝六時に業務が終わり、自宅に着いて衣服を着たままベッドへと転がり込むように横たわり、数時間が経ち再び起き上がると玄関のドアから鍵が開錠する音が聞こえてきて、そこへ千尋が上がってきた。


「ん?どうした?」

「どうしたじゃないじゃん。斗真のお母さんと会うの今日でしょう?」

「……しまった。忘れてた」

「ほら。これ買ってきたから食べてから行こう。それまで待っているから」

「ありがとう。結構買ってきたな」

「まともにご飯も摂っていないと思っていくつか食材を買ってきたよ」

「これキンパだ。お前食うのか?」

「一緒に食べよう。台所貸して、コーヒー淹れる」

「今日大学は?」

「午後から休暇取ったよ。せっかく挨拶しに行くんだもの、ちゃんと時間守らないとね」

「多少は遅れていってもいいよ」

「そうはいきません。なんでそんなに適当なのよ。……てかまた脱ぎ散らかしてるじゃん。片付けて!」

「わかったよ。今日は随分口うるさくない?もしかして緊張しているのか?」

「少しはね。気が緩んでいたら何言われるかわからないから、この通りきれい目のブラウスとスカートも買ってきたんだよ」

「わざわざ気をつかわなくてもいいよ」

「何言っているの、今日は大事な日よ。二人揃って行くんだからもっとしっかりしてよ……」


その後二人がミリネの元へ行き、千尋を紹介すると彼女も喜んで会話に花が咲いていた。


「年内に籍を入れることにしたよ。千尋の両親にもこの次の日曜に挨拶しに行くんだ」

「そう。向こうの方にもよろしく伝えておいてね」

「はい。あの、折り入って相談したいことがあるんですが……」

「何?」

「お料理を……できれば韓国料理を教えていただきたいんです」

「この間俺の家で参鶏湯サムゲタン作ったんだけど、味付けがいまいちだってずっと言っているんだ。俺は美味しいって言っているんだよ」

「なんか塩分が足りていない感じがあるんです。もしお時間がある時で良いのでこちらにお邪魔してもいいでしょうか?」

「ええ、いいわよ。それなら材料から一緒に買い出しに行きましょう」

「ありがとうございます。良かった。ほら、言ってみた方が良いって言ったじゃない」

「ま、まあな。お母さん、とりあえず教えてあげてね」


ここで千尋は家族と会う用事があるので先に帰ると告げるとミリネは彼女を抱きしめてまた来てくれと言っていた。斗真が千尋を駅の改札口まで見送り再びミリネの家に戻ると、彼はある話を持ち掛けていた。


「千尋さん利口そうな方ね。あなたを支えてくれるいい人に会えて良かったわ」

「あんなにかしこまっているのも不思議な感じがした。でもちゃんと話ができて良かったよ」

「披露宴はどうするの?」

「披露宴というか、パーティー形式で人を集めてやることにしたんだ。その方が堅苦しくないしさ」

「そう。ああ、そういえばさっきまた別に話したいことがあるって言ってたわよね。どうしたの?」

「お母さんにお願いがあるんだ」

「何?」

「俺、ソウルにいるお父さんに会いたい」


ミリネはガスコンロを止めて彼の隣に座り手を握ってきた。


「駄目よ。今更会いに行っても帰されるだけ。息子だと告げたらあの人がどう抵抗するか予想がつく」

「ソウル市内の何軒かの建築事務所に電話をかけてあたってみた。そうしたら、お父さんと同じ名前の人がいると返事が来て直接会えることになった……」

「やめなさい。ソンジェにはあなたの事は伝えていないのよ。それに、向こうで何かあって帰って来れなくなったらどうするの?」

「そこまで心配しないで。当日の最後の便で日本に戻るから」

「あなたが……心配だわ」

「これも自分の任務だと思っている。お父さんはわかってくれる。僕からお母さんのことも話すから。そんな悲しい顔しないで。ね?」


斗真が手を握り返すと、ミリネは不安げな表情になりながらも、彼の事を信じてあげようと、気をつけて行ってきてくれと告げた。

十日ほどが経ち斗真は韓国へと向かい金浦空港からソウル市内に直通するバスに乗り三十分後にソウル市内に下車し特別市のなかの鍾路チュンノ区の高層ビルが立ち並ぶ一角まで来ると、交通量の多い大通りから一本裏通りに入ったところにある建築事務所に辿り着いた。


事務員に用件を伝えて案内された応接室へ入り、ソファにかけて待っているとドアを叩く音がしたので返事をして立ち上がると、ある男性が彼の前に現れて挨拶をしてきた。

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