第12話

ミリネは目線を落としたまま黙り込んで、左の腕の袖を捲ると傷痕を見つめて彼に話をした。


「この傷も、彼女たちに仕向けられて負ったものなの」

「何があったんだ?」

「小劇場で俳優を目指している友人がいるって話をしたでしょう?その人と親しくしてから、三人の中の一人が嫉妬してきてね。彼が好きだから近づくなって言ってきたんだけど、私も友人として付き合っているだけだって言ったら別の日に呼び出されて……」

「その時に何をされた?」

「彼女たちの学生寮に連れ込まれて、給湯器の熱湯を被せてきた。その時に火傷をしたわ」

「そこまでやらなくてもいいだろう……広報部の人に相談したらどうだ?まだ付き纏われているって言っておけばいいさ」


ミリネは首を横に振り、落ち着いた頃を見計らって病院に行くと言ってきた。まずはジンソクからどう離れればいいか別れを切り出して、彼女たちから逃れられるかを考えると答えていたが、ソンジェは矛盾しているからジンソクとはいつも通り付き合っていけと告げていた。


「彼もこれ以上甘やかしたくない。本気で俳優というのを職につけたいのなら、私は必要ない」

「せめて応援だけでもしていけばいいさ。彼もそうしてもいいと言ってくれるだろう?」

「思うようにならないから、今も胸を引っ掻くように痛いのよ!」


ミリネは涙目になりソンジェは彼女の頭を撫でて肩にもたれさせた。


「無理強いはよせ。自分の傷を深くさせるだけだ。我慢しながら大学に通うのも何のために行っているのかわからなくなる前に見切りをつけろ」

「どうすれば?」

「俺がその人らに話す。どうにか納得させれば話はまとまるよ」

「あなたが関与する事じゃない。余計に火種を作るだけよ」

「ミリネ。君を犠牲になるようにはさせない。俺が守るよ」


彼女は彼を見て微笑み肩をさすって大丈夫だと答えた。


「それからさ、アルバム見て思ったんだけど、君は日本語がわかるの?」

「少しだけなら。どうして?」

「いくつか言葉を教えて欲しい。いいだろう?」


机の上にからノートとペンを取り出して、彼女は挨拶の言葉から教えてきた。


「朝と夜の挨拶がある。朝や日中は『おはようございます』夜は『こんばんは』よ」

「感謝する時は?」

「『ありがとうございます』」

「ご飯を食べる時と終わった時は?」

「『いただきます』『ごちそうさまでした』」「アイラブユーは?」

「それも?それはね、『愛している』『大好き』こっちで言うと사랑해요《サランヘヨ》になる」

「私は君が好きって言うのと似たような感じになるのか。……ああもう時間だ、帰らないといけない」

「また別の言葉も教えてあげるよ」

「ああ。しばらく俺の先生になってくれ」

「良いわよ。……ご飯ありがとう。気をつけて帰ってね」

「また作りに来るよ。それじゃあまたな」



二ヶ月が経った九月。夏季休暇が終わり再び講義が始まり、その日の午後にミリネは弘大にある喫茶店にジンソクと待ち合わせをしていた。

しばらく待っていると彼が店内に入ってきて席につき飲み物を注文すると彼女はある話を切り出してきた。


「話したいことがあるって言っていたけど、どうした?」

「次回の公演のもの、私は観ることができない」

「何か気になることでも?」

「私の祖父母が日本人だった。その人達も辛い目に遭ってきたって聞かされてきたの。申し訳ないけど、先輩のお芝居を観るのはもうやめる事にした」

「随分急だな。とにかく今作のは観なくてもいいから、また別の作品を観に来てくれないか……」

「私は、新しく好きな人ができたの。ジンソクさんとは今日でもう合わないって決めたんです」

「好きな人って大学の人か?」

「はい。同期生の人。早いうちに就職も決まるからって話してくれた」

「そうか。君が幸せでいるならそれで良いと考えているよ。そろそろ就活もあるんだよね?」

「ええ、私も自分の事を懸命にやっていきたいです」

「君なら大丈夫だよ。良い仕事が見つかるように祈っている」

「ありがとうございます」

「そういえば君は将来は目指したいものはあるの?」

「高校まで吹奏楽部に入っていたけど、特別に何かを目指したくてやっていたわけではないから」

「何の楽器を?」

「フルート。周りに上手な人が多かったから敵わないと思ってもう吹いていない」

「そうか。何だかもったいない気もするね」

「いいの。もしまた吹きたくなったら気の向いた時にでもやってみようかなってくらいよ」

「そうか。ああ、俺、これから打ち合わせがあるんだ。申し訳ない」

「わかったわ。行ってください」

「それじゃあ……これで最後になるのか。何だか急で寂しいな」

「その寂しい分だけお芝居にぶつけていってください。うまくいくように私も祈っています」

「ありがとう。じゃあ元気でね」

「はい」


その後、ミリネはふとソンジェの事を思い出して大学の一室にある軽音部の部屋にやってくると、彼とサークル仲間が楽し気に演奏をしている姿を見つけドアをノックして入っていくと、彼らも彼女にきづいて声をかけて一緒に歌おうといってきた。

ミリネは彼らの手前にしゃがみこみギターに合わせて歌い出すと、皆も歓声を湧かせて洋楽の曲を数曲歌っていった。


「なんだ、音楽が苦手だって言っていたのに歌うの好きなんだね」

「適当に合わせただけよ。楽しかった、ありがとう」

「こちらこそ。……ソンジェ、俺ら先に帰るよ」

「あれ?店にはいかないのか?」

「今日予定入っていてさ。また今度行こうよ」

「ああ。じゃあまたな」

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