第8話

「ここの礼拝堂にはずっと来ていたのか?」

「ええ。小学生になる頃からよ。ソンジェさんもずっとここに?」

「僕は高校まで釜山プサンにいたんだ。父親の転勤でソウルに移ってきたんだ」

「あなたのご両親は韓国の方?」

「ああ。君も、そうだろう?」

「うん。親から聞いた話なんだけど、大昔に親類に日本人がいたみたい」

「戦前の時か?」

「独立闘争があった頃。仁川に渡ってきた日本人の祖父母が商売を始めて当時の韓国民も一緒に働かせたみたいなの」

「それじゃあ君は……日本人の血が流れている?」

「そういうことになる」

「どうして僕にその話を?」

「私の勘だけど……あなたなら分かってくれるんじゃないかって思って……」


ミリネはキリスト像を見つめながら淡々とソンジェに話をしていた。彼は自分の両親が日本という国があまり好んでいないところもあり、彼女が話した事が少々躊躇ためらうように思えた。しかし、物静かに語る彼女の姿勢に、彼は日本人の血筋というよりも韓国人としての悲哀さが漂っているようにも感じていた。


「僕はそういう君を悪くは思うことはない。むしろそれだけ流暢に韓国語を話すんだし、周りの人と変わりはない。どちらかといえば日本の本当の姿ってどんな風なんだろうかって考えることがあるんだ」

「関心がある?」

「まあね。アメリカと同じように日本もどんな人たちがいるのか、どういった歴史があるのか、講義以外に知りたいところもあるんだ」


ソンジェは席を立ちミリネに近づいて話を続けていった。


「もしよかったら今度食事でもしないか?」

「私と……?」

「うん。大学から少し離れたところなんだけど、美味い食堂があるんだ。行ってみないか?」


すると彼女はくすりと微笑んで頷くと彼も笑みを浮かべて心から喜んでいた。その後途中の大通りで二人は別れて家路へと向かった。ミリネは両親に礼拝堂で会ったソンジェのことを話して、大学の同期生だと伝えるといい友人として付き合えるようになればいいと返答してくれた。


夕食後、居間に入り本棚に置いてあるアルバムを取り出し、親族からもらったジョンソクとラヒや彼らの当時の様子が伺える醸造所での雇用人たちとの写真を眺めては、ソンジェからの言葉を思い出して彼へのささやかな恋心を抱き始めようとしていた。一方でソンジェも部屋で一人ギターを抱え口ずさみながら、ミリネの事を考えていた。

次の週の土曜日、ソンジェはミリネを連れて食堂へ訪れていた。


「何がオススメなんだろう?」

「海鮮ピビンパも美味そうだな。キンパやトングランテンもおすすめか」

「少し寒くなってきているからサムゲタンにしようかな」

「じゃあサムゲタンを二つ、まずは頼もう」


お昼時もあってか店内は賑わいを見せていた。客層も三十代以上で近隣住民の人たちが多く見受けられていた。


「外食はよくするの?」

「普段は自分で作ることが多いわ」

「一人で住んでいるんだよね、実家からだと大学までは遠いの?」

「ええ。できるだけ一人で慣れていきたいから家事もやっていきたいの」


注文した品物が来て早速食べていくとミリネは嬉しそうに食べていて、それに気づいたソンジェもまた嬉しく思えた。ふと彼女の左手首に目がいきよく見ると何かの傷跡が付いているのを見つけて声をかけてみた。


「その傷どうしたんだ?」

「鍋でお湯を沸かしている時に誤って素手で触ってしまってひっくり返したの。そうしたら少し痕が残ってしまったの」

「痛くなかった?」

「少しはね。先月だったからもうだいぶ痕も引いてきている」


彼は手首を掴んでその袖口を出してみると、前腕の表面一帯に広がって火傷のような痕がついていた。


「その傷じゃまるで誰かにやられたような感じにも見えるな。違うか?」

「ええ、自分で怪我させてしまったのよ。あまり気にしなくていい」


彼女はすぐに腕を隠して何事もなかったように黙々と食事を続けていった。ソンジェは少し不快に感じ何か理由があって怪我をしたことだと考えていた。


「何?」

「いや。何でもない。そういえば君は友達はいるの?」

弘大ホンデの小劇場でお芝居をやっている友人がいるくらい」

「じゃあ、大学にはいないの?」

「うん」

「寂しくない?」

「そうでもない。一人でいる方が気が楽よ」

「なあ、それなら僕のサークルにいる奴らと一緒に友達になるのはどう?」

「あなたの?」

「ああ。僕も含めて仲間になろう」

「私……音楽苦手」

「音楽の事じゃなくてもいい。それ以外の事で友達になりたい。どうだろう?」

「じゃあ……考えさせて」


ミリネは終始俯きながら食事をしてそれを済ませると一人立ち上がり会計口へと行き精算をしていた。


「おい、僕も出すよ」

「いいわ。また今度食事をしましょう」


そう言って店から出ていったので慌てて彼女を追いかけていくと、怪我の事で気にしているのかと訊くと、気分がすぐれないから先に帰りたいと言い、誘ってくれてありがとうと告げて彼女はそのまま帰っていった。しばらく路上で立ち止まったまま彼女の事を考えているうちに不意に思い立ってソンジェは彼女の後をついていくことにした。

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