第7話

「……それじゃあラヒおばあちゃんはその後は工場を受け継いでいったの?」

「ああ。子どもが生まれてからしばらくは大田にいたんだ。だが、彼女の両親がこのままだと誰かに狙われることもあるかもしれないと言ってきて、工場の継承者を従業員の蔵人の家族に引き継いでから自分の子……娘と一緒に仁川の実家に戻ったのさ」

「その後はどうなったの?」

「ソウル特別区に引っ越しをして娘のために一所懸命働いてその時に知り合った男性と再婚したんだ。でもね……」

「でも?」


「まだジョンソクの祖父さんの事が忘れられずにある日後を追うように自殺したんだよ」


「ラヒおばあちゃんが?」

「ああ。ずっとどこかでジョンソクさんのことが離れられなくて当時の朝鮮軍にスパイ容疑で捕まったことを悔やんでいたんだよ。何も悪いことなどしていないのに、その軍たちの在韓日本人への逆恨みが強かったんだろうね」

「結局は二人とも日本へは帰化できずにすっと向こうにいたんだね。それでも、二人が出会わなかったら僕たち子孫が生まれてこなかったのか……」


斗真は遺された当時のジョンソクとラヒの写る写真を眺めながら彼らの事を知ることができて良かったと胸を撫で下ろした。続けて彼はラヒの娘の事を尋ねていくとその彼女も二十歳になった頃、第二次世界大戦が終結し、就職先の繊維工場で出会った男性と結婚をし翌年頃にミリネという娘を出産したという。のちに姉弟も生まれて三人の子どもたちとともに五人で生活をしていき、ミリネは高校を卒業後ソウル特別区市内にある私立大学に入学し一人暮らしを始めていったという。



一九六五年、大学生活にも慣れて友人もできてきた二年生の頃、講義が終わり構内から正門へ出ようとしていった時、遠くから何かの楽器の音が聞こえてきたので、それが気になった彼女は敷地内の中央にある講堂の建物を通り抜けて裏の広場に出ていってみると、聞き覚えのある曲が流れていた。

そこには三人の同期生らしき学生たちがアコースティックギターを持ちながら洋楽の曲を弾き語りしている。しばらくミリネも立ち止まって聞いていると、彼女は以前両親から聞かされていた親族の話を思い出して、秋風が舞う穏やかな空を見上げていた。演奏が終わると周りに集まっていた学生たちが彼らの元に近寄っていき、その様子を見ているとその中の一人の男性が彼女の事に気がついた。


「やあ。君もサークルに入部希望したいのかい?」

「私はただ聞いていただけです。ちなみに今の曲なんていうの?」

「トライ・トゥ・リメンバー。今流行っているアメリカの曲だよ」

「ラジオで聞いたことがあるわ」

「おい、ソンジェ。そこで口説くつもりなのか?」

「違うよ。入部したいのかと思って声をかけただけさ」

「これから用があるので私は失礼します」

「あの……もしよかったら名前聞いてもいいかな?」

「ミリネです。チェ・ミリネといいます」

「僕はキム・ソンジェ。またここでライブをするから今度の木曜日に来て欲しいな」

「考えておきます。じゃあ、これで」


これがミリネとソンジェ、のちの斗真の実の両親にあたる人物との出会いだった。

翌週、ソンジェは講義が終わった後サークル仲間と大学の近くにあるでレコード店へ行き店主から学生同士のライブを開催することを聞かされて、彼らは参加することに意欲を持ち始めていた。


「俺さ、将来音楽の道に進もうか考えているんだ」

「お前はギターが得意だし見込みがあるからな。この間も音楽会社の人と会ってきたんだろう?なんて言っていた?」

「その会社で就職をしたいと言ってみたら、役職の人に聞かせたいからデモテープを持ってまた会社に来て欲しいって言ってくれたんだ」

「マジか?凄いじゃないか。マスター聞いた?ジホが会社決まりそうだって」

「いや、まだ早いよ。今のところは検討中だっていうしどうなるかがわからないよ」

「とりあえずは聞いてからだな。マスター、ビール三つください」

「……どうぞ。それよりお前たち単位の方は大丈夫なのか?」

「はい。今のままでちゃんと講義も出れていったら就職はできるって言われましたし」

「ソンジェは建築の道に行くんだよな。もう一年もないから早いうちに就活しておかないといけないぞ」

「前に大学院に進むかっていう話もしていたよな。その後はどうなったんだ?」

「修士課程が取れたら四年で卒業したい。まあ、親父のところにでもあたってみようかと思っているんだ」


ソンジェの父は一級建築士で母親は幼稚園教諭という安定した家柄の出身。学業の成績もトップという事もあり、周囲からも父親と並ぶ肩書きが取れるのではないかと期待されていた。しかしソンジェ自身はそれに応えることについて疑問を抱いており、人並みに生活ができればそれでいいと考えていた。


日曜日の午前に家族で礼拝堂を訪れたソンジェは、後ろの席に着いて周囲を見回していると数席手前のところに、見覚えのある人物の姿を見つけよく見るとそこにはミリネがいた。声をかけようとしたが礼拝が始まったので着席し、一時間後集まった人たちの中に紛れて彼女に近づいていこうとした。


「ミリネさん!」


彼が声をかけると彼女も気がついて会釈をしてきた。二人は家族に先に帰るように伝えると、誰もいなくなった礼拝堂の中の座席に座ってしばらく話をしていた。

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