第5話

二週間後、醸造所に軍事専用車が一台きて、中から出てきた朝鮮軍の軍事官がジョンソクのいる槽場へと訪れた。


「ここにソ・ジョンソクというものはいるか?」

「あの、社長に何か用件でもあるのですか?」

「いいからその者を連れ出してきてくれ」

「……お待たせしました。私がソ・ジョンソクです。今日はどうされましたか?」

「我が軍事司令官よりそなたに調査したいことがあり封書を届けに来た。これを受け取りなさい」


封書を受け取ると軍事官はすぐさまその場から急ぐように去っていった。ジョンソクは中に入っている書類を取り出すと次の事が書かれていた。


『仁川府にて三十八度線に居住する朝鮮人が侵入し大韓帝国国内に潜伏しているという情報を入手した。これより国内に分布する在韓日本人の取り調べを行ない、潜伏する朝鮮人を匿っていないか、それを発覚した場合は、その者たちを捕らえて軍事官にて処罰する。尚、これらについて大韓帝国の政府に密告した場合、その者の国外追放をも検討する。内密に行動するように協力を願う』


「社長にスパイ容疑がかけられているのですか?」

「もしかしたらありうるのかもしれない。しかし、この工場にはそのような者は一人もいないはず。念のために皆の家族に潜伏している朝鮮人がいないかどうか内密に調べよう。いいか、一人でも知られたら彼らが何をしてくるかわからない。慎重に調べてくれ」

「わかりました」

「あの、ラヒさんにはどう伝えたら?」

「それは僕から言うから心配しないでくれ。みんな、協力をしてこの工場を守るんだ」

「はい!」


その晩、ジョンソクは自宅に帰ると先に帰ってきたラヒに封書の件を伝え、彼女は仁川にいる家族に連絡したいと言ってきたが、あと数日待ってから報告してほしいと返答した。


「あなたに容疑がかかっているなんでそんなの嘘よ。何かの間違いだわ。誰かが日本人が信用できなくなって組織か何かが動いているのかもしれない」

「それもあるかもな。でも、僕は工場に働いている従業員たちの事を信じている。そんなことがないようにこの一帯に住んでいる人たちに気づかれないように君も調べていって欲しいんだ」

「わかった。なんだか、凄く怖いわ。あなたに何かあったらどうしよう……」

「ラヒ、こっちにおいで」


ソファの隣にラヒは腰を掛けるとジョンソクは手を握り、不安げな彼女の表情を伺いながら宥めるように話をしていった。


「ここにいる人たちは皆いい人よ。工場や家族のために一所懸命働いている。誰かがあなたを裏切るなんてことをしたら私達が築いてきたことが駄目になってしまう」

「あまり深く考えすぎるんじゃない。この件が終わった頃には日本へ帰還できるんだ。辛抱するんだラヒ」

「その前に、一つお願いがある」

「何?」

「私達の子どもが欲しい。ねえ、あなたもそうしたいって以前から話していたよね?」


ジョンソクは彼女に微笑みかけて寝室へ行こうと促すと、居間の照明を消して寝室へと行き、二人は互いの温もりを確かめ合うように抱き合った。ラヒの来ていた衣服の背中を開けて脱がし彼は彼女の柔らかい手を自分の頬にあててベッドへ押し倒すと、結った髪を解いて唇を重ねてはジョンソクの身体の重さを腕で引き寄せ色情に濡れながら、ラヒは彼の雄々しさを芯から感じて重ねた身体を絡めて、二人は一つの祈念を創り出そうとしていった。


更に数日が経った頃、ジョンソクはいつものように工場で勤しむ人たちを眺めては醤油蔵のところで蔵人と貯蔵する樽の醤油の鮮度を確かめていると、一人の従業員が彼の元に息を切らしながらやってきた。


「どうした?何をそんなに慌てている?」

「社長。大変です。カンさんがこの数日休んでいる理由が分かったのです」

「とりあえず深呼吸をしなさい。もっと落ち着いて話すんだ」

「あの人の親類の中に平壌に住んでいた人が仁川に潜伏しているそうで……」

「まさか、彼の親類に謀を企てている仲間でもいるのか?」

「ええ。仁川府一帯を打破しようと計画しているそうなんです。もしかしたらそこにいる日本人も捕まってしまうかもしれないんです」

「社長。この際にラヒさんと日本へ行った方が良いのではないですか?」

「しかし、工場の経営するものがいなくなっては続いていかなくなるし、皆も働くところが無くなってしまう。どうすれば……?」

「仁川の本工場にいる工場長に相談してみます。それで対処できるなら簡単には工場は潰れません」

「あとの事は我々に任せてください。今すぐに用意してください」


ジョンソクはラヒを呼び出して急いで自宅へと行き荷物を詰めてから従業員が用意した車で乗りこもうとしたその時だった。朝鮮の軍事官らが醸造所の一帯を匿って彼らを待ち構えていた。


「ソ・ジョンソク社長ならびに阿久津隆司。ここで働いているカン・イェジンの身柄を捕獲した。これから取り調べを行う。我々とともに同行してもらいたい。ついてきなさい」

「社長……社長!」

「隆司さん!」

「……大丈夫。必ず戻るから待っていてくれ」


そう告げると車に乗り込んでラヒや従業員たちが見守るなかジョンソクは京城府へと連れていかれたのだった。

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