入り組んだ裏路地は、まるで迷宮だった。故郷の森ならば目を瞑ってでも進めるが、どちらを見ても似たような木造の建物が立ち並ぶこの場所では、トビアスは無力だ。何度目か、袋小路にぶつかった時に、背後から声を掛けられた。

「よぉ、兄ちゃん。迷子か?」

 トビアスが振り返ると、筋骨隆々の禿げた大男が、ランタン片手に立っている。

「うん。お父さんの用事で、パン屋を探してるんだけど……」

 答える途中で、トビアスは口をつぐんだ。男の右手に小剣が握られているのに気付いたからだ。強盗だ。金貨の音に釣られたんだと、トビアスは悟った。

「パン屋ねぇ……もうちょいマシな嘘つけねえのかよ」

 唸るように言いながら、男が剣先でトビアスの手元を指す。

「そんな大金、テメエみたいな身なりのモンが持ってちゃいけねえ……テメエ、盗っ人だろ」

 大男自身、みずぼらしい格好だったが、それでもましだと思えるほど、トビアスの服装は奇怪で汚かった。

「悪いけど、本当にお父さんのお金なんだ。早く戻らないとだから……」

 トビアスがそう言って動くのに合わせ、男が立ち塞がる。

「おい。その金、置いてけよ。そうすりゃ命は取らねえ」

 脅し文句を口にしながら、男が剣をちらつかせる。ランタンの灯りを浴びた刃がぎらりと光り、トビアスは背筋に冷たいものを感じた。ふと、先代墓守の記憶が蘇る。

 そういえば、おやっさんもこんな風に死んだっけ。流れ者の墓泥棒に刺されて、誰にも看取られず、独りで——。

「おう! 聞いてんのか!」

 男の怒鳴り声で、意識が引き戻された。男の仲間だろうか、気付けばさらに五人、武装した悪党がトビアスに武器を向けている。

「金を置いていけ。さもなきゃ殺す!」

「嫌だ! このお金はお父さんのなんだ!」

 さらに詰め寄られ、トビアスは震えたが、大男から目を離さずに答えた。男たちの目が殺意に揺れだす。

 ——殺される。僕はここで殺される。

「セイヴィヤ様、どうかお救いください」

 首から下げた不細工な聖印を握りしめ、目を閉じて祈る。すぐ耳元で、答えがあった。

「子よ。どうしたのです?」

 状況に反して落ち着いた、穏やか過ぎる声。

「セイヴィヤ様。僕、悪い人たちにお金を盗られそうなんです」

「当然でしょう? そんな大金を、あんな音を立てて持ち歩いたら」

 呆れたような、溜息混じりの返事があった。

「愚かな子。悪魔を信じるからそうなるのですよ」

 トビアスの胸を鋭い痛みが襲う。胸を見下ろすが、男の刃はまだ刺さっていない。まるで時が止まっているかのように、静かだった。

「……セイヴィヤ様、僕が嫌いなの?」

 言葉にせず訊ねると、耳元で小さな笑いが聞こえる。

「……いいえ。嫌いではありません。これは本心です」

「そっか……じゃあ、セイヴィヤ様は僕に死んで欲しいの?」

「……もし、そうだと言ったらどうしますか?」

 まるで冗談を言うかのような調子で、セイヴィヤが答える。

 時が、トビアスの言葉を待ち続けている。長い沈黙のあと、ついにトビアスは答えた。

「それなら、喜んで」

 青年は、いつもの屈託の無い笑みを浮かべていた——父を喜ばせようとする、健気な息子の笑顔だった。

「——愚か者」

 セイヴィヤが嘲るように言うと同時に、時が動きだす。トビアスと男たちの間に、セイヴィヤが立っていた。

「……は? テメエ、おっさん! どっから来やがった?」

 突然姿を現した中年の神父に、大男が吠える。セイヴィヤは軽く一礼して、男たちを見渡した。

「今晩は。良い夜ですね。私、先程話のありました、この子の父親です。この度は、息子が大変お騒がせをしたようで——」

 丁寧に言いながら、一歩、また一歩と、セイヴィヤが男たちに歩み寄る。悪漢たちは突然現れた得体の知れない神父の存在に狼狽し、その歩みに合わせて後退した。

「いかがでしょう? ここはひとつ、見逃していただけませんか? こちらも揉め事は避けたいので」

 大男の目を真っ直ぐ見据え、セイヴィヤが訊ねる。大男は怯える心を凶暴性で捻じ伏せ、セイヴィヤの喉元に刃を押し当てた。

「寝ぼけてんじゃねえぞコラ。勝ち目はねえ。六体二だぞ? 分かってんのか?」

「……そうですね。勝ち目は無いでしょう」

 セイヴィヤが薄ら笑いを浮かべ、次の瞬間、人間の仮面をかなぐり捨てた。神父の貌はみるみるうちに、全てを飲み込む漆黒へと溶けていく。強盗一味はまるで女のような悲鳴を上げ、糞を漏らしながら逃げ出した。

 

 静けさを取り戻した袋小路で、闇が再び神父の姿をとる。完全な人間の身体を取り戻し、セイヴィヤはトビアスに向き直った。

「無事ですか、トビアス?」

 答える代わりに、トビアスは目からぽろぽろと涙を零した。

「……僕のこと、また救ってくれたんですね」

 しゃくり上げるように言いながら、トビアスはコートの袖で涙を拭った。殺されかけたばかりだというのに、自らを陥れた張本人を前に、安堵して泣くとは。まるで迷子になり、親に見つけてもらった子供のようではないかと、セイヴィヤが苦笑する。

「そもそも、貴方をこの状況に置いたのは私ですが」

「それでもです。来てくれてどれだけ嬉しかったか……!」

「愚かな子ですね」

「セイヴィヤ様は本当にお優しい方ですね」

 どこまでも純粋で、どこまでも愚かしく、どこまでも哀れで、どこまでも興味深い。

 この犬はそう易々と手放すまいと、セイヴィヤは思った。

 トビアスの頭を撫でてやる。

「さぁ。一緒に白蜜パンを買いに行くとしましょう。あれを味わう前に死なせるわけにはいきません」

 そう言って歩きだすと、いつものようにトビアスがぴったりと付いてきた。

「パン、半分こしましょうね……大きい方、セイヴィヤ様にあげます」

 歳の割に高い、あどけなさの残る声が、静まり返った夜の街にこだまする。

 可笑しな子だと、旧い悪魔は笑った。

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こよなき悲しみ 第六話 求めしもの かねむ @kanem

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