セイヴィヤが正体を明かしてから、旅はトビアスにとって随分と面白おかしいものになった。トビアスが犬のように引っ付き、取り留めもないことを話し続けるのは相変わらずで、セイヴィヤがそれにいい加減な相槌を打つのも同じだったが、夜毎、野宿をする時にセイヴィヤが変身能力を使って色々なものに姿を変え、トビアスを楽しませるようになったのだ。セイヴィヤが犬に、鴉に、蛇に姿を変えると、トビアスはまるで初めて旅芸人を見た幼子のような歓声を上げ、狂ったように拍手した。セイヴィヤも少しの間はそれを楽しんでいたが、やがてそれに飽くうちに、人間からすれば恐ろしい、ある好奇心が首をもたげるようになった。この青年——悪魔を新たな神として受け入れ、絶対的な愛と信頼を寄せる忠犬を裏切り、死に追いやったらどうなるだろうか。

 愛に飢えた若き狂信者は、死の間際で自らを見捨てたに対し、なんと呼び掛けるだろうか。

 新たな玩具を壊してしまうのは勿体無いことかもしれないが、この変わり者の青年相手に仕掛けた悪戯は、青年に正体を明かした夜に頂点に達し、ひとつの決着を見ている。このあたりで幕引きとすべきなのだ。

 影のように付き従う青年に目をやると、視線が交わり、青年がいつもの緩んだ笑顔を見せる。犬のような尻尾があれば、きっと千切れんばかりに振っていることだろう。

「セイヴィヤ様?」見られていることに気付き、トビアスが首を傾げる。

 自らを待つ運命も知らない間抜け面の犬に、この上なく優しい笑みを返した。

 馬鹿な子だと、嗤いながら。


 夕方頃、セイヴィヤとともに聖都に着いたトビアスは、そのあまりの美しさに言葉を失った。艶やかな石造りの壁が黄昏を浴び、沈みゆく陽を描いた巨大な壁画のようになっている。巨大な門は巨人の玄関口のように見えたし、遠くの方に見える大理石の壁は、まるで宝石のように輝いていた。

 セイヴィヤに続いて門をくぐる。村の神父が常々「碌なところじゃない」と言っていた平民区は活気があり、命に溢れていて、トビアスが今までに見たどんな場所よりも色鮮やかだった。

「すごい……こんな場所がこの世にあるなんて」

 感嘆の声をあげると、セイヴィヤが笑顔で頷く。

「私もこの場所は好きですよ。美しさの裏に秘められた闇、はちきれんばかりの悪逆に満ちていますから。それだけ面白いことも多いんです。たまに訪れると良いものですよ」

「なるほど……悪い人もいるけど、楽しいこともあるってことですね」

 永劫に等しい時を生きる旧い悪魔の言葉を、齢わずか二十一のトビアスは表面的にしか受け取れない。

「まあ、そういうことです」セイヴィヤはにんまりと笑った。

 少しすると夜の帳が下り、人々は各々の家や、部屋を取った宿に吸い込まれていく。人通りが少なくなったところで、セイヴィヤは懐から金貨の入った袋を取り出し、トビアスに渡した。一度たりとも手にしたことない大金に、思わず身震いする。

「トビアス。今から裏通りのパン屋に行って、一番大きな白蜜パンを買ってきなさい」

 薄暗い裏通りを指差しながら、セイヴィヤが言った。

「白蜜パン……ですか?」

 トビアスが首を傾げる。沼の食材に慣れ親しんだトビアスには、白蜜がどんなものか想像もつかないのだ。

「とても甘いものがかかった、美味しいパンです。心配せずとも、店主に訊けばわかります」

「それを買ってくれば良いんですね?」

 セイヴィヤが頷くと、トビアスは笑顔で「すぐに戻ります!」と言い、セイヴィヤが指し示した方に駆け出した。

 さすがは忠犬だと、セイヴィヤが嗤う。トビアスの姿が遠ざかり、裏路地に入って見えなくなったが、金貨の鳴る音は、いつまで経っても聞こえていた。

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