第39話

 祐介さんは、一瞬、ぽかんとした顔をした。そげな顔をされると思っちょらんかった俺は焦って祐介さんを見つめた。祐介さんが照れたように笑う。


「章くん、何を言っちょるんじゃ? だって、俺はあんとき、初めて章くんにうたときに、もう言っちょるぞ? 裕佳子の選んだ男なら、俺は何も言わんっちな。結婚に反対する気なんぞ、これっぽっちもない。﨑里の家に入ってくれるなら、それは歓迎する。ただ、できることなら、子供をあきらめんで欲しい――いや、すまん、これはもう言わんのじゃったな」


 﨑里ちゃんを見た。メバルの頭をつついている。背骨はきれいに身をはがされ、ひれのつけねの身も上手に食べきっている。器用じゃなあと感心した。

「﨑里ちゃんさあ、食事時やけど、子供についての話をしてもいい?」

 おそるおそる持ちかけると、﨑里ちゃんは目を上げて俺の顔を見た。にっこりと笑って箸を置いた。


「いいよ」


 あれっと思った。思いのほか和らいだ表情をしている。


「ありがとうな。今日ここに来たんは、祐介さんに結婚を認めてもらえないかっちお願いに来たん。それと、子供について、どうすべきか、祐介さんにも話を聞きながら、自分の考えを見直したいっち思って」


 﨑里ちゃんの表情が少しかたくなった。


「どうして? どうしてお父さんの意見が大事なの? まずは川野と私の問題じゃないの?」

「いや、それはそうなんやけど……」

「お父さんの意見の前に、川野は私の考えをきちんと把握してるの?」


 﨑里ちゃんの強い口調にたじろぎながらも、はきはきと繰り出される言葉の迷いのなさに、どこかほっとしてもいた。


「ええと、ごめんな、いや、ごめんなさい。今日、祐介さんと話をしていて、今更ながら、自分のわがままに気づかされたん。﨑里ちゃん、俺の、子供はフツーにつくりたいっちゅう願望はいったん忘れて、﨑里ちゃん自身はどう考えとるんか聞かせてもらえん? 子供は欲しいんか、不妊治療をどう思っとるんか」


 﨑里ちゃんは笑った。見るものが自然と一歩引くような、力強くて気品にあふれた微笑みだった。


「私は川野との子供なら欲しい。体外受精や顕微授精をしてでもね。だから、まず、婦人科で自分の体の治療を始めたの」


 そう言うと祐介さんと俺を交互に見ながら言った。


「今日、川野とお父さんがどこまで話をしたのか知らないけど、八月に病院で検査をした結果、私は自然妊娠は厳しいって言われてる。それを聞いたときには、目の前が真っ暗になった。これで子供はできないことは決まったなって。もうそれ以外、考えられなくなっていた。川野に申し訳なくって、川崎に戻ってくる飛行機の中で、本気で別れることを考えていた。でも、落ち着いて考えたら、自然妊娠が困難だというだけで、妊娠ができないと決まったわけじゃなかったんだよね? じゃあ不妊治療をすれば、たとえば私の体調を改善したうえで体外受精を行えば、子供はできるかもしれない、そう考えたら、すっと気持ちが楽になった」


 﨑里ちゃんが俺を見た。


「川野が、それでもいいって、言ってくれるならね」


 わずかに頬を上気させて、吹っ切れたように語る﨑里ちゃんに愛おしさを感じた。


「子供が欲しいという﨑里ちゃんの気持ちは分かった。﨑里ちゃんは、生殖補助医療はどのラインまでが倫理的に許されると考えちょる?」


 少し思案し、俺の目を見つめてゆっくりと口を開く。


「私個人的には、技術として確立してしまったものは、どれもありだと思う。ある問題に対する解決策として新技術が確立されたのなら、それは使ってみたくなるものでしょ? もしその技術の適用でなにか新たな問題が生じるのであれば、新たにそれに対する対応策を講じればいいのであって、開発された技術そのものを否定するのは変だと思うの。ただ、これは極論で、誰もが納得する考え方じゃないってわかっているけどね」


「うん、原則論としてはさ、俺もそれは賛成やわ。でもさ、生殖分野とそれ以外の分野ではちょっと事情が異なるんやないかな? 生殖分野やと、その技術で生み出されるんはひとりの人間なんよ? 技術に100パーセント完璧なものなんてない。もしもその新技術を使うことで子供になんらかの障碍を負わせて誕生させてしまうことになったら、誰がどうやって責任を取るん?」


 﨑里ちゃんが首をかしげる。


「責任をとるって考え方が、もう、障碍者は劣った存在だって考え方だよね。本当は違う。たまたま大多数の“普通の人たち”と少しだけ異なる体や心を持っているだけでしょ? 社会が大多数に合わせて設計されてしまったから、彼らの特徴が不完全さとして浮かび上がっているだけだとも考えられない? だから、彼らがいわゆる健常者と同等な生活ができるレベルにまで社会を変えることがあるべき姿だと思ってる。

 簡単なことではないし、負担が大きすぎると難色を示す健常者もいると思う。でも、障碍のある、なしで自由度が大きくかわらないような社会にするのが私の中でのあたりまえなの。たとえ子供に障碍があったとしても、それを親として申し訳なく思ったりしたくない」


 小さな声できっぱりと言った。


「そうか、﨑里ちゃんの考えはわかった。話を少し戻さしてな。﨑里ちゃんは、俺との子供なら、欲しいっち言っとったな? かつ、確立された新技術は全て受け入れるスタンスやとも。じゃあ、万が一の話やけど、﨑里ちゃんの子宮が妊娠に耐えられないと判明したとき、海外で代理母を依頼することについても、ありやと思う? あるいは、第三者かららんや精子提供が必要となった場合も受け入れる? 

 可能性に線引きするのは苦しいけれど、でもな、現実的な条件下で﨑里ちゃんと俺の子供をもうけることを大前提とするんなら、﨑里ちゃんの子宮で、俺たちふたりの配偶子を使うっちゅう条件で線引きするんが妥当じゃねえ?」


 﨑里ちゃんの挑戦的な笑みがふっと和らいだ。いつのまに、こんな穏やかな微笑みができるようになったんやろう。


「そうかもしれないね。川野が、それで良しとしてくれるなら」


 俺も微笑んだ。


「﨑里ちゃんが、それで良いと考えちくれるんなら、俺もそこを落としどころやっち考えるわ。不妊治療は﨑里ちゃんにばかり負担をかけることになるっち思うけん、いたたまれん気分やけど。期限を決めて、﨑里ちゃんと俺の人生計画ともすり合わせて、不妊治療に望むんがいいかなっち思うわ」


 﨑里ちゃんは俺の顔をじっと見つめてうなずく。


「そうだね、不妊治療だけに一喜一憂しはじめると、苦しいからね」


 ここ半年の経験を思い出し、息苦しくなった。でも、最後にきちんと同意を得ておきたいことがあった。﨑里ちゃんの視線をとらえながら言い添える。


「それからさ、あのな、もしも許してもらえるなら、たとえ不妊治療をするにしても、子供を作っている間は、フツーのやり方も諦めないでもらえんかな? 﨑里ちゃんも俺も不快で、特に﨑里ちゃんにとっては心身ともに苦痛でしかないの、申し訳ねえっち思うんやけど、きちんとセックスするのも……」


 﨑里ちゃんがすっとそらした視線を何気なく追った俺は絶句した。気まずそうな顔をした祐介さんがおった。そうや、すっかり忘れとった……。たぶん耳まで真っ赤になっただろう俺を見て、苦笑する。


「まあ、気にすんな、章くん。今のふたりの話し合いを見ちょっても、いいや、もう、あの高校一年のときの食事会のようすから、章くんなら裕佳子とうまくやっていってくれると思っとったんじゃ。でも、嬉しいわ。章くんと裕佳子が、まだもうしばらく子供をあきらめずにいてくれるっちことが」


 恥ずかしさで何も言えなかったが、その言葉に、さらに胸がいっぱいになった。


「あの日、章くんの交際宣言を聞いたたけが賛成しかねるような態度を取っとったんが、俺はずっと気になっちょったんじゃ。やっぱり、たけは俺と容子のことを許さんのやろうなっち。やけん、章くんが﨑里の家に入ることはたけも認めてくれたっち聞いて、涙が出るほど嬉しかった。たけは子供ができんかったら章くんを﨑里の家にはやれんと考えとるっちことやけど、俺はそれは求めとらんよ。もう、結婚したらいいんじゃねえか? そのほうがいろいろと有利なんじゃねえか?」


 祐介さんはまじめな顔になって言い足した。


「何なら、俺がたけに話をしてみろうか?」


 結婚は﨑里ちゃんと俺の問題だ。でも、父ちゃんは祐介さんへの配慮から、俺たちの結婚に条件を付けちょる。それなら、もう、ここで祐介さんに登場してもらうのもありかもしれん。


「祐介さん、俺には父に対して切れる手札がないんです。やけん、祐介さんが竹史と話して説得してくれるなら、すごく助かります」


「でも、お父さん」

 﨑里ちゃんが口をはさんだ。

「その場には私と章くんも同席させて」


 祐介さんはしばらく無言で﨑里ちゃんの顔を見つめていた。


「そうじゃな。とりあえず、四人……いや、章くんのお母さんもいれて五人かな、関係者がそろった場で話をする必要があるかもしれんな。何といっても、章くんを﨑里の家にもらうという正式なお願いをする必要があるけん。ただな、たけの説得は、ふたりだけにしてもらいたい」

「お父さん!」

 﨑里ちゃんが声を上げたが、祐介さんはもうそのことには触れようとしなかった。

「まあ、飯を食ってしまおう。せっかくの章くんの料理がさめてしもうたな。申し訳ないの」


 その晩、﨑里ちゃんの部屋に泊らせてもらった。部屋の真ん中に置いてあった小さなテーブルを壁に寄せて予備の布団を敷き、明かりを消そうとするとベッドの端に腰かけていた﨑里ちゃんが眉を寄せて言った。

「フツーのやり方、しよう?」


 ちょっと焦った。もちろん、考えとらんわけではなかったけど、でも、祐介さんがいる家でというのは正直言って気が引けた。


「不妊治療にOKしてくれたけど、でも、本当はフツーに子供を作りたいんでしょ? 私たちが一緒に過ごせる時間は限られている。それなら、チャンスは有効利用しないとだめなんじゃない?」


 﨑里ちゃんは眉をひそめたまま笑った。しかめっ面のような笑顔が何とも可愛らしくて、俺もほほえんだ。


「何かお酒、取ってこようか?」

「――いや、﨑里ちゃん、抱きしめて?」

 﨑里ちゃんが不安げな顔になる。

「大丈夫なの?」

「わからん。でも、酒は飲みたくない。とはいえ、このまんまじゃ無理。抱きしめてもらって、運が良ければ勢いがつくし、だめなら、あきらめる」


 そう言いながら俺は明かりを消した。暗がりのなか、﨑里ちゃんが立ち上がって近づき、俺の背に腕を回すと、そっと体を押し付けてきた。そのとたん、皮膚を虫が這うような感覚に襲われ、身をこわばらせて耐える。


「川野くんもぼくも、難儀なことやな」


﨑里ちゃん、いや、たすくがそうつぶやくのがかすかに聞こえた。

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