第36話

「技術はどんどん進歩しよる。今までやったら手の尽くしようのなかった病気の人でも、数年以上の延命が可能になったり、ひとつの治療法が合わなければ別の治療法を選べるようになった。不妊治療――生殖補助医療っち言ったほうが分かりやすかな――も同じや。

 でもな、この世界にある技術をだれもが同じように享受できるわけやない。その時々に最善と思われる治療法を選択できるとも限らない。莫大なお金がかかるものもあれば、体の負担を強いるものもある。その人にとって倫理的に受け入れがたいものもあるからの。

 最終的にどれかを選び取らんといけん。そのときに、自分で決断を下し、最善だと納得できるものは幸せじゃ。それだけは覚えちょって」


 こちらを見た。その目の底には日々印加されていった暗い疲労が沈んでいた。


「生殖補助医療を人工的でふつうじゃないと忌避する人たちもおる。家を存続させることに自分たちの体や時間を束縛されたくないというのも、一理ある。でも――これは俺の私見やけどな――この世の中、個の、いわば刹那的な思いのままに行くことばかりじゃないんよ。自分の存在そのものが、もう、先人から脈々と連なる命の結果じゃろ?」


 祐介さんは目を上げない。淡々と語るその口調にどこか苦し気なものを感じた。


「子孫を残すっちゅうのは、生き物としての存在意義のうちでも、軽んじることのできん、ひとつじゃねえかな? ましてや、社会の一員として、そこから恩恵を受けている以上、それを存続させる努力は必要なんじゃねえか?

 生殖補助医療っちゅうもんは、無から有を作り出す魔法じゃなく、自然の営みに人間が少しだけ手を添えてやるっちことじゃわ。何とかして命をつなごうとして開発されてきた技術を、すべていっしょくたにして否定してしまうんは乱暴じゃねえかな?」


 死と隣り合わせの日常を生きる祐介さんの生に対する言葉には、俺のうかがい知れない深みがあり、たじろいだ。


「それにな、章くん、ふつうかふつうやないかっていうのは、比較対象をどこに取るかによるわな。百年前のひとびとからすれば、人工授精はまだしも、体外受精、顕微授精なんち、もう神様の奇跡か悪魔の所業やろう。でも、昨今の妊娠出産事情を鑑みると、赤ん坊のおよそ十人にひとりが体外受精で芽生えさせられとるんよ。そうなってくると、その技術で子供を授かることは、もう、フツーじゃないとまでは、言えんのやないか?」


 﨑里ちゃん、それにおそらく俺とくるみもその技術により生み出された人間だ。それは抜けないとげのように、常に心のどこかに引っかかっていた。それゆえ俺は今まで自分たちをフツーじゃない人間やと考え、どこか引け目を感じてきた。でも、今となってはもはや異質な存在ではないんやろうか。男女のフツーの営みにより生み出された人間と差異がないかどうかはさておき、この社会においてはありふれた存在なんやと思っていいんやろうか。

 

 静かに紡ぎ出される透明な糸に半ば絡めとられている自分に気づき、あがいた。


「それでも、何もしなければ妊娠できん彼女の体を無理に妊娠できるようにするのは、負担を強いることになりませんか? 彼女を苦しめるのは嫌なんです」


 祐介さんがこちらを見とる。﨑里ちゃんにそっくりな大きな目。そこに映りこんだ秋の蒼穹はどこまでも広く深く、唐突に、父ちゃんが生涯かけてこの人を恋うる気持ちがわかったような気がした。


「裕佳子が左の卵巣を摘出したんは中学生のころで、今の状態についてはよくしらんけん、何とも言えんが、そもそも妊娠出産は、どれだけ健康な母体にとったって、大いなる負担じゃけん。俺たち男はそのことを忘れてしまいがちやけどな。いたるところに、命を落とす可能性がばらまかれとる。命をつくり出すっちいうんは、つくり出す側も文字どおり命がけの仕事よ。それでも、一個の生物として、粛々と続けねばならぬ仕事なんじゃっち、俺は思っちょるよ」


 祐介さんはそう言うと、立ち上がって窓の外を見た。窓の外には初秋の街がくっきりとした輪郭で広がっていた。遠くに川が流れている。川にかかるトラス橋を赤い電車が通っていった。聞こえるはずのないガタンゴトンという音が耳を打った。


 祐介さんが窓の外を向いたままつぶやいた。ささやくような小さな声やった。


「章くん、君には新しい命をつくり出すことを簡単にあきらめてほしくないんじゃ。俺のわがままかもしれん。でも、たけや俺がかろうじてつなぐことのできた命を、さらに次の世代につなげていってもらえんじゃろうか?」


 俺は何も言えず、黙って祐介さんが眺める窓の外を眺めていた。新しい命、命をつくり出す。そこに、どれだけ人の手の介入が許されるんだろう。許される、許されない――それは誰が判断すべきなのだろう。


「俺には、どこで線引きしたらよいのか、わかりません。自分がフツーじゃないけん、ことさらフツーのやり方での子づくりに固執しとったのは認めます。でも、じゃあどこまでが許されるのか、それが俺にはわからんのです」


 祐介さんがゆっくりと振り返った。肩が落ち、一気に歳をとったように見えた。この人も、﨑里ちゃんを授かるまでに苦労したんやろうな、ふとそう感じた。


「そうな、そう簡単な話じゃないな。絶対的な答えも存在せんと思うわ。でも、これ以上俺の意見を押し付けるんは止めちょこう。まずは章くんと裕佳子のふたりで話し合ってみるべきじゃわな。裕佳子とは、この件、きちんと話せちょるん?」


 愕然とした。何ちゅうことか、これまで不妊治療は嫌だという自分の意見を押し付けるばかりで、俺は彼女の意見をなにひとつ聞いてこんかった。そもそも彼女が子供をどれほど欲しがっているのかすら、聞いとらんやないか。


 言葉を失った俺に祐介さんが静かに語りかけた。


「章くん、都合がつくんなら、今日はうちに泊って行ったらどうじゃ? ここまで来て、裕佳子の顔を見んっちゅうのも、冷たすぎるんじゃねえか?」


 ここに来ることを﨑里ちゃんに告げなかったのは、彼女と向き合うのが正直言って怖かったからや。俺が落ち込んだとき、﨑里ちゃんは俺の手を取り、肩が抜けそうなほど強引に引っ張って、彼女の信じる進むべき道に引きずり出してくれとった――袋小路やったこともあるけれど。﨑里ちゃんが悩んでいたとき、俺は何をしてあげたやろう? 﨑里ちゃんみてえな強さを持たない俺には、あげなことはできん。いつもそう思って彼女が自分で立ち直るのを待っとった。でも、せめてそばにいて、出口を一緒に探すことはできたんやないか?


 そう思うと、むしょうに﨑里ちゃんの顔が見たくなった。声が聞きたくなった。話をしたくなった。仕事は念のため明日も休みを取っていた。だから、祐介さんの申し出をありがたく受けることにした。


「ありがとうございます。それじゃあ、お言葉に甘えさしてもらいます」


 そう言ったあと、ふと、あることを思い出し、祐介さんにお願いしてみた。祐介さんは目を丸くした。

「うーん、いまさら、なあ……。はは、章くんだって、困っとるんじゃないんか? それに、あいつだって……。いや、本当のことを言えば、俺も興味はあるんじゃ、たしかに」

 照れたように笑う。置き去りにした過去を探し出そうとする遠い目を見ながら、俺はお願いを繰り返し、とりあえず承諾を得た。


「あの、お礼っちわけでもないんですが、夕食、俺に作らしてください」


 祐介さんは、ありがたい、今日は晩メシの準備を裕佳子に頼まれちょって、どうしたもんかっち悩んどったんじゃと笑った。



*   *   *   *   *   *

補足説明です。

2021年に体外受精で生まれた子どもは6万9800人で、一年間に生まれる子供のおよそ11人に1人に当たる計算となります。この36話の舞台は近未来(2030年代)を想定しており、2021年から前述の割合がどう変化していくか見通せませんが、ざっと10人に1人とさせてもらいました。

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