川野くんもぼくも、難儀なことやな。
第35話
十月第一週目の木曜日、祐介さんに都合をつけてもらって、俺は川崎へと出向いた。﨑里ちゃんには連絡しなかった。祐介さんとふたりだけで話したかったのだ。不安と期待に胸がつかえるような不快感を抱えつつ新幹線に乗り、新横浜経由で川崎についた。関東に来たのは人生三度目で、川崎に来たのは初めてだった。大阪よりも太陽が黄色く、ざらりとした空気がのどを刺激するように思えた。
祐介さんとはばあちゃんの葬儀以来、一年ぶりの再会になる。急な申し出であったにもかかわらず都合をつけてくれて、最寄り駅までわざわざ迎えに来てくれた。﨑里ちゃんは大学に行っており、今日は夜まで帰ってこないらしい。
二十四階建てマンションの二十階に﨑里家があった。リビングに通され、挨拶もそこそこに本題に入った。
「裕佳子さんとお付き合いさせていただいとりますが、俺たちの将来についてご相談したくて、お邪魔さしてもらいました」
そう話し始めると、気のせいか、祐介さんの顔がややくもった。
「俺は裕佳子さんと結婚したいっち思っとります。裕佳子さんは一人娘なんで、結婚さしてもらうなら婿入りする必要があるやろうと覚悟しちょります。昨年末、うちの父からは、俺が﨑里の家に婿に行くことは認めると言われました。ただ……結婚自体について、裕佳子さんに子供ができるまでは認めんと条件付けられています。祐介さんにこげんことを言うのは申し訳ないし恥ずかしいんですが、半年、ふたりで試してきました。でも子供はできず、病院で検査を受けたら――裕佳子さんが妊娠しづらいことが判明したんです」
さすがに、祐介さんにであろうと、﨑里ちゃんのからだのことを告げるのは気が引けた。でも、この話を進めるには正直に明かしたほうが良いと思った。
「彼女と結婚したい気持ちに変わりはありません、でも、俺としては、これ以上、彼女の体と心に負担をかけたくないんです。つまり、不妊治療をしてまで、子供をつくりたくはないんです」
そこまで一気に吐き出し、この先どう続けようかと口をつぐんだ瞬間、祐介さんが口を開いた。
「まず最初に聞きたいんじゃけど、たけは、なんし、そげな妙な条件を付けたん? 﨑里の家に章くんが入ることは認めてくれたんじゃろ? やのに『子供ができんのなら結婚は認めん』とは、どげんこと? 﨑里家に後継ぎができん可能性があるっち危ぶんどる、それも章くんの事情でっちゅうように聞こえるけど?」
――そうやな、俺の話をきちんと聞いていれば、まず、父ちゃんの条件に違和感を抱くわな。いずれは話すことになるんやろうと覚悟しとった。やけん、明かすことにためらいはなかった。祐介さんの顔を見ながら、はっきりと言った。
「それは、俺が同性愛者だからです」
祐介さんは俺の顔を見つめていた。わずかに翳った表情には、嫌悪や侮蔑は感じられなかった。それどころか、驚きすら、その表情には見いだせなかった。なんし? 知っとったっちこと? 祐介さんは静かに口を開く。
「ごめんな、嫌な気持ちにさせたかもしれんな。この件を話し合う上での、章くんの覚悟のほどを知りたかったんじゃ。同性愛者だということをあげつらうつもりはない。章くんと裕佳子が互いにじゅうぶん納得しおうとって、さらに章くんに子供を作る能力があるんなら、個人的な指向は俺が口を出すことじゃねえけんな。問題は、裕佳子のほうか。あの子は不妊治療について、なんち言っちょるん?」
同性愛者であることをあげつらうつもりはない? その言葉に釈然としないものを感じた。父ちゃんのことは拒んだのに? 自分がその対象でないなら、同性愛にも寛大だっちこと? いや、後継ぎさえできればいいっちこと? でも、今は﨑里ちゃんの話に戻らねばならなかった。
「体に問題があると判明する前は、不妊治療には肯定的でした。ためらいがあったんはむしろ俺のほうで、彼女はそげな俺を叱咤してくれてました。でも、結果を知らされた今、衝撃を受けています。不妊治療についてどう思うようになるか、わかりません」
祐介さんは何も言わず、じっとこちらを見つめとる。
「子供を作ろうとしてきたこの半年、今回も駄目だったっち聞くたびに俺は気落ちしとりました。自分のことで精いっぱいで気づいとりませんでしたが、実は彼女のほうが落ち込んどったんかもしれません。もっと気遣ってあげるべきでした」
そう言いながら目を落とした。
「俺は子供がすごくほしかったんです。でも、自分がフツーじゃないけん、子供にはフツーじゃないなんて気持ちを味わわせたくなかった。だからできるだけフツーの手段で子供を作りフツーの環境で育ててあげたかった。それで、彼女に、子供は欲しいけれど人工的なことはしたくないっち言い張っとったんです。彼女はその気持ちを汲んでくれとりました。だから、今回、彼女が自然妊娠するのは難しく、俺たちに自然なやり方で子供ができる可能性はごくわずかと判明したいま、必要以上に自分を責めてしまっとるんじゃないかっち心配しとります」
祐介さんは静かに問うた。
「章くんは、不妊治療は嫌なん?」
俺も静かに答えた。
「――嫌です」
祐介さんはテーブルの上を見るともなしにながめ、しばらく口ごもったのち、ゆっくりと、つぶやくように語り始めた。
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