第34話

 二日後に﨑里ちゃんが川崎に帰ったあと、これからどうしたらよいものか思案に暮れた。良いアイデアは浮かばず、考えあぐねた俺は、まず、母ちゃんに相談してみることにした。


「﨑里ちゃんと検査しに行ってきた。﨑里ちゃんは子供ができにくい体っち言われて落ちこんどる」


 俺がそう告げると、母ちゃんは声のトーンを落とした。


「そうか。それはショックやろうな。章のために子供を産むって、あんなに張り切っとったもんな」

「もう、どうしたらいいんか、わからんわ」


 そう漏らした俺に、母ちゃんは冷静に返した。


「章、あんたが泣き言を言っとったらいけん。あんた自身はどうなん? 子供、欲しいん?」

「欲しいか、欲しくないかっち言われれば、そりゃ欲しい。でも、子供と﨑里ちゃんを天秤にかけるなら、﨑里ちゃんを取る」


 一瞬、母ちゃんは黙り、改まった声で聞いた。


「なあ、章、あんた好きな男はおらんの?」


 電話でよかった。俺は真っ赤になってうろたえていただろう。母ちゃんと面と向かってそげん話をするのは勘弁やった。思わずどもる。


「い、いきなり何言うん?」

「あんたは同性愛者や。本当に好きになるんは、女やなくて男やろ? 裕佳子ちゃん以上に、というか、裕佳子ちゃんとは別の“好き”を感じている男がおるんやないん?」

「――それは、おらんわけやない」


 その答えにも母ちゃんは動じなかった。


「もしその人と裕佳子ちゃんどちらかを選べっていわれたら、どうするん?」

 背筋がすうっと冷たくなった。

「俺が本気で好きになった男は一人だけで、そいつとは親友として付き合っとる。もうすぐ子供も生まれる。﨑里ちゃんとあいつとどっちを取るかっち言われたら、﨑里ちゃんを取るよ」

 そう言って、泣き笑いのような笑みを浮かべた。母ちゃんには見えんかったやろうけど。


 母ちゃんがため息を漏らすのが聞こえた。


「そうか。章、辛いな。でも、自分が恋した相手以上に大事に思える女性ができたっていうのは、幸せなことでもあるな」

 そして母ちゃんは言葉をつづけた。


「母ちゃんもな、父ちゃんを取るか、子供を産むことをとるかって聞かれとったら、間違いなく父ちゃんを取ってたわ。自分にとってかけがえのない人が見つかったんなら、その人を、まずなにより大事にせんとな。母ちゃんの経験上のアドバイスや」


 そう言うと照れたように笑った。


「母ちゃんは、父ちゃんが同性愛者だって知ったうえで結婚した。私のことを女として愛してくれんだっていい、でも、この世を渡っていく孤独な仲間として、支え合いながら生きていきたいって思ったんよ。子供を作ることは頭になかった。だって、手も握れん男女が子供を作ろうなんて思わんもんな。章、結婚して子供を授かるのは、当たりまえのことじゃない。そこは勘違いしたらいけん。子供ができるんは文字どおり有り難いことよ? 妊娠を結婚条件にするなんて、ちょっと傲慢かもしれんって、母ちゃんは思うわ。父ちゃんには考え直してもらえんもんかな」


 静かに息を吐き、口をつぐんだ。俺はふと思い出して尋ねた。


「母ちゃん、母ちゃんはいつ俺が同性愛者やって気づいたん?」


 母ちゃんは少しだけ黙り、再び口を開いた。


「気になりはじめたんは、章が中学二年の八月の面会のときやな。暑い日でさ、あの日は四人で会って、ファミレスに入った。覚えとる? 私の横がくるみ、向いが章と竹史やった。店内はごった返しとって、ときおり女子高生や若い女性客があんたたちの後ろを通っていっとった。そのたびに、香水やら制汗剤やら、若い女性らしい香りと、それでも隠し切れん女性の体臭が漂っとって、父ちゃんはかすかに眉をひそめとったん。ふとあんたに目をやると、同じようなタイミングでわずかに肩をこわばらせるもんやけえ、この子も女性が苦手なんやろうかって気づき、もしかして、って気にするようになった」


 その観察眼の鋭さに呆れた。


「同性愛者やなって思ったのは、高校一年の夏やな。六月、七月、八月の面会の時かな。学校の話を聞かせてもらってるときに、あんたが抱きしめたいくらい可愛らしい笑顔を見せることがあった。全部、同じ男の子の話をするときやったわ」


 急に不安になった。


「俺、そげんあからさまに顔に出とったん? 誰でもわかるくらい?」

 母ちゃんはがははと豪快に笑った。

「まさか! 誰にもわからんかったやろうよ」

「だって、母ちゃんすぐ分かったんやろ?」


 母ちゃんは小さな子供を諭すように言った。


「あんな、離れて暮らす母親の子供に対する観察眼を舐めたらいけん、それに、離れて暮らす、夫にまだ未練のある妻の目もな」

「あ、そうなん?」

「とにかく、章、裕佳子ちゃんをいたわってあげな。こんな特殊な結びつきを承諾してくれて、その上あんたに尽くそうとする女性なんて、そうそうおらんで。いや、女と限らんな、男だってや」

「それは、もちろん、そうするつもりなんやけど、でも、どうやったら彼女を慰められるか、もうわからんの」


 母ちゃんも、そうやなあ、と言いながら少し考えこんだ。


「父ちゃんがあんたらに子供ができるまでは結婚を認めんとかたくなやったんは、祐介さんに配慮してのことやろ? 裕佳子ちゃんの体が妊娠しづらいと判明した今となっては、父ちゃんと話していてもらちがあかん。一度、祐介さんと直接会って、ふたりだけで結婚について話してみたらどうや?」


 祐介さんと俺とで話をするのか。気づまりやった。でも、それしかないと気づいてもいた。そうするよう誰かに後押ししてもらいたかったのだ。


「母ちゃん、ありがと。そうするわ。あ、そうや母ちゃん、サドのニンニク醤油憑け、今年も作った? もしあるんやったら、ちょっと送って」


 母ちゃんは笑って、了解してくれた。それから一週間もたたぬうちに冷蔵便で懐かしい母ちゃんとばあちゃんの味が届いた。

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