でも、うまくはいかなかった。
第29話
「裕佳っちいー、久しぶりー! 会いたかったよ!」
ワインレッドのドレス姿の美羽がホテルのエントランスホールに入ってくるなりそう叫んで、﨑里ちゃんに飛びついた。﨑里ちゃんも笑って抱き合っちょる。光沢のあるドレスに大ぶりのイヤリングとネックレス。華やかな香水のかおり。アップにして複雑にアレンジされた髪の毛。少しきつめの化粧――きっとドレスに合わせちょるんやろう。ぱっと華やかな顔立ちの彼女にすべてが良く似合っちょる。でも、女性らしさを全面に押し出した美羽に俺はひるんでいた。黒木ちゃんも美羽もくるみも、なして女の子はみんな、こげん変わってしまうんやろう。
ちらりと﨑里ちゃんを見る。いや、ここまで変わらんのは、正直言って心配になる。彼女は淡いモスグリーンのパンツスーツで、相変わらず襟足を軽く刈り上げた男子高校生風のショートヘアだ。細い金のネックレスと小さな金のイヤリングがかろうじて華やかな舞台に臨む姿であることを示している。子供のようにつやつやした顔にはほとんど化粧っけがない。彼女を見ていると、俺としては、肩の力を抜いていられる。でも、本当にこれでいいんやろうか?
細い手足は思いのほか筋肉質で、のみで大胆に削り出されたような横顔は高校生の頃の祐介さんの写真を彷彿とさせる。彼女と一緒におると、清冽な川の流れに身をひたしているような気分になる。子供のころ泳ぎに行った
﨑里ちゃんが男でないことは間違いない。いくら男の子みてえな頭で男の子みてえな服装をしとったって、彼女に男を感じたことは一度もない。薄手のシャツ姿の胸元が目に入りそうになるたび慌てて目をそらすが、そこにかすかなふくらみがあることを俺は知っている。彼女の肢体に女であるというまぎれもない事実を突きつけられたなら、この危うい恋情は水たまりに落ちた綿菓子のようにすっと消えてしまうのではないか、そんな不安でいつも心が乱される。
村居っちがやってきた。スーツ姿でかしこまったこいつを見るのは初めてだったが、市役所勤めも三年目、俺よりはるかに板についている。そうか、変わってしまうのは女性だけじゃなかったんやな。それはそれでそわそわした気持ちになった。
「章、久しぶり! おまえ、なんかすげえ変わったなあ」
村居っちはあからさまに眉をひそめた。
「ええー、そんねえ変わった?」
「なしてそげん痩せたんな? 可愛らしさがのうなったぞ」
「えへ、つまり、渋い大人の男になったっちこと?」
「できそこないの死神って感じ?」
「村居っち、ひどくね?! だいたい、そげん痩せとらんし」
司会である俺たちはエントランスでゲストを出迎え、美羽と村居っちが担当する受付に、そして割り当てられた客室へと案内する。
全員がホールに揃ったところで、式が始まった。白いタキシードとドレスの新郎新婦が登場し、ホールは心地よい緊張感に満たされる。十五名のゲストが見守る中で﨑里ちゃんが開式を宣言する。誓いの言葉、指輪交換、婚姻届けへのサイン。二階への吹き抜けとなったエントランスホールの大きな窓から差し込む冬の光に照らし出され、矢野っちと黒木ちゃんは神々しいほどに輝いている。みんなに心から祝福されるふたり。指輪や書類をふたりに渡しながら、俺はただ圧倒されていた。新郎新婦がお色直しに退場し、ゲストはレストランへ移動していく。
「黒ちゃん、白いドレス似合っとったねえ。あ、もう黒ちゃんやないな、結衣ちゃんって呼ばんとな」
美羽がため息をつきながら言った。
「だよねえ。デザイナーさんと何度もやり取りして作ってもらったって言ってたよ。本当に結衣ちゃんの優しい雰囲気にぴったりのドレスだったよね」
﨑里ちゃんがうっとりとした顔で言う。うっとり? 彼女もドレスに興味はあるん? 意外やな、そう思ってから、はっとした。俺は﨑里ちゃんのことを実はほとんど知らないんやないか? だって俺たちが――いや、俺が彼女にちょっかいを出しては恋人のように独占してみせとったんは、高校一年の後半半年だけなのだ。しかも、そのたわいない恋人ごっこは、基本的に平日の教室限定やった。
披露宴が始まった。総勢十九名のこじんまりとした宴会なので、和気あいあいとしたものだ。﨑里ちゃんと俺は、矢野っちたちと練り上げた進行表に従って、宴を進めていく。
グレイのチェックの三つ揃いの矢野っちとオレンジ色のカクテルドレスの黒木ちゃんが入場し、拍手で迎えられた。﨑里ちゃんがよそ行きの、非の打ちどころのない笑顔を浮かべ、改めて新郎新婦の紹介をする。
新郎新婦の生い立ちのビデオ、祝電の披露、ケーキサービス――もちろん黒木ちゃんの手作りだ、参加者からの祝辞、ちょっとした余興、それに新郎新婦からの両親への感謝のことば。そして、矢野っちと黒木ちゃんの希望で、友人代表――つまり、﨑里ちゃんと俺――の祝辞でお開きとなる。俺たちはふたりで作り上げた心からのお祝いのことばを交互に語りあった。
「矢野っち、黒木ちゃん、おめでとう! 今回司会を努めたそちらの﨑里とわたくし川野は、式の最初に申し上げましたように、このふたりが付き合い始めた高校一年の時からの友人です」
「テスト勉強を一緒にしたのが、ふたりの距離がぐんと縮まるきっかけだったそうです。矢野くんの見事な指導に黒木ちゃんが一目惚れ、でも同時に、ひたむきな黒木ちゃんの愛らしさに、矢野くんのほうも、あっという間に心を奪われたそうです」
「矢野っちは心を奪われただけじゃなく、胃袋も完全につかまれとったな」
「黒木ちゃんは、高校一年のころから、もう料理が上手だったからね。私たちも、何度か黒木ちゃんの料理をご馳走になったよね。本当においしかったなあ。でも、矢野くんだって、奪われてばかりじゃないかったよ?」
「えー、どういうこと?」
「黒木ちゃんの唇を盗んでいたもの。あの日、夕方の図書室で――」
「ええー? 図書室? いや、俺が目撃したのは放課後の教室やろ、体育館の裏やろ――」
「……それくらいにしておこう?」
くすくすと明るい笑い声が起きる。黒木ちゃんは微笑み、矢野っちは真っ赤になって、それでも笑っている。
「恥ずかしがりやに見えて、実は意外なほど好奇心が強くて行動力のある矢野っちと、穏やかでとことん優しいんやけど、実は芯の強い黒木ちゃん。このふたりが支え合うなら、どんな困難が起きようとも上手に乗り越えて行けることでしょう」
「今日のこの日はスタートラインじゃありません。ふたりはとうに手を取り合ってスタートを切っています。今日はふたりが名実ともにかけがえのないパートナーとなるひとつの節目の日。どうか、これからも、さらに仲睦まじく、幸せな人生を歩んでいってくださいね」
ゲストの皆が盛大な拍手を送ってくれた。﨑里ちゃんが新郎新婦ににっこりと極上の微笑みを送った。隣で俺も、泣き笑いのような笑顔を浮かべた。
披露宴がお開きになったあと、ゲストはエントランスホールに準備された自由歓談の席に移動した。流れに任せて村居っちたちとそちらに向かっていた俺は、﨑里ちゃんに促され、ホールの準備をざっと確認すると、矢野っちと黒木ちゃんの控室に行った。着替えの終わったふたりが迎え入れてくれた。
「黒木ちゃん、矢野くん、もう一度おめでとうございます。お式も披露宴も無事に終わってよかった。お疲れさまでした」
﨑里ちゃんがはきはきと言う。黒木ちゃんが感に堪えぬように腕を広げ、﨑里ちゃんに抱きついた。﨑里ちゃんが、おめでとうね、本当にきれいだったよ、素敵だったよ、と声をかけながら抱きしめる。うれし涙を流す黒木ちゃんの背中を優しくさすり、ぽんぽんと叩く。矢野っちがそれを柔らかな目で見守っている。黒木ちゃんを抱きしめながら、﨑里ちゃんが言った。
「川野、川野も矢野くんにお疲れさまとおめでとうのハグ」
は? 俺? 矢野っちを? そげんことできるかよ、と焦って矢野っちを見た瞬間、俺は抱きしめられた。
「川野くん、ありがとう。本当に嬉しかったよ。何度も無理を言ったのに、全部聞き入れてくれて、本当にありがとう。これからも、僕の親友でいてください」
矢野っちに、矢野っちに抱きしめられて耳元でそげんことをささやかれ、俺はもう呆然とするしかなかった。矢野っちが抱きしめる力をひときわ強め、声を潜めて言い添えた。
「それから、川野くんこそ、おめでとう。式はいつ? ぜひ招待してな」
﨑里ちゃんのからかうような声がどこからか聞こえた。
「矢野くん、抱きしめすぎ。川野が目を白黒させてるよ。ほら、そろそろ離さないと、新婦がやきもち焼くよ」
そう言われても、矢野っちの腕は緩まない。抱きしめられながら思った。﨑里ちゃんも、こげな気分やったんやろな。幸せで、でもどこか後ろめたくて。今がずっと続けばいいねえっち願いながら、頭んどこかで、次に踏み出す一歩のことを考えはじめとる。
「矢野っち、ありがとう。俺ん方こそお願いします。いつまでも親友でいてください」
俺がそう言うと矢野っちはようやく腕を緩め、あの大好きだった微笑みを浮かべた。俺に向けて。俺だけのために。
黒木ちゃんがおっとりと言った。
「そろそろ、エントランスホールに行かん? 四人とも、ほとんど何も食べてないもんな。すっかりおなか減ったわ」
﨑里ちゃんも微笑みながら言う。
「そうだ、エントランスホールの料理、一部は黒木ちゃんの手作りなんだよね? カリフラワーのフライと鶏飯のおにぎりとロシアケーキがあったはず! なくなる前に、早く行かなきゃ!」
「うん、行こう行こう! 他にもな、鴨のパストラミとスモークサーモンのサンドウィッチがすごくおいしそうやったよ。まだ残っとたらいいけどな」
黒木ちゃんが﨑里ちゃんの腕を取って出ていく。ごはん、ごはん、とふたりで歌っている。ええー、黒木ちゃん、ここは矢野っちとふたりで行かないかんのやねえん? 思わず矢野っちの方を振り返ると、苦笑している。
「僕らも行こう」
「そうやな」
俺たちは腕を組みはしない。ふたりで、元気な女性陣のあとをえっちらおっちら追いかける。
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