第25話

「父ちゃん、母ちゃん、にい、裕佳ちゃん、じゃーん、こちらが遼平くんでーす!」


 夕方、彼氏とともに帰宅したくるみは、家の外まで聞こえるんじゃないかというくらいの大音量で、自慢の彼氏を紹介してくれた。遼平くんは背が高くってがっちりしており、母ちゃんやくるみに負けず劣らず貫禄がある。俺が体当たりしてもびくともしなさそうだ。くるみが全力でぶつかったら、ちょっと危ういかもしれない。ずっとにこにこしてくるみを見つめている様子が初々しかった。


「ねえ、くるみちゃん、遼平くんとはどうやって知り合ったの?」

「えへー、友達とその彼氏の紹介でなん。絶対私とぴったりやけんって、えへへ。あの子たちには感謝感謝やわ」

「そうなんだ! そのお友達、くるみちゃんのことも遼平くんのことも、すごくよく理解していたってことね? そんなお友達がいるっていうのも素敵じゃん!」


 﨑里ちゃんの声も弾んでいる。ああ、これが本当のガールズトークだよ。ガールと言うにはちょっと歳くっとるけどな。


「ねえねえ、遼平くんのどこに惹かれたの?」

「一番は、頼りがいのあるところかな? やっぱ、女子としては、守ってもらいたいっちゅうか、いざというときにドーンと受け止めてくれる男の人がいいなあっち」

 思わず、父ちゃんと顔を見合わせて苦笑した。おまえが言うか?


 母ちゃんは相変わらず良く食べる。﨑里ちゃんの言葉ではないが、その食べっぷりには嫌味がなく、見ていて爽快になるほどや。くるみもまた遠慮なく食べる。遼平くんの目の前で、そげん食いまくとって大丈夫なんっちこちらが心配になるくらいの食欲やけど、にこにこと笑いながらいかにもうまそうに料理をほおばる姿は、我が妹ながら愛らしい。遼平くんも同感らしく、ときおりうっとりとくるみを見つめとる。まっすぐに惹かれ合う妹とその恋人の様子に、兄として素直な祝福の念を抱きつつも、どこかうつろなやりきれなさを感じずにはおられんかった。


 母ちゃんお得意の具沢山巻き寿司に、大根とカリカリジャコのサラダ、ゆで白菜のおかか和え、カマンベールのオムレツ、イサキのムニエル、ホウレンソウとパプリカのロールチキンの夕食に加え、リクエストに応じて俺たちがモールで買ってきたサーモンのテリーヌ、スモークオイスターとビーツのサラダ、クルマエビとオリーブのマリネまで、早々に三人が平らげてしまった。ちょっと待て、これって、このあとの酒宴のつまみじゃなかったん? ピスタチオとアーモンドの燻製だけは死守した。


 ビールを飲み、ワインを開け、焼酎をちびちびなめながら、六人という、我が家ではめったにない大人数の夜が更けていった。ちなみに、酒のつまみにはおでんが出てきた。母ちゃんの梅酒を炭酸水で割って飲んどった﨑里ちゃんが、ことん、と音を立ててグラスを置いた。


「竹史さん、真弓さん、それにくるみちゃんと遼平くん、お願いがあります」


 﨑里ちゃんの改まった口調に、みんなが目を向ける。﨑里ちゃんは紅潮した顔をわずかに緊張させて口を開く。


「章くんを私にください。私が幸せにしてみせます」


 俺は焼酎にむせた。げほげほとせきこむ横で、くるみと遼平くんと母ちゃんが目を見張り、次の瞬間、喝采して叫んだ。


にい、おめでとう! なんか男女逆じゃねって思うけど、とにかくめでたいわ!」

「章さん、素敵っす! こげな場に居合わせられるなんて、俺、俺、今、むちゃくちゃ感動してます!」

「章、あんた、良かったなあ! 裕佳子ちゃん、こんな不出来なやつで良ければ、どうぞどうぞ、持ってってちょうだい!」


 父ちゃんだけがあいまいな表情を浮かべ、黙っていた。気づいた母ちゃんが肘でそっとつつく。当惑した顔にぎこちない微笑みを浮かべて、言った。

「裕佳子ちゃん、本当に章でいいんか? 章は、俺と同様、出来損ないの人間やけど、こいつで、いいんか?」


 﨑里ちゃんは包み込むような笑みを浮かべて父ちゃんに言った。

「竹史さんや章くんが出来損ないだって言うなら、私だってそうです。ただ、出来損なっている部分が違うだけです。だからこそ、互いに補い合えるんだと思っています。竹史さんが真弓さんと補い合って生きてきたように」

 最後はかすかに哀切な調子を帯びた。そしてきっぱりと繰り返した。

「章くんをいただけますか?」


 﨑里ちゃんのまっすぐな視線から逃げるように父ちゃんは目をそらし、俺の方を見た。

「章、おまえはどうなんや?」

「どうって?」

「裕佳子ちゃんと一緒に生きていけるん? 彼女を、幸せにしてやれるん?」


 俺は一瞬口ごもり、言った。


「﨑里ちゃんを幸せにしてやれるかどうかは、わからん。だって、それは彼女の感じ方なんやけえ。でも、俺が幸せになれることは間違いない。彼女がそう言うんやったら、絶対そのとおりになるけんな」


 くるみが噴き出した。

にい、それひどいわあ。正直に言えばいいってもんやないで! 父ちゃんも収集つかなくなっとるやん」


 﨑里ちゃんも笑い、母ちゃんも苦笑している。あっけにとられていた遼平くんもすぐに笑いだした。父ちゃんだけが無表情の顔をいくぶん青ざめさせ、口元をこわばらせている。くるみが明るい声で付け加えた。

「父ちゃん、心配しすぎ。にいは臆病もんで気難しややけど、その分、堅実やけん、そんねえ心配いらんわ。とりあえず、お祝いや、みんなで改めて乾杯しよ!」


 母ちゃんが秘蔵のラガヴーリンの十六年ものとショットグラスを出してきた。で飲むウイスキーはくらくらするくらい薫り高く、なまめかしい味がした。


 遼平くんが帰り、ざっと片づけを終わらせると、くるみと母ちゃんは先に休んでしまった。父ちゃんはずっと黙りこくり、﨑里ちゃんも黙っとる。不安になってきた。

「――父ちゃん? 父ちゃんは﨑里ちゃんと俺が結婚するのは反対なん?」

 父ちゃんはため息をついた。

「章、しばらく裕佳子ちゃんとふたりにしてくれん?」

 納得がいかなかった。酔いが後押ししてもいた。

「父ちゃん、それはできん。なんし俺がおったらいけんのな? 裕佳子は――俺のパートナーになる人です。彼女に話をするなら、俺もここにおらしてもらいます」

 﨑里ちゃんが咎めるような目を向けたが、無視した。

「わかった。じゃあ、おったらいい」

 感情の読み取れない声でそう言うと、父ちゃんはショットグラスに残ったウイスキーを飲み干した。どうせ酔わんのに、なんし飲むんやろ、ぼんやりそう思った。


「裕佳子ちゃん、章が、同性愛者であることは知っとるな?」

 﨑里ちゃんは、はいとはっきり返事をした。

「端的に言うと、子供をどうするのかってこと。裕佳子ちゃんのお父さん――祐介は、昔から、家を守るということに強い使命感を持っとった。裕佳子ちゃんはそげな祐介の一人娘や。祐介としては、きちんとした男と結婚して子供を、できれば男の子を生んでもらいたいと思っとるやろう。裕佳子ちゃんが言った、章をください、というのは、﨑里の家に婿入りさせてほしいという意味やろ? それは構わん。川野の家を継ぐ必要はない。そもそも俺も、小嗣こつぎの家を絶やしてしまった人間やからな」


 “小嗣こつぎ”という言葉を聞いた瞬間、﨑里ちゃんの肩が震えた。


「でも、たとえ婿入りさせたとしても、章がふつうに子供を作ることは無理やないか? 章?」


 俺は返事ができなかった。そのとおりかもしれん。でも認めたくない。黙ってうつむいた。身の置き所のない静寂。父ちゃんが悄然とした口調でつぶやいた。

「それなら、俺は、おまえと裕佳子ちゃんの結婚を認められん……」


 﨑里ちゃんがきっぱりと反駁した。


「竹史さん、それは気にしないでください。ふつうのやり方以外で子供を作る手立てなんて、いくらでもあります。現に、私だって、そうして作り出された子供なんですから」


 その言葉に顔をこわばらせた父ちゃんは、﨑里ちゃんから一瞬俺に目を走らせ、すぐにそらした。﨑里ちゃんはそげな父ちゃんを見つめ、さらに続けた。

「章くんは同性愛者ですが、でも、子供はふつうに作りたいと切望しています。それが叶うかどうかはわかりませんが、試してみる価値はあります。もしそれが難しいという結論になったら、そのときに不妊治療に進めばいい。私はそう思っています。だから、跡継ぎを作るということについて、“健全”な不妊夫婦が抱える以上の問題は、ありません」


 そう言って、花が咲くようににっこりと微笑んだ。父ちゃんは肩を震わせた。

「裕佳子ちゃん、それでいいん? そげないびつな人生、本当に望んじょるん?」


 﨑里ちゃんは竹史から目をそらし、うつむいた。心ここにあらずといった風情でつぶやく。


「私が心から望んだ人は、もうこの世にいません。決して見ることもできない、触れ合うこともできない。だけど、私は章くんのそばで安らぎを感じながら、同時に、章くんのなかにその人を感じ取っています。章くんとあの人は混然一体となり、ときに私は誰を愛しているのかわからなくなるのですが、でも、それも含めて章くんその人だと思っています。

 あの人を思い続ける限り、私は章くんから離れることはできません。そして、私があの人を忘れることはないでしょう。だから、私は生涯章くんのそばにいて、章くんを愛し続けます」


 﨑里ちゃんが目を上げ、竹史を見つめる。


「同様に、竹史さん、あなたのなかにも、あの人を感じ取っているんです。かつての、あなただった、あの人。もしも、もしも許されるのなら、一度だけ、抱きしめてもらえませんか? 竹史さんのなかのあの人に、お別れを告げたいんです。ひとつの区切りをつけたいんです」

「﨑里ちゃん!?」

 思わず息をのみ、隣に座る彼女に向きなおったが、その横顔が涙で濡れているのを見て何も言えなくなった。父ちゃんは静かに涙を流す﨑里ちゃんをしばらく見つめていたが、無言のまま立ち上がり、﨑里ちゃんに近づくと、背に手を添えてそっと立ち上がらせ、静かに抱きしめた。﨑里ちゃんが父ちゃんの腕の中で泣きじゃくるのを俺は黙って見ているしかなかった。

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