第22話
翌朝、目を覚ますと、﨑里ちゃんはおらんかった。布団はきっちりとたたまれ、そのわきに﨑里ちゃんの荷物が置かれちょる。ちっとも眠った気がせんかったけど、それでもなんとか着替えて居間に降りていくと、父ちゃんが新聞を読みよった。台所から母ちゃんとくるみと﨑里ちゃんの声がする。楽しげだ。
「父ちゃん、おはよう。あの狭い台所に、よう三人も入れたなあ。なか、ぎゅうぎゅう詰めなんやねえ?」
「おはよう。裕佳子ちゃん、眠れとったか?」
「俺よりは先に寝とったよ」
父ちゃんは台所の様子をうかがうと、
「そうか。――章、ちょっとこっちに
そう言い、廊下を出て、父ちゃんと母ちゃんが寝室代わりに使っている小さな和室に俺を連れ込み、扉をぴったりと閉ざした。座ると、こちらを見ながら言った。
「おまえ、どうするつもりなん?」
「何を?」
「裕佳子ちゃんとのこと」
朝からこの話? げんなりした。
「もう、おまえたちもいい歳じゃ。高校生のころとは、違う。そろそろ先のことをまじめに考えたほうがいいんじゃねえか?」
「先のことって?」
「結婚するか、どうか」
ため息をついた。疲労の抜けきれない体に、さらに、ずしりと重たいものがのしかかってくる。押しのけようと、ことさら明るく言った。
「父ちゃん、結婚するかしないか、やなくて、正しくは、俺にその資格があるかないか、やな。俺には――ないわ」
父ちゃんは黙ってこちらを見つめている。何を考えているのか読み取れない、あの無表情。でも、何も考えていない、何も感じていないわけではないことを俺は知っている。父ちゃんには俺の気持ちが分かっているんかもしれん。ただし、それは半分だけや。いや、30パーセントくらいかもしれない。
俺の好きな人は男で、そいつと結婚することはできん。それは父ちゃんにもわかっとろう。でも、父ちゃん、男とか女とかいう以前に、俺は人としてポンコツなん。俺は誰かの体に触ることも誰かから触られることもできない。相手が愛しとる人であろうと。ゲイだって女と結婚している人はおる。女とセックスできる人だっておる。子供のおる人だって。つまり、好きな男と結婚するという率直な願望を満たせなくても、家庭をもって次世代を創出するという人間としてのフツーの営みに参加できた人だっておる。でも、俺は絶望的や。パートナーが男やろうと女やろうと、触れ合えんのやから。なにひとつ、できやせん。なにひとつ。やけど、そげんことを父ちゃんに明かしてこれ以上苦しめたくはなかった。それを口にすることで、自分自身をさらに追い込みたくもなかった。俺はただうつむき、父ちゃんも口を開かなかった。
「父ちゃん、章、どこにおるん?」
母ちゃんののんきな声が近づいてきて、扉を開いた。向かい合って黙りこくっている父ちゃんと俺を見て、眉をひそめる。
「何しよん?」
父ちゃんも俺も口を開かない。こういうところは俺たちは本当によく似ている。母ちゃんは父ちゃんと俺を交互に見とったが、それ以上問いただしはせんかった。竹史のむっつりには、誰よりも慣れとるけんな。
「朝ごはんできたけん、早よおいで。みんなで食べよ」
女三人がおる食卓は、文字どおり、なんとも
シジミと三つ葉の味噌汁、里芋とタコの煮っころがし、明太イワシに大根おろし、山椒味の煮抜き豆腐、ベーコンとジャガイモのスパニッシュオムレツ、大豆の昆布煮、すりごまのたっぷりかかった白菜のおひたし、よくまあ朝から作りも作ったなあと感心する。座卓に所狭しと並べられた大皿の上を取り箸が飛び交い、母ちゃんとくるみがしゃべっては食べる。
﨑里ちゃんがあえて竹史に目をやらないようにしているのに気づいた。それがかえって﨑里ちゃんの思いを浮き立たせていて、落ち着かない気分になった。
「章、食べんの? さっきから全然食べとらんやん?」
母ちゃんが心配そうに声をかけてきたが、これ以上ここに居続けたくなかった。
「うん、もういいわ。ごちそうさま。頭がぼうっとするけん、ちょっとシャワー浴びてくる」
シャワーを浴びていても、頭の中はますますもつれるばかりだった。
脱衣場で頭を拭いていると、心配そうな顔をして﨑里ちゃんがやってきた。
「やっぱり昨日眠れなかった?」
「そりゃあ、あげなことされたら……」
「ごめん。でも、確認しておきたかったの。大事なことだから――」
くるみの明るい声が﨑里ちゃんの言葉を遮った。
「あ、
「ええー、くるみ、おまえ彼氏おったん?! それはまた恐れ知らずな男がおったもんやな」
くるみは母ちゃんそっくりの丸い顔にえくぼを浮かべた。今まで見たことのない柔和な笑みにはっとした。
「遼平はいいやつやけん、気難しい
「は? 俺がいつ気難しくなったん?」
「はは、自覚ないなら、いいわ。じゃあ、また夕方にな!」
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