第20話

 年末のどこか浮かれた気分が漂いはじめた十二月中旬、急遽、大学のある研究室から、打ち合わせを何とか年内にお願いできないかと頼みこまれた。博士課程の学生さんの投稿論文用に、急ぎ改良せねばならない実験装置についての相談やった。社長や木村さんに俺も同席するよう命じられ、三度の打ち合わせと部品の試作に携わった。年の暮れも押し迫った十二月二十九日、ようやく仕事のめどをつけ、帰省した。


 ふるさとの駅に着いたのは二十三時過ぎ。年の瀬の慌ただしい時期とはいえ、さすがにこの時間帯に下車する人はおらず、俺は一人で暗いホームを薄明りのともる改札へと向かった。身を切るような北風が、満天の星をきらめかせながら、改札の中へと吹き込んでいく。その改札の中からこちらを窺うショートヘアの人影が見えた。思わず声を上げてしまった。

「﨑里ちゃん?! なんで?!」

「今日あたり帰ってくるって、聞いてたから」

 そう言えば、最後のオンライン打ち合わせのとき、各自が帰省するおよその日程を告げたような気がする。

「でも、俺、はっきり今日って言っとらんかったやろ? なんし今日の、この時間ってわかったん?」


 﨑里ちゃんは答えなかった。つむじ風が音を立てて吹き込む。


「もしかして、また、特急が到着する時間に、毎回来てたん?」

「毎回じゃないよ、私も夕方にここに着いたから。真弓さんに聞いたら、まだ帰っていないっていうから、今日の最終までここに残って確認しようと思って」

「はあ? 夕方からずっとここにおったん? こげんさみいところに?」

 あらためてまじまじと見た﨑里ちゃんの顔は頬と鼻が真っ赤に染まっている。思わず左手で触れた。

「うわっ、冷た! ちょっと、﨑里ちゃん、何時間、こげなことしとったんよ? 風邪ひくわ! すぐ、あったかいところに行ったほうがいい。あ、それより、何かあったかいもの……」


 あたふたする俺を﨑里ちゃんが何だか胡乱うろんな目つきで見つめていたが、構わず自販機に向かい、暖かいココアとお茶のペットボトルを買って、彼女に手渡した。

「とりあえず、これ持っとき。好きなほう、飲んで」

「川野……」

「なん?」

「……ううん、ありがと」

「おう」


 﨑里ちゃんの荷物を持つと、タクシー乗り場へと向かった。ふと、気になって尋ねた。

「﨑里ちゃん、ばあちゃんの家に泊まるん?」

「……うん」

「でも、今誰も住んどらんのやろ? これから掃除してじゃあ、寝る間もなくなるわな」

 﨑里ちゃんは答えない。俺はため息をついて立ち止まり、スマホを取り出した。

「あ、母ちゃん、章やけど、今駅に着いた。え? うん、今一緒におる。今日さ、﨑里ちゃん、うちに泊まれん? 大丈夫? ありがと。父ちゃんとくるみ、まだ起きとるんやったら、言っといて。じゃあ」


 通話を終えて﨑里ちゃんに目をやると、視線を落としたままぽつりと言った。

「ごめん。なんだか、催促したみたいだよね――ううん、本当は、川野に会えたらお願いしようと思っていた。日が暮れていくのを見ていたら、怖くなってきて、家に帰れなくなったの」

「わかるわ、その気持ち」

「川野のご両親には、いつも迷惑をかけてるね」

「まあ、気にせんで来たらいいわ。ばあちゃんの家の片づけは、明日手伝ってあげるけん。やけん、あんまり無茶はせんといて」


 タクシーが家の前で停まると、待ち構えていたかのように玄関が開き、くるみがどすどすと飛び出してきた。

にい? うわ、その人が彼女? すっげー、超美人じゃん! って言うか、美少年的な? うーん、にいと並んどると、なんか耽美やわあ。ええー、どうやってたぶらかしたん? あ、すみません、私、章の妹でくるみと言います。よろしくお願いしまーす!」

「くるみ、おまえ、ほんっとうに、母ちゃんそっくりになってきたな」

にいが父ちゃんそっくりになったんやけえ、ちょうどいいんやない?」

「んなわけないやろ、おまえと夫婦になってどうするん?」

「ははは、それもそうや、気持ちわりいな」

「気持ちわりいは余計や!」


 玄関に母ちゃんが出てきた。


「章、ばか、さっさと上がりな。裕佳子ちゃん、震えとるやん!」

ほんとや、ごめんねえ、と言いながらくるみが﨑里ちゃんの荷物を手に取り、母ちゃんが寒かったやろと﨑里ちゃんの背中をさすりながら、三人で家に上がっていった。完全に蚊帳の外に置かれた俺はひとりとぼとぼと玄関に入り、鍵をかけた。


 風呂であったまってもらうと、﨑里ちゃんに少し生気が戻った。何か食べるかという母ちゃんの誘いに、﨑里ちゃんも俺も、とにかくもう眠りたいからと断ると、母ちゃんはじゃあこれだけでも、と自家製梅酒を小さなグラスに入れて持ってきた。

「一口飲んどいたら、温まってよく眠れるわ」

 にこにこしている母ちゃんの丸い顔を見ながら、甘酸っぱい香りの甘い酒を一口で飲み干すと、確かに体が温まってくる気がした。


「章、裕佳子ちゃんの布団、押し入れの前に出しといたから、持って行ってやって」

「了解。どこに持っていったらいい?」

「はあ? あんたの部屋やろ?」

 俺は焦った。

「いやいやいや、母ちゃんそういう冗談はやめて!」

母ちゃんはにやりと笑って言った。

「だって、高校一年の時から、お泊りする仲やったんやろ? いまさら照れることもないわ」

 思わず父ちゃんをにらんだが、父ちゃんはごうも動じない。

「うわあ、にい、それほんと? 意外とやるじゃん!」

 くるみが、父ちゃんにちょっとだけ似ている薄めの色の瞳をきらきら輝かせて混ぜっ返した。

「母ちゃん、困るけん。ほかの部屋は? ああ、こことかさ」

 母ちゃんは俺のあがきを一蹴する。

「ばかやな、居間なんかじゃあ、ゆっくり眠れんわ。それに、あんたの部屋ならエアコンがあるけん、暖かいやん?」

「﨑里ちゃんだって、困るやろ? お客さんにそれはないと思うわ」

「私は別に……」

あああ、こういう人やった……。

「父ちゃん……ここは良識的な発言を頼むわ」

「おまえなら問題ないやろ?」

ひ、ひどいわ、父ちゃん、それ、どういう意味よ? くるみに突っ込まれたらどうするん? それ、そのまま父ちゃんに返したいわ! そうや、それこそ父ちゃんの部屋なら安全やろ――いや、別の理由でやばかった。

母ちゃんが締めくくった。

「とにかく、布団は別なんやけえ、大した問題やなかろ? 雑魚寝で合宿なんて当たり前やったやろ? ほら、早よ、布団持って行って寝かしてやり」


 その言葉とともに俺たちは部屋から追い出され、﨑里ちゃんは荷物を、俺は布団を持って二階の俺の部屋に上がった。


「川野の部屋って、そういえば初めて入るよ」

﨑里ちゃんが穏やかな笑顔で言う。俺はひきつった笑顔で答える。

「そうやな、二階に上がるんが初めてやろ?」

「うん。なんだか落ち着く感じだね」

「あ、そう? それはよかった。あの、俺、風呂に入ってくるから、先に着替えて寝ときよな。部屋に入る前にノックするから、入られたくないときはそう言ってな」

 早口でそう説明すると、﨑里ちゃんは笑ってうなずいた。

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