佐藤宇佳子さま、こんばんはーっ!
ちょっとご無沙汰してましたので、一話戻って読み直させてもらいました!
木村さんの、理解出来んもんはできん。踏み込まない。理解した気でいるなんて相手に失礼。そこには憐みをはらんだり、自分は違うから良かったなどと自分を上に置いてしまう考えが透けるようで嫌いなのでしょうね。その考えも理解出来ます。見せ物、かぁ……。
でも当たり前なんですけど、同じ対等な人間同士なんですよね。
あ、川野自身も何処かで自分を下にみちゃってるんでした(・_・;
少なくとも裕佳子ちゃんとは対等でいられるところ、その心地よさ、もっともっとハマっちゃえ
なーんて、ちょっと思っちゃいました^ ^
作者からの返信
矢口こんたさま
こんにちはっ! コメントをどうもありがとうございます。励みになります。
木村さんの考え方に近い人って、それなりにいると思います。どうしても色眼鏡で見てしまうと自覚していて、同時にそれはおかしいとも感じている。それなら近くに寄らんでおこう、という。かたや、もっと積極的に関わり、できる限りの「理解」をしていかねば、と考える人もいると思います。常に正しい絶対的な姿勢が存在するわけではなく、現実的にはケースバイケースで切り替えられることが大事なのかもしれません。
川野はもともと超がつく臆病ものなので、いろんなところで劣等感に苛まれています。高校生のとき、そばにいてくれた﨑里ちゃんに少しだけ心の荷物を預けられたのですが、今や自ら荷を増して沼に沈みかけているような感じですね。重荷はおろせるし沼からは這い出せると気づいてほしいものです。
おおっ、ついに﨑里ちゃんとの関係が変わる兆しが!?
川野君にはホント、幸せになって欲しいです!
おかま、ホモ…
久しぶりに聞いたワードですね。
特別な目では見てはいけない、でもそれらを受け入れろとの思いはすでに特別視している…?
恋愛のあり方の自由もありますが、それを認めない自由もある?
いつも色々と考えさせられるお話、タメになります。(足りない頭でアレコレと考えています笑)
作者からの返信
北川聖夜さま
こんにちは。いつもお読みいただき、コメントもありがとうございます!
はい、川野、いよいよ﨑里ちゃんへの強い思いを自覚しました。ただ、それが恋なのかどうかについては、本人にもよくわかっていません。
木村さんの言葉は微妙です。その考え方は人を傷つけるだろうというところはあるものの、でも、割と多くの人が彼同様、近寄らねばよい、あえてことを荒立てなくてもよい、という考えなんじゃないかなって思います。
ちなみに、大阪に住んでいた知人によると、大阪の方は「おもろい人」が大好きなので話のうまいおかま(失礼)を嫌う人はあまりいないとか。真偽の程はわかりませんが、仕方ないので、木村さんは九州出身者ということにしちゃいました(これも偏見……)。
「いつも色々と考えさせられるお話、タメになります」
あれこれ素材を詰め込んであとは勝手に料理してね、といういい加減なスタンスです。思うところがありましたら、コメント欄等でご教授ください~ ぜひぜひ。
編集済
こんにちはあああ!
またタイトルがあああ!
と思って拝読したら、まだ、崎里ちゃん、出てこない……。
そして、川野の、幸せの星の欠片を、ちっちゃい欠片を、大事に手に拾い、見てる姿がさ……。切ないです。
矢野っちに対して、身の程を知ってしまったのか。川野。
残酷だけど、ふっきれた、かな。
川野と崎里ちゃんの関係は、複雑というか、一言では言い表せない関係。崎里ちゃんが、全力体当たりで、川野を前に押し出してくれてるのも、たしか。
そんな崎里ちゃんを、ありがたい、と、川野が思ってるのもたしか。
……嫁、違う、婿にください、と崎里ちゃんが言う将来がくるのか……。ドキドキ……。
作者からの返信
加須 千花さま
こんにちは! いつもコメントをありがとうございます!
タイトルを常にチェックして突っ込んでくださるので照れております。ありがとうございます!はい、﨑里ちゃんのそのセリフは、しばしお待ちくださいませ。きっと言わせてみせましょう。
川野、矢野っちを思いきることはできないものの、次第に﨑里ちゃんへの思いも大きくなってきます。え。同性愛者だったのでは? という点についてはこの後ぐだぐだと述べさせていただきますので、どうぞ本編にてお楽しみください。
「……嫁、違う、婿にください、と崎里ちゃんが言う将来がくるのか……」
嫁にください、でほぼ正しいですよね(笑)。ふたりの現在の力関係では、どう考えても川野はいわゆる嫁です。
おはようございます。
私もおかまバーには何度か行ったことがありますが、みなさん話が上手で楽しいです。でも色々と触られることもあって、若干の危険は感じたりします(そこは男女は関係ないんじゃないでしょうか?)。
一方キャバクラなんかだと女の子とは話が合わないというか、気を使ってこちらから話題をふるみたいな感じで、あまり楽しいとは感じませんし積極的に行きたいとは思いません。あそこは疑似恋愛を楽しむところなんでしょうね。
作者からの返信
十三岡繁さま
こんにちは。コメントいつもありがとうございます!
ああ、そういう多岐にわたる社会勉強って、物書きにとって貴重ですよね。おかまバー含め、いろんなところに行ってみたいものです。機会が……ないのですけど。
キャバクラのほうはお客さん側が気を遣わないといけないような雰囲気なんですか。それはちょっとハードルが高いですね。疑似恋愛、ふむふむ、世の中にはいろんな需要があるものですね。
「無理に歩み寄ろうとか、理解しようとするんがおこがましいんやないかな。違うもんはどうしたって違うやろ? 相手の世界を侵害せずに生きていけば、お互い幸せになれるんやないんかな」
マジ、それな。
すみません、﨑里・矢野ペアのごり押しムーブに振り回されたせいか、木村さんがとても標準的で成熟した人に見えてしまいました。世代も育った環境も性格も違うのだから「どうしても理解できない」と思うのは当たり前だと思います。その考えを過度に押しつけなければ、大抵の当事者は「この人はそういう考えなんだな」と察して、当たり障りなくつきあっていくだろうなと(政治家のような権力者ならまた話は変わってきますが)。
前回の話ですが、矢野くんの発言は「川野側から主体的にカムした」ならそう悪い印象ではないですよ。多くの当事者は非当事者に高度な理解を期待してないので「本質的なことは分かってないんだろうけど、彼なりに言葉を選んでくれたんだな。ひとまず拒絶されなくてよかった」と素直に思えるでしょう。「矢野くんの方からつついてきた」から、同じセリフでも印象が悪くなるんです。向こうからわざわざ近づいて心の扉をこじ開けてきたのに、結局危うい発言を無自覚にしているから、「その程度の軽薄さなら最初から触らないで」と。「その押しつけがましさはさておき」ではなく、アポなし訪問に始まる一連の押しつけがましさこそが全ての元凶に思えます。
次に、セリフそのものに内包されるニュアンスの話をしますね。
ゲイとカムされた直後に特定の人物の名前を挙げること。これは当然、その人の身体的性別が女性なら、女性という言葉を使わずとも「異性愛規範に乗ることへの期待」や「同性愛性の間接的な否定」を当事者に想起させるでしょう。そもそも会話が噛みあわなくなりますよね。当事者は「男として男が好き」と言っており、「男とか女とかじゃなく、人として~」みたいな話はしてないので。「……え? だって〇〇さんは女性でしょ? 話聞いてた? バイじゃなくてゲイだよ? なんで女の名前が出てくるの? そんなに女とくっついてほしいの?」ってなるんじゃないでしょうか、現実なら。
自分の個人的な欲求のために話を飛躍・拡大させるのは、相手が勇気をふり絞って口にした「同性愛者」という言葉を尊重しない行為だと思いますよ。﨑里ちゃんが男性なら、川野のカムしたゲイという性指向に矛盾しないので問題なく「タイプじゃないな」「ちょっとアリかも」みたいな恋バナの類に発展しますが。てかなんでそんなくっつけたいの? その執着心が怖いよ(矢野くんに言ってます)。
ここからはあくまで私の考える穏やかなコミュニケーションの話になるのですが、「﨑里ちゃんだけは違うかも」という情報が出ても、基本的には相手の発した言葉をこねくり回さない方がいいと思います。川野、「よく分からんの」って言ってますよね。二回も。その「分からない」という本人の今現在の感覚に、手垢をつけずそっとしておいてほしいんです。川野が今時点で自分を「同性愛者」と表現してる以上、川野の軸はひとまずそこにあるのでしょう。そこから流動する可能性はあるとしても、それは本人が自分のペースで決めることで、少なくともマジョリティ側が嬉しそうに「まだ可能性はあるね!」と言うのは、やはり「期待」になってしまうと思います。
なぜ、ただの「可能性」の話が「期待」や「否定」に変容してしまうかというと、シンプルに「世の中が異性愛規範で動いているから」です。
多くの当事者は、人生で「〇〇(異性)とはだめなの?」「(性は流動的って言うし、異性とくっつく)可能性はまだあるよね?」的な言葉をうんざりするほど浴び続けます。でも異性愛者は「〇〇(同性)とはだめなの?可能性はまだあるよね?」なんて言われること自体ほぼないですよね。そもそも「実は俺、異性愛者なんだ」とカムする必要すらない。その質問に晒される頻度が、両者で全然違うんです。
だから、非当事者にとってはたった一回の純粋な質問で、「そんなつもりで言ったわけではない」としても、当事者にとっては連続的なプレッシャーであり、あれこれ勝手に意味を考えて勝手にストレスを感じてしまうんです。これはセクシュアルマイノリティに限らず、多くの人が何かしら経験したことのある感覚だと思います。
それをどこまで想像してカバーできるかは本当に難しくて、誰しもうっかり他者を傷つけているのでしょうけど。ただ「そんなつもりじゃなかった」と言えばその発言に潜む暴力性が無効化されるわけでも、正当化していい理由にもなりませんよね。多くの差別やいじめやハラスメントは「そんなつもりじゃなった」のに起きるのですから。
とりわけ「セクシュアリティの流動性」は、読者の多くが異性愛規範を当たり前に享受するマジョリティなだけに、当事者の心理をよほど丁寧に描かないと「同性愛者だったけど異性と結ばれました!よかったね!」という、多様性を描くどころかその流動性を都合よく利用した「異性愛規範の強化」「性指向の矯正」に繋がりかねない高難易度のテーマだと思います。
作者からの返信
小葉さま
こんにちは。いつも丁寧なコメントおよびご解説をありがとうございます。
小説にまつわる問題がおぼろげながら徐々につかめてきたような気がします。ただ、私にとってはまだあやふやで断片的であり、今後どうしたものかも決めかねています。
「川野が今時点で自分を「同性愛者」と表現してる以上、川野の軸はひとまずそこにあるのでしょう。そこから流動する可能性はあるとしても、それは本人が自分のペースで決めることで、少なくともマジョリティ側が嬉しそうに「まだ可能性はあるね!」と言うのは、やはり「期待」になってしまうと思います」
「だから、非当事者にとってはたった一回の純粋な質問で、「そんなつもりで言ったわけではない」としても、当事者にとっては連続的なプレッシャーであり、あれこれ勝手に意味を考えて勝手にストレスを感じてしまうんです」
これについては、確かにそのとおりだと考えさせられました。何の気なしに口にしてしまいそうなセリフですが、無意識に相手を踏みにじる一言になるのですね。
話は飛躍しますが、小説の解釈というのはその時々の社会通念に基づくものであり、いくらでも変わりうるということを改めて考えさせられました。たとえ自分の伝えたいことを注意深く書いたとしても、普遍的な解釈にはつながらず、ときに全く異なる考えを推し進めるために利用されたりもします。ものを生み出す恐ろしさですね。