第12話

 ためらった。俺の、いつも偉そうなことを言っとったくせに、結局すべてを引きずり悶々としているだけの、この情けねえ体たらくを、今ここで披露すべきなん? 何もなかったって、笑ってごまかすほうがいいん?

 﨑里ちゃんは真剣な顔で俺の目をのぞき込み、幼子に語りかける母親のように、しみじみとした調子で問いかけた。

「矢野くん以上に好きになれる人、できた? 川野の思いに応えてくれる人、できた? 今、付き合ってる人はいるの?」


 その言葉に、八年間、ただねじ伏せようとしていた思いがあっという間に胸いっぱいに広がった。ああ、そうやった。彼女は昔から、こげなふうに、フツーじゃない俺をごく当たり前に、ごく自然体で受け入れてくれとった。それを思い出したら、適当に流すなんて、とてもできんかった。


「矢野っち以上に好きになれるやつなんて、おらんかった」

 笑って言った。

「だって、俺、あの竹史の息子やで」

 﨑里ちゃんは笑わずにじっとこちらを見ている。

「でも、大学の三回生の時に、耐えられんようになった。矢野っちのことは忘れられん。やけど――」

 﨑里ちゃんは柔らかな表情で繰り返した。

「やけど?」

「矢野っちへの思いが叶うことなんてありえん。それなら、もう、誰でも同じやもん。誰とでも――どうせ好きになんてなれんやろうけん、体だけの関係でいいと思った。この苦しさを紛らわしてくれるんやったら、誰でもいいって。だから、そういう系のサイトで見つけた人と会ってみた。会って、すぐ、やろうとして……でも、駄目やったん」


 﨑里ちゃんは何も言わず、目で先を促した。


「あのさ、肌が密着するあの感じ、あれがもう気持ち悪かった。キスも駄目やった。体のどこを触られるのも、耐えられんやった。最初は勃っとったもんも、すぐに萎えて、もうどうしようもなかった。初めてやけんそうなんかもと相手と自分にも言い聞かして、もう一度会ってみたけれど、乗り越えられんかった。相手はめちゃくちゃ怒っとったわ。そりゃ、そうやろうな。この人とは相性が悪いのかも、と思って、別のもうひとりと会ってみたけれど、何も変わらんかった。それで、全ておしまい。まあ、俺の場合、n = 2 やけどな。つまり、俺は、ゲイにもなりきれんかった、ってこと。情けねえよな、はは。どう? 呆れた?」


 﨑里ちゃんは自嘲的な俺の問いを無視した。


「川野は性的に女が嫌いで男が好きなんだよね?」

 﨑里ちゃんの身もふたもない表現に辟易しながら、答える。

「まあな」

「男の人とでも、たとえ性欲を感じていたとしても、体を触れあうのは駄目だったってこと?」

「そういうこと」

「苦しいね」

 ぽつりとそう言うと、真剣な表情でこちらを見つめながら続ける。

「肌と肌が直接触れなければ、大丈夫ってこと? だって、高校のときには、村居くんたちに背中やわき腹をつつかれていたこともあったけど、平気そうだったよね」

 俺は力なく苦笑した。

「よう覚えとんな。うん、直接肌が触れなければ問題ない」

「それでも、女性だと駄目なの? 私を突き倒したとき、制服の上から触っただけだったのに、すごく気味悪そうに触った手をぬぐってたよね?」

「ごめん。たぶんやけど、女性やって意識したら、もう駄目なんやと思う。美羽が背中をどつくのとか、黒木ちゃんが肩を叩くくらいなら、何ともなかったんやけど、あんとき、完全に﨑里ちゃんの胸を触っとったからな」

「川野、結婚しない?」

 相槌を打つような自然さで口に出された唐突な提案を俺は一瞬理解できなかった。

「は? 何? 何て?」

「結婚しない?」

「ええー? 﨑里ちゃんと、俺が?」

「うん」

「――だから、俺、何もしてあげられないんよ? 手を握ることすら、できんかもしれんのよ?」

 その言葉に﨑里ちゃんはうんざりした顔をした。思わず目をそらした。

「でも、あのな、たしかに、俺は﨑里ちゃんのことが気になっとる、もし﨑里ちゃんが男やったら、矢野っちより好きになっとったかもしれん。いや、女やと認識しちょっても――なんか、好きっちゅうような気持ちがある。少なくとも、ほかの女には感じん感情を持っとる。やけど、俺はフツーやない。結婚する資格のある人間やない。﨑里ちゃんは結婚相手なんてよりどりみどりやろ? 口を開かなけりゃあ、誰だって落とせるくらい、美人やん。フツーに幸せになれるやろ? それやねえ俺みてえなポンコツ――」

「川野、いい加減にして」

 﨑里ちゃんが冷ややかな声で言った。目を上げて彼女の顔を見た俺は、思わず首をすくめたくなった。それくらい、静かな怒りを込めて俺をにらんでいた。

「楽しめるものは、楽しませてもらう、そう言っていた川野はどこに行ったの? もしも川野が私のことを好きなら、ちょうどいいじゃん? 私をことさら女だと意識しなければ、それなりに、好きでいられるんでしょ? それなら、私の提案に乗ることに、何か問題ある?」

「﨑里ちゃん」

 顔色をうかがいつつ言った。

「竹史のことは、吹っ切れるん? 俺と結婚したとして、俺だけを見て、竹史を諦められるん?」

 﨑里ちゃんはほれぼれするような笑顔を浮かべた。瞳が挑発的に輝いている。

「そんなわけないでしょ? 私だって川野と同じくらい、しつこいみたい。たぶん、死ぬまで竹史さんのことが好きだと思う」

 真顔になった。

「でも、川野と一緒にいるのは楽しいの。川野といるときにだけ、ゆっくり息が吸える。自分でいられる。川野のために何かしてあげたいって、心から思う。今回川野と再会して、はっきりとわかった。川野が矢野くんを好きだっていい。ほかの誰かを好きになったっていい。でもその人と結婚できないのなら、そして、川野が私のことをいくらかでも好きでいてくれて、一緒にいるのが楽しいって思ってくれるのなら、私と結婚したっていいじゃん?」

「﨑里ちゃん、それって――」

「享楽的で八方美人、でしょ?」

 俺はにっと笑った。

「違うわ。打算的で傍若無人や」

 﨑里ちゃんは口を尖らせたけど、目が笑っちょる。

「﨑里ちゃん、ありがと。でもな、返事は保留にしよう。今、﨑里ちゃんの精神は普通やない。ばあちゃんのことが落ち着いて、﨑里ちゃんが冷静に考えられるようになってから、もう一度考えてみて」

 﨑里ちゃんの顔がみるみる曇った。俺はすぐに言い添えた。

「でも、火曜日まで、俺がここにいる間は、俺のこと、頼って? 昔みたいに。な?」

 表情なく答えた。

「ありがとう」

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