第11話
洗い物を引き受けて、﨑里ちゃんを風呂に入らせた。片付けた座卓の上に、今度は紅茶とお菓子をいくつか並べる。開け放った窓から、虫の声とともに、ときおり、夜露でしっとりと湿った風が入ってくる。蚊取り線香の火が一瞬赤味を増す。
「川野、片付けありがとうね」
タオルで髪の毛を拭きながらTシャツに短パン姿の﨑里ちゃんが入ってきた。袖や裾からのぞく手足はつるりと滑らかなものの、色っぽさのかけらもなく、まさに突き出したという印象だ。石鹸の清潔なにおいと洗いたての洗濯物の日向くさいにおいがする。小学生の男の子みてえやなとほほえましくなった。
「さて、じゃあ、いよいよガールズトークの始まりといきますか?」
「そうしよう」
「この六年間、というか、俺、高校二年と三年の﨑里ちゃんのこともよく知らんから、この八年間かな、どんなことしとったんな?」
「高校二年と三年のときは、別に何にも記憶に残るようなことはなかった。受験勉強と、竹史さんのことを忘れようとするのとで精いっぱいだった」
――いけん、どっちの竹史のことかわからんけど、この話は不毛や。即座に流した。
「卒業後は?」
「大学はずっと川崎から通ってた。久しぶりにお父さんと一緒に生活するのは、なんだか変な感じだった。お父さん、弓道のことや竹史さんのこと、時々しゃべるようになったんだよ。仲が良かったころの楽し気な話を聞くたびに、嫉妬で狂いそうだったけど」
――いけん、この話も行きつく先は竹史か。そっとため息をついた。
「ちょっと待った、待った、﨑里ちゃん、いけんわ。建設的じゃないわあ、それ。あのさ、例えば、何かほかの恋ばなとかないん? ほかにいいなあーって思った男とか、付き合った男とか、おらんの?」
「付き合った人なら、いるよ」
「あ、お、おるん?」
自分で振っておきながら、肩透かしを食らったような、みぞおちを圧迫されたような、そわそわした気分になった。頭を切り替える。
「じゃあさ、その話、してよ」
﨑里ちゃんは数学の公式を唱えるように、淡々と言った。
「高校二年のときには、同じクラスだった首藤くん、大学一年の時には、学食で声をかけてきた四年生の先輩、あと大学三年のときには同じ学部の同期生」
「ええー? 首藤と付き合っとったん?! そげんこと聞いとらんで、俺」
﨑里ちゃんは険しい目つきになると、
「川野、あのころ、私のことをほとんど無視していたじゃない? 言う機会なんて、なかったよ」
「う、そうかもしれん。で、首藤のどこが良かったんな?」
俺の問いに顔をしかめた。
「良かったとこ? ない」
「待て、待て、付き合ったんやろ? 好きやったんやろ――少しは」
「ううん、付き合ってって言われて、断る理由もなかったから、いいよって言っただけ」
頭が痛くなってきた。おそるおそる尋ねる。
「もしかして、あとの二人も、同じ?」
「うん」
俺はもう隠すことなく盛大にため息をついた。
「じゃあ、どういうきっかけで別れたん? まさか、今でも三人ともと付き合っとる、ってことはないよな?」
﨑里ちゃんはにっこりと笑った。
「そんなことはないよ。別れた理由? 付き合った理由とも重なるんだけど、付き合ったら、どんなことをするのか、どんな気持ちになるのか、知りたかった。映画やテレビドラマや小説や雑誌って、いつも恋愛やセックスであふれかえっているでしょ? 私にはセックスをしたいという気持ちがわからなかった。でも興味はあったの。もしかしたら、この辛い気持ちが押し流せるんじゃないかしら、頭の中がすっかり空っぽになって目の前のこの人に夢中になれるんじゃないかしら、そういう期待があった。だから、申し出に乗ってみた」
「……」
笑顔が翳る。
「でもね、全然だめだった。夢中になんて、ちっともなれなかった。首藤くん、付き合い始めたら、すぐに体を触ろうとしてきた。手を握って、抱きしめて、キスをして、服を脱がせて、そしてセックス。それが私の心も体も満たしてくれたなら、何の問題もなかった。でも、数回繰り返しても、私はちっとも楽しくも気持ちよくもなかった。むしろ、裸で抱き合うのは不快で不安でたまらなかった。自分の姿を想像すると、吐きそうになった。耐えられなくなって、もう無理だって思って別れた。それだけ。ほかのふたりも変わらなかった」
「……首藤でそんだけ強烈に嫌悪感を抱いたねえ、なんし、それをあとふたりも繰り返してみたん?」
﨑里ちゃんは艶然と笑った。思わず見とれてしまうほど魅力的だった。
「だって、統計的に意味あるデータを取るなら、一回じゃだめでしょ?」
「それなら、ふたりでいいんやない?」
「もう! データ数は奇数が基本でしょ?」
「ああ、そう、やったかも、な」
「でも、三人と試してみて、はっきりした。私はセックスが嫌いなんだって。それを早々に理解させてくれた三人には感謝してる」
「チェックに利用されたその三人はそうとう自信喪失したと思うけどな」
﨑里ちゃんは真顔になった。
「川野は?」
「へ?」
「川野だって、何かあったでしょ? 川野の恋ばなをして」
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