第6話

 食事会のあと、俺はバス停まで父ちゃんと肩を並べて歩いた。父ちゃんは普段とほとんど変わらない。

「父ちゃん、酒飲めたんやな。ビールと焼酎と、あげん飲んだねえ、酔っちょらんの?」

「……酔っとらんはず、ないやろ」

 足取りはしっかりしとるし、ろれつも回っとる。表情も顔色も、普段と何ら変わるところがない。無表情で、面白くもなさげに黙りこくっとる。これで酔っちょるん? それって、飲む意味あるん?

今まで十六年間一緒に過ごしていながら知らんかった父ちゃんの一面を今日一日でいろいろとかいま見たなあと感慨にふけっていた時だった。父ちゃんが酔いなど全く感じさせない、きっぱりとした口調で問いただした。

「章、本当は、彼女とどういう関係なんや?」

「えー、本当は、って何よ? さっき言ったやん? そういう関係」

「茶かすんじゃない、本当のことを言うんや」

「父ちゃん、息子のことを疑っとんの?」

「章」

 意外としつこい。あれか? 絡み酒ってやつ?

「……じゃあさ、父ちゃん、バーターや。俺がその質問に答えたら、父ちゃんも俺の質問に答えてくれる?」

「どんな?」

「﨑里ちゃんとさ、あの日、何を話したん?」

 効果てきめんやった。途端に、視線をそらし口をつぐんだ。

「父ちゃん、あの日から変わったわ。今まで、父ちゃんを見ていると、辛くなることが結構あった。もちろん、父ちゃんのほうが、俺の知らん、何かもっと辛い気持ちに耐えてたんやろうけど。でも、耐えとるっちいうのが俺の目にもはっきり見えて、すごい悲しくてやり切れんかった。だって、父ちゃん、ひとことも俺には相談してくれんかったやん? それが、あの日以来ふっつりなくなった。﨑里ちゃんと、何をしゃべったん? 俺には言えんのに、彼女には何を言ったん?」


 父ちゃんは黙っていた。少しだけ、胸がひんやりした。でも、まあ、思っとったとおりや。答えるはずがない。これで追及をかわせた、そう思ったときに、なんと、父ちゃんはぽつりと口を開いた。


「――今まで、三十年以上、呪縛になっていたことについてや。愚かしいと思っても、自分ひとりではどげんしても踏ん切りをつけられんかった」


 信じられんかった。父ちゃんが自分の過去を語るなんて。何で……。混乱する心のどこかから、この人は、もう、俺が知る父ちゃんじゃねえんかもしれんという思いがゆっくりとわきあがり、霧のように立ち込めながら渦を巻いた。

「父ちゃん、呪縛って、何よ?」

 父ちゃんはしばらく黙したのち、言った。


「呪縛は裕佳子さんそっくりやった。間近であの顔を見たら、もう黙ってはいられんかった。あの顔に糾弾され、罵倒され、諭されとるうちに、ずっと引っかかっとった何かが少しずつ落ちていった」


 ぼやかされて要領を得ない答えだった。でも、俺にはわかった。


 父ちゃんはしばらく黙って歩いていたが、我に返ったように、言った。

「章、俺のさっきの質問に答えなさい」

「――﨑里ちゃんも、﨑里ちゃんのばあちゃんも、まったく嘘はついとらんよ。嘘を言ったのは俺の『俺たち、将来のことも、まじめに考えています』だけ。家族ぐるみの付き合いをしとるんは本当やろ? 彼女の家にお泊りしたのは確かやし、避妊に気をつけとるんだって、嘘やない。だって――何もしとらんのやもん」

「そうか……」


 俺はためらいつつも、気になっていたことを口に出した。

「父ちゃんさ、あのさ、﨑里ちゃんのこと、どう思っとるん?」

「章の、ガールフレンドやと思っとる」

 その返答に顔をしかめた。

「そうやなくて、父ちゃん自身は、彼女のことをどう思っとるん? 父ちゃん、知っとるんやろ、﨑里ちゃんが、小嗣竹史の幽霊を好きやったこと。﨑里ちゃん、いまだに竹史くんに対する思いを断ち切れんで苦しんどる。そして、まずいことに、小嗣竹史くんと川野竹史を混同しつつある。今日のサプライズだって、小嗣竹史くんのためやなくて、もう川野竹史のために仕組んだことや。父ちゃん、どうするん?」

 父ちゃんの顔色が変わった。

「ちょっと待て、章、サプライズが俺のため?――それは、俺のために祐介を呼んだ、ちゅうことか? それは、それは……」

 しまった。もう取り繕うことはできんかった。焦ってつっかえながら言った。

「父ちゃん――あの、﨑里ちゃんに聞いたんやないよ。﨑里ちゃんは俺にはなにひとつ教えてくれんかった。でも、小嗣竹史の幽霊の行動から、もう俺にだって、ほぼわかっとったん。彼が何を求めて弓道場に現れるのか。――なあ、やけん、そげな顔せんといて」


 父ちゃんはすっかり青ざめ、俺の声も耳に入らない様子でうつむいてしまった。母ちゃんだけでなく、当事者の父ちゃんまでもが、これほど同性愛を外聞の悪いものと思っとるん? 俺は胸をつかれ、声を震わせた。

「父ちゃん、聞いとる? ――父ちゃん、あんな、父ちゃんが自分を恥じるんやったら、それは俺のことも恥じることになるんやで。やけん、止めて!」

 父ちゃんがぼんやりと繰り返した。

「おまえのことを、恥じる?」

 そして、暗い目でこちらを見据えた。低い声がわなないた。

「章……おまえ、もしかして……」

 俺は泣きたい気分やった。でも、笑ってこう言うしかねえやん?

「そういうこと。やけん、俺が﨑里ちゃんを妊娠させることは、ありえません。安心した? ま、そもそも、﨑里ちゃんが今でも恋しとるんは小嗣竹史であって、俺やないんやけど」


 父ちゃんは目に見えて落ち込んだ。それはそうやろな、同性愛者であることが息子にばれて、息子も同性愛者と知って、さらに息子の恋人と思っとった女の子が自分の分身に恋しているなんて、世間にしてみれば、ワイドショーも顔負けの垂涎のゴシップネタやもん。


「で、父ちゃん、﨑里ちゃんのこと、どう思っとるん?」

 放心したように口を開いた。

「――あの子が恋しているのは高校生の小嗣竹史であって、俺やない」


 他人事のような口ぶりについ声を荒げた。


「そういうこと、聞いとらん。父ちゃんは、どうなんってこと。彼女、祐介さんの若いころそっくりなんやろ? 女やとは言え、気にならんはずないよな? 俺、父ちゃんのことが好きで、大事や。父ちゃんには、もっと人生楽しんでもらいたいっていつも思っちょる。でもさ、母ちゃんもくるみも大事。やけん、家族がまたひとつになるのはすげえ嬉しいんよ。そういう意味では、父ちゃんが﨑里ちゃんに気を引かれるんは困る。やけど、﨑里ちゃんのことも、悲しませとうない。﨑里ちゃんを恋愛対象としては見れんと思うけど、でも、こげな俺んことをそのまま受け入れてくれる大事なひとやと思っちょん。彼女が小嗣竹史の亡霊である父ちゃんに翻弄されて苦しみ続けるんは、見とられんの」


 父ちゃんは眉をひそめたが、それでも小さな声でつぶやいた。


「裕佳子さんにはいくつも感謝せんといけんことがある。彼女が小嗣竹史を抱きしめてくれたことで、積年の思いは昇華した。それに、あの日、彼女に胸の内をさらけ出したことで、自分で自分をがんじがらめにしとった呪縛は解けたんやろうな。俺だけやない。母ちゃんが再同居に踏み切ったんも彼女のおかげらしい」


 ああ、ジョイフルで俺を追い出したあと、何かそげな話までしとったんか。


「彼女の顔にあの頃の祐介を見てしまわないかと言われると、否定できん。でも、今日、裕佳子さんは、強引に――本当にだまし討ちのかたちで――三十年ぶりに祐介と再会させてくれた。直接交わす言葉が持つ、恐ろしいほどの力強さを実感させられた。結果的に、今、俺の中で祐介への気持ちは整理がつこうとしている」

「荒療治は彼女の十八番なんよ」

 俺がため息をつきながらそう言うと、父ちゃんは少しだけ表情を和らげた。


「あの日、裕佳子さんが言っとった、祐介への恋情は今となっては単なる口実じゃないのか、というのは、当たっとった。大切なものは身近にあった。じゃけん、今後、たとえ裕佳子さんの中にゆうを見たとしても、激しい思いを抱くことはない。……ただ、彼女が俺の亡霊に苦しめられとるんは、辛いな」


 彼女が悩んでいる苦しい恋心は、父ちゃんの亡霊に対してだけではなく、今や父ちゃん自身にも向けられとるんよ。俺は悲しくなったが、どうしたらよいのかわからなかった。


「父ちゃん、女泣かせやな、困ったもんや。その調子やったら、高校生のころからさ、気づかんうちに、そうとう泣かせてきとるっち思うわ。そうや、それはそうと、さっき、祐介さんが「あの頃から結構飲めた」っち言っとったな? 父ちゃん、高校一年のころから、飲んどったっちゅうことよな? じゃ、俺が飲んでも文句言えんな?」

「いけん」

「ええー、なしか(どうしてよ)、ずるいわ。父ちゃん、がんがん飲んどったんやろ? 俺も飲んでみてえ。そうや、ふたり暮らしが終了する記念に、父と息子で酌み交わす、ってどげな?」

「いけん」

「けちー」

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