第2話

 あれからもう八年目になる。俺は高校卒業後、大阪の大学に進学し、大阪で就職した。砦を維持するのにはそれなりの精神的コストが必要で、高校を卒業するころには、もうへとへとだった。とにかく、人がたくさんいるところに行きたかった。俺のことを知らない人たちでいっぱいの、俺のようなフツーじゃない人間がきっとそれなりの数いて、俺が俺のままでいても目立たず、その他大勢の人ごみの中に波紋すら残さず溶け合えてしまえる街に。


 母ちゃんは、俺が﨑里ちゃんを「友達以上恋人未満の大事な人」と紹介したとき、ものすごくはしゃいだ。俺は、息子がフツーじゃないかもと疑っとったから、フツーなことが証明されて安堵したんやとばかり思っとった。でも違った。母ちゃんは俺が同性愛者であると見抜いており、父ちゃんにとっての母ちゃんのように、俺のフツーじゃないところを納得したうえで隠れ蓑となってくれる女性を見つけたのだと察し、歓喜していたのだ。つまり、俺については、ほぼすべて正確に把握しとったってことや。わが親ながら、恐ろしい洞察力や。そして、知られていたと知ったときには、落ち込んだ。その当時、母ちゃんとはまだ再同居する前で、しばらく顔を合わせなくてよいのが救いだった。


 母ちゃんは真剣な顔をして言った。裕佳子ちゃんを放したらいけん。絶対嫌われんように、大事にしよや。ちょっと涙ぐんでいるようにさえ見えた。


 母ちゃんにとっては、今でも、同性愛というのは秘すべきことなのだ。この社会の中では日陰もんで、健全な誰かに寄生せんと生きていけん、従属栄養体。

母ちゃんを咎める気にはなれんかった。地元では、実際にそうなんやから。徐々に変わっていくんかもしれん。でも、今、地元社会で声を上げたとしたって、俺が生きとる間に何かが大きく変わるとは思えんかった。後ろ指を指されるんは怖かった。家族に迷惑かけるのも、絶対嫌やった。でも、同性愛者だってフツーの人なんだと理解を得るのに人生をかける気概も勇気もなかった。それより、ちょっとぐらいフツーやなくてもたやすく大衆に埋没できる都会に移住して、静かに暮らしたらいいやん?


 でも、俺のそげな逃げの人生に、﨑里ちゃんを巻き込むなんてできんかった。だから、高校卒業後、俺が大阪に行き、﨑里ちゃんが関東の大学に進学してからは、これまで六年間、一度も連絡を取らんかった。


 あの母ちゃんでも看破できんかったんは、﨑里ちゃんが父ちゃんを、竹史を好きやったっちゅうことや。


 﨑里ちゃんは、あの冬の日、竹史とふたりでどんな話をしたのか、絶対に口を割ろうとせんかった。そして、あの春休みの食事会の日、﨑里ちゃんがお父さん――祐介さん――を呼んでいたなんて、俺にとっては青天の霹靂やった。もちろん、竹史にとっても。

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