エピローグ

 僕の暮らす街には、湖がある。

 湖のほとりには木造の小屋がいくつも並んでいて、それが誰によっていつ建てられたものなのか、みんな知らない。この街には出入りが多いから、ある人が街の外へ出ていけば、空いた小屋に新しい人が住み始める。そうやって、街の中身は少しずつ流動していく。


 ――これは僕が彼女と出会う話だ。


 僕は一人でつぶやく。日記に書きとめるみたいに。

 その「彼女」が誰だったのかも、どうやって出会ったのかも、もやがかかったように思い出せなくなりつつある。


 ――「出会う」というのは適切でないかもしれない。僕は何度だって彼女と出会い直す。何のためにそんなことをするのか、出会い直すとはどういうことなのか、ここで一口に説明することは難しい。


 僕は「彼女」と出会ったのだろうか? それも何度も。

 だとすれば、どうして僕は「彼女」のことを思い出せないのだろう。


 一つだけ、今もまだ鮮明に覚えていることがある。

 引っ掻き傷みたいに残されたこの記憶も、やがてはかすんで、消えていくに違いない。僕にはそれがよく分かっている。

 記憶の中で、彼女は眠っている。この世の全てを拒絶するように、深く。

 僕はその傍らにしゃがみこんでいる。まるでひざまずくみたいに。

「ごめんね、僕は君を救えなかった」

 僕はそう言う。

 どこからか、何かが崩れる音が聞こえる。世界の破滅が近いのだ。

「もし君が、もう一度僕と出会い直してもよいと思うのなら、妖精を探してほしい」

 ずしん、という大きな揺れとともに、照明が何度かまたたく。

「フェアリーだ。彼らは空を飛んで、誰かに何かをささやく。いいことも、悪いことも」

 いいニュースと悪いニュース、どっちが聞きたい?

 ショッピングモールを破壊している何かが、そうやって不気味な笑い声を立てる。

「妖精を探すんだ。もしくは、妖精と話せる人間を」

 僕はもう一度、彼女の髪を撫でる。

 彼女が寝返りを打つ。でも目覚める気配はない。

 寝返った拍子に、毛布と布団がベッドからずり落ちる。

 彼女はタオルで分厚く巻いた湯たんぽを、大切そうに抱いている。下腹部を温めるみたいに。

 僕は彼女に何が起こっていたのかを、そこで初めて理解する。

 僕はどこまでも軽率で、彼女のことを何も分かっていなかったのだ。

 世界はもうすぐ終わる。

「僕は、君をゆりかごみたいな世界に巻き込んでしまった」

 僕は言う。果てしなく生と死を繰り返すゆりかご。僕はそのことに気付かず、幾たびも同じ過ちを繰り返している。全て僕のエゴだ。

 それでも、僕は「君が望むなら」と口にしてしまう。愚かにも。

「君が望むなら、僕は何度でも、君と出会い直す」


 僕の暮らす街には湖がある。そして、時間が緩やかに逆行している。

 単純に言うと、そういうことだ。それ以上でも、それ以下でもない。

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湖畔のゆりかご 葉島航 @hajima

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