(その6)
次の公休日からは、いつもの心学の講師にもどったので、提婆達多の法話をした明法寺の唯然坊とは二度と会うことはなかった。
この心学の講師はやたら親に孝君に忠のやたら月並みな説教ばかりするので、新吉は長次と並んで舟を漕ぐ破目になった。
・・・それでも、役人の心証は少しはよくなったかもしれない。
今度は島の西側の佃島の住吉大明神に朝晩お参りに行こうと長次がいいだし、これにもつきあうことにした。
そこまでやる人足はいなかった。
秋も深まったある日の夜、他の人足が部屋にいないのを見計らって、長次がすり寄ってきた。
「片山さんに聞いたんじゃが・・・」
と木っ端役人の片山の名を出した。
「こちとらは論外だが、どうも新さんは当分島から出られんようだ。かたちばかりで、冤罪とかいい張って更生に身が入らない。ここを出てから冤罪だと奉行所に駆け込まれたら、じぶんたちの手落ちになって腹でも斬る破目になってはたまらん。と、いかにもお役人らしい考えなのだ」
長次は、新吉の出所は当面はむずかしいとはっきりいった。
・・・嘘でも、あっしは押し込み強盗の手引きをしましたと認めて、罪の償いをしますといわなければ、俺はこの島で一生飼い殺しなのかと新吉はひどく落ちこんだが、そんなことは死んでもいう気にはなれなかった。
それに、篠塚同心とふたりだけでした秘密の話が、片山ごとき木っ端役人にまで伝わっているのがどうにも許せなかった。
隅田川河口の護岸工事のときにふたりのヤクザ者に襲われてから、長次は外稼ぎからはずされて大工部屋に回されていた。
片山は大工部屋の教官で、長次とべったりというのはまわりに知れていたので、篠塚から聞いた新吉の冤罪話を、面白おかしく長次に話したのかもしれない。
「新さん、俺にいい考えがある」
肩を落とす新吉に、長次は顔を寄せ、
「俺はそれでいい。だが、若い新さんがここに骨を埋めちゃあいけねえ。いっしょに島を抜けようぜ」
・・・長次は恐るべきことを口にした。
次の10月最初の公休日の夕方に、住吉神社にお参りにいったあと、佃島にひそんで日が暮れるのを待ち、渡し舟の船頭の舟で隅田川をさかのぼる・・・。
長次はすでに船頭に話はつけてあるといった。
「どうするね、ここを出たら真っ先に上野山下の和泉屋さんへごあいさつに行くかね」
蛇のような赤い舌でちょろりと唇をなめた長次を見て、新吉の背筋を悪寒が走った。
「いや、和泉屋へ行くのはまだ早い」
というと、
「島抜けしたと知ると、相手は警戒するので近寄れなくなるぜ。こういうことは電光石火のごとくやるのがいい」
長次は新吉を急かせた。
「はめられたのはわかっているが、だれがはめたのかはまだわかっちゃいねえ。まずそいつを探らねえと」
それを聞いて大仰にのけぞった長吉は、
「やれやれ気の長い話だぜ。ともかく、この島を一刻も早く出ることだ」
再び顔を寄せ、声をひそめていった。
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