『君は僕とは違う』
小田舵木
『君は僕とは違う』
雨が降り出して。僕の身体を打つ。冷たい水は僕の身体に染み付いた血を洗い流す。
そう。僕は人を殺したばかりだ。手には包丁。そこら辺のキッチンにある文化包丁。
眼の前には僕が殺したヒトが倒れている。そいつは…あまりによく僕に似ていて。
ちょっと油断したら見分けがつかないだろう。それはそうだ。
だって彼は父が創った生体クローンなのだから。
父は生体クローンの研究に手を染めた。多くの国でヒトの生体クローンは規制されているというのに。
その理由は―永遠の命を得るため。もしくは亡くなった母を蘇らせるため。
その前段階として、僕のクローンは産み出された。体の良い実験台にされた訳だ。
実験はうまくいった。僕に極限まで似るように彼は創られた。
僕は彼が疎ましかった。僕の顔をした生命体が近くにいる事があんなに
僕の犯行は近々明らかになるだろう。
だが。捜査は混乱するだろう。なにせ。DNAの配列的には彼はほとんど僕だ。
生きていく中で自然発生する突然変異を除けば、彼のDNAは僕のDNAと同一。
僕はこれから逃げる。車で何処か遠くに逃げればしばらくは身を隠せるはずだ。
◆
車は走る。道は国道。詰まらない景色が僕を包む。
僕は考える。自ら手にかけた、あのクローンの事を。
彼はある日突然僕の前に現れた。
「コウ、君のクローンさ」父が自慢気に言う顔を思い出す。
「…ついにやっちまった訳だ」僕は返す。前々から彼は生体クローンに野心を燃やしていた。
「これで。私の永続化と、
「アンタ…どう隠すつもりだい?コイツを?」僕は彼の後ろに付き従う僕のクローンを顎で指しながら言う。
「隠すつもりなどない。表向きはお前って事にしとけば良い」
「僕の犠牲こみかよ?僕に迷惑かけるなよ」
「だが。それが一番楽なんだよ」
「双子って事にしたいね。僕は僕だけで良い。コイツに人生を貸したくなんかないぜ?」
「そう言うな」父は顎を撫でながら言う。
「アンタはアンタがもうひとりいないから良いよな」
「私がもうひとりいたら?研究が
「…アンタには想像力が欠落してるよ」
「楽天家だと言ってほしいかな」
「いや。頭のネジが外れたマッドサイエンティストだよ」
それから。僕の生活はスプリッドされた。生体クローンに人生の半分を差し出す羽目になった。
彼は我が物顔で僕の人生の半分を喰らった。
僕の顔と身体で僕のふりをして人生を
それが死ぬほど腹立たしかった。なんなら父の所業を世間に漏らしてやろうかと思った。
でも。それは出来ない相談だった。
僕もまた、彼の研究に期待をしていたからだ。幼い頃に死別した母にもう一度会いたかった。
◆
僕のクローンは中々腹立たしいヤツだった。
「今日はお前の好きな女に告白してやった」彼は自慢気に言う。
「何してくれてんだよ?勝手な事しやがって」
「でも。お前はアイツが好きだったんだろ?」同じ大学の同じ学部の女の子だ。
「物事には順序ってものがあるだろう?」
「あるが。お前は拙速に過ぎる。行動が遅い。そんな事してたら別の男にかっさらわれちまう」
「…お前は僕の癖に情緒ってヤツを解さないな」
「俺は。お前と違って速成で知識や情緒を身につけたからな」彼は僕と同じ19で産み出された。19年分の積み重ねを2、3時間の機械学習で済ませてる。僕とは違う人生を送ったようなものだ。
「父さんの学習装置でな。まったく。ヒトの生体クローンを作るなら、精神面の研究もしといて欲しかったものだ。お陰でこれだ。僕の人生を僕の顔したヤツがめちゃくちゃにする」
「そう言うな。お前が欲をこけない部分は俺が全部やってやるよ。ヒト、モノ、カネ…お前が
「勘弁してくれよ。僕はトラブルに
「そんな事言ってると。人生台無しにするぜ?」彼は僕を見下げながら言う。
「お前にとっては機会損失に塗れた人生かも知れないけど。僕は今の静かな人生が気に入ってるんだ」
「詰まんねえヤツだな、俺のクセによ」
「お前は僕の癖にアホだ」
「アホで何が悪い。適度にアホであることは欲をかくには必須だ」
「意見の相違。まったく。ヒトは環境で創られるってのは本当の事だったんだな」
◆
ヒトは環境で創られる。この言葉を実感した一年だったな。僕と彼の生活は。
彼は僕の姿かたちをコピーしてはいたが。僕の生育環境まではコピーできなかったからね。
彼は僕のフリをして―人生を貪った。
彼は僕のしたい事を拾い上げる能力については、僕のコピーなだけあって高かった。
だから。彼はみるみる内にいろんなモノを手に入れていった。
ヒト…彼女は彼にぞっこんだった。彼には心を許していた。
たまに僕がデートをすると露骨につまらなそうな顔をしていたのをよく覚えている。
モノ…彼はいろんなバイトをハシゴして。カネを稼いで、いろんなモノを買っていた。
カネ…彼はバイトで稼いだカネをギャンブルに突っ込んだ。そして増やした。妙に勝負強かったのだ。
その光景を見ながら僕は悔しくなった。なんでこうも僕とは違うのか?
彼はどんどん派手になっていった。見た目が
「流石に。僕と見た目を変えるのはどうかと思うよ。親父の隠蔽工作が台無しになる」
「つっても。ダセえお前に合わせる理由がない」クローンは染めた髪を見せびらかす。
「あのねえ。お前は分かってるのか?あくまでお前は踏み台なんだぜ?」
「お前の母ちゃんを蘇らせる実験のな。下らねえ」
「君にとっちゃ下らねえかも知れないけど。僕らには切実な話だよ」
「俺にとっては、オリジナルの産みの親なんてどうでもいい事だよ」
「お前は。
「そうさ。お前らの血の繋がりなど、どうでも良い。俺は俺が生きたいように生きる」
「…はあ。コイツ。殺処分出来ないかな」
「ほう?お前の代わりに色々やってやってる俺を殺すと?」
「うん。君はクローンとして、僕として、出来損ないだよ」
「そんなもんだろう?クローンなんて?」
「どういう意味だよ?」
「クローンってのはな。遺伝子配列が極限まで似た個体をもう一体産み出す事に過ぎないって話だ」
「そして。それがオリジナルと同一の人格を持つことはない?」
「そうだ。俺が良い例さ。お前なんてチンケなオリジナルとは違う刺激的な人生を歩んでる」
「…お前の言うことには賛成したくないけど。最悪の証拠がある。ああ、親父の目論見は失敗に終わる運命にあるな」
「だろうな。でも俺は止めないし、止めようとするお前を邪魔する」
「お前の生存に不利だもんな。いくら完成しててもお前はまだ調整かけてもらわないと自壊する身体だ」
「そういう訳で。お前。今日の事は忘れろ」
「…」
僕は。彼の言うなりになることにした。
それは実験が失敗するのが分かってても。例えオリジナルに似てなくても。母にもう一度出会いたいからだ。
マザコンだって?そうさ。僕はマザコンだ。コンプレックスを抱かざるを得ない。早々と亡くしてしまったんだから。
◆
父の研究は進んでいた。僕とクローンの不和を他所に。
「もうすぐで…お前の母ちゃんが復活するぞ?」父は培養基のコンソールの前で言う。
「ねえ。父さん。コレで産み出される母さんは…」オリジナルとは違う何かでしかない。
「私がそんな事を知らないとでも?」
「いいや。多分、知っててやってる。あえてやってる」
「そうだ。私はどうしても亜希子に会いたい。もう一度」
「そりゃ僕だってそうだけど。でも。もう僕らが知ってる母さんは居ないんだよ?」
「居ないな。それがどうした」
「ヒトは時間と共に創られる」
「時間がヒトに環境を呑み込ませる」
「なら。もう止めないか?この実験?」僕は心変わりしていた。母には会いたい。でもこの方法には欠陥がある。見過ごせないほどの。
「お前。あのクローンを見て色々思うところがあるようだな?」
「ああ。あれは僕としては出来損ないだよ」
「ま、あれは実証実験の一部だからな。学習装置の精度を上げなかった」
「じゃあ。母さんの学習は完全にするわけ?」
「俺とアイツが過ごしてきた時は長い。俺の全知識を投げだせば。アイツと同一の精神を持ったクローンは創れる…と思いたい」
「それは可能な事なんだろうか?」
「出来るかどうかなんて。どうでも良くなっているんだよ。私は」
「母さんに会いたいが
「そう亜希子に会うために」
「はあ。説得できそうにないな」僕はため息を吐く。ここまで父が病んでいるとは。
「…お前のクローンの事は。どうにかしてみる」
「どうにかって?」
「学習をかけなおす」
「一度学習したモノを完全に消せるだろうか?人間の脳ってそんなに
「多分。記憶の上書きは可能だ。まあ、習慣を消すまでには至らないかも知れないが」
「意味ないよ。アイツは欲をかくことが習慣になっちまってる」
「…ま。
「…」
◆
母を蘇らせる実験は―成功してしまった。
「亜希子…」そう父さんは言う。母のクローンに向かって。
「…」学習の済んでいない母のクローンは返事をしない。
「父さん。学習かけないと。返事なんかする訳ないじゃないか」文句を言いつつも僕は彼の実験に手を貸していた。近くで何が起きるか見る事しかできなかったからだ。
「ああ。美しい。君は」父は恍惚としていて。
「はいはい。じゃ、学習装置に繋ぐから」僕は母に近寄って。頭にヘッドギアをつける。その時に母の髪の匂いが僕の鼻をうった。
ああ。コレは昔嗅いだ母さんの香りだ。人体のデータが完全に再現されているから、それは当然の話なのだが。僕は感動してしまっていた。
「さあ。学べ。亜希子になれ」父は学習装置のコンソールの方にいそいそと歩いていく。
そこから。数時間、母の脳にデータを焼き付けた。
その間、僕たちはコーヒーを飲みながら見守った。
さあ。母は母になるだろうか?僕も父も出来るだけの事はした。
「
「ああ。私だ」父は泣きながら応えている。
「お母さん…」僕はそう呼びかけるので精一杯。
「私は―死んだはずじゃないの?」彼女は不思議そうに言う。
「私が蘇らせたんだよ」父は言う。
「…貴方、やってはいけない事に手を染めたのね?」
「そりゃあ。君の顔が見れるなら私は悪魔に魂を売り渡すくらいの男だ」
「貴方は昔から愛が深いから」
「だろ?いやあ。本当に久しぶりだな」
「本当ね。コウ…大きくなったわね?」母は僕を見ながらそう言う。
「母さんがいなくなって―10数年は経つから」僕はそう
「母が居なくても子は育つ…のかしら?」
「いいや。ここまで育っても母さんが恋しかった」
「私もよ…」そう言う母に僕は心動かされつつも拭えないモノがあった。この人は極限まで母に似せられているが―母ではない。
「ま、今は疲れてるでしょ?寝ててよ…」僕は彼女に促す。
「そうね。今、頭の中が一杯一杯…少し眠らせてもらうわね」彼女はベッドに伏す。
◆
母のクローンは完全になった。
父の献身的な学習装置への取り組みがあったからだろう。
その間も、僕のクローンは好き勝手をしていて。
「お前の母ちゃん蘇ったらしいな?良かったな?マザコン野郎?」彼は食卓でそう言って。
「ああ。良かったよ。お前みたいな出来損ないが出来なくて」僕と彼とで食卓を囲んでる。母と父は何処かに出かけていた。
「俺様が出来損ないたあ、言ってくれるじゃないか、オリジナル?」
「個人の再現性って話で言うなら、お前は出来損ないだよ。実証実験の為に産み出されたモックみたいなもんだ」
「…俺が本物じゃない見本だと?」
「そうだよ。お前は母さんの再現の為の実験で創られたんだ」
「…お役御免って訳かい?」
「ああ。少なくとも僕はそう考えているね」窓の外で雨が降り始めて。
「ふざけんなよ?俺はもうお前を離れて生きているんだぜ?」
「そうだな。それだよ。お前が出来損ないの理由は」
「お前たちの不手際じゃねえか」
「そうだね。ま、主に父さんが悪いけど」
「お前はシラきるつもりか?」
「僕がお前に何かしたかい?」
「ああ。俺の前で俺の顔してしょうもない人生歩みやがって」
「そんなの知った事じゃない」
「ムカつくんだよなあ」
「知らん」
「…俺は近々処分されるのか?」彼は僕にそう聞いて。
「じゃないかな。父さんは惜しむだろうけど。僕としては是非消えてもらいたい」
「…そんな事させるかよ―」彼はリビングに付随したキッチンへと走る。そこにはさっき僕が使った包丁がある。
「―とち狂いやがった」僕は
そこから。もみ合いは始まった。
包丁を手に入れた彼は僕に襲いかかってきた。僕と彼はリビング中を駆け回り。最終的には窓から庭に転がり出ていた。
庭で。包丁を持った彼と僕の睨みあいは続いたが。彼が包丁を構えタックルしてきたところを捕まえて。僕は彼の手から包丁を奪い。
「良い機会だ。君を僕が殺すよ」
「…やってみやがれ。このチキン野郎」彼は挑発的な目を僕に向けている。
「はっはっは。出来ないとでも?」
「お前は妙に行動力があるが、最後の一歩は踏み出せないヤツだ」
「よく知ってるじゃんか」
「そりゃ。俺の素体だから」
「なら。その想定を超えてやるよ」僕は彼に包丁を持ったままタックルする。
包丁は彼の腹に突き刺さって。僕はそれを無理やり腹の奥にねじ込む。
変な気分だ。自分の顔をしたヒトを殺すなんて―
◆
僕は隣の県の砂浜に来ている。
手には文化包丁。僕のクローンを殺した包丁。
僕はそいつを海に向かってぶん投げて。包丁は海の中に消えていった。ポチャン、という音を残して。
しかし、ああ。僕もヒト殺しになっちまったな。いや、クローンなら殺人罪はどう適用されるのだろうか?戸籍にはないはずの人間だが。
父と母は今ごろ逢瀬を楽しんでいるだろう。
母は僕が殺人を犯した事をまだ知らない。と言うか、クローンの存在さえ、まだ明かしていない。
僕は波打ち際を眺める。寄せては返す波。
僕はこれからどう生きていけば良いのだろう?
アイツの死骸が見つかったら。僕は表向き死んだ人間になる。
アイツの影として生きてきたこの一年をこのまま一生送る羽目になるのか。
そう思うと憂鬱だ。元はと言えば…父さんがあんなモノを産んだのが悪いのだが。
だが、僕はその先の野望の為にそれを認めて放置してしまった。
実証実験に付き合ってしまったのだ。
だから。僕もこの件に関して開き直る事はできない。
…海に身を投げようかな?
そう思ってしまう。雨の後の海は時化ていて。自殺するにはちょうど良い。
僕はなにはともあれ殺人を犯してしまったのだ。例えその被害者が自分のクローンであっても。
海は波打つ。
そして僕を待っている。
◆
『君は僕とは違う』 小田舵木 @odakajiki
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