眼球に、映るセカイは地獄色

柑月渚乃

ちーちゃんと私

「ねぇ、ちーちゃん。なんでそんなに加工するの?」


「ミライ、いい?これは加工じゃないの。これが私の中の私なの」


「そ」


 その日の事、何故だか今でも覚えてる。




 ちーちゃんとは高校生になってから話した記憶がない。

 いや高校が違うわけじゃない。


 うちは中高一貫だったから高校の終わりまでずっと同じ。

 4年生の時に新しく入ってきた同級生と何人かいなくなる同級生がいるだけで。


 ちーちゃんは昔からいつも明るくて周りを惹きつける何かがあった。

 自分は3年生までその恩恵を受けていただけで、全くそんな力は持っていない。


 私は少し羨ましかった。彼女のキラキラした何かが私にはなかったから。


 わかっている。自分はそんなキャラじゃない。

 私には私なりの役割がある。それを超えたものに憧れて勝手に妬むなんて卑怯だ。


 理由なんてないが、彼女とは話さなくなった。

 クラスは一緒だし、別に喧嘩したわけでもない。

 そもそも他人の悪口を言うような子でもないし。


 もし理由があるとすれば、元々お互い住むべき世界が違かった。それだけだ。


 キーンコーンカーンコーン。


 中学校舎に流れる放課後の時間の合図。それを聞いて私はロッカーから荷物を取り出す。私は部活なんていう居場所もない。人と群れるのがあまり得意じゃないやつは無理せずいこう。


 そう自分に言い聞かせ、鞄を背負って一人まだ誰も下りてきていない階段を下る。今日も一番乗りだ。




 電車の窓から見えた空は燃えるように赤く地獄のような色だった。

 金属の乗り物に乗った人間たちは皆疲れた顔をしていて、少し生臭い。

 窓の外の左から右へと流れていく風景に対し、心の中で小さな無力感が焚き上がった。


 私はどうしても他の人のように世界が綺麗に見えない。


 私の趣味は家に帰って淡々と絵を描く事。正直、別に本気で好きなわけじゃない。

 ただ時間を潰すために私は絵を描いている。


 私みたいな人間に何が出来るんだろうか。よくそう思う。やりたい事もない、好きな事もない。誰かのためになる事なんて出来る気がしない。

 こんな絵、一枚描いたくらいじゃ何も変わらないってわかっている。


「やっと、終わったー」


 目の前にあるのはかなり時間のかかった絵だ。何日もかかっただけあって自分でも少し上手い方だと思う。

 私はその絵をすぐさまSNSにあげた。


 本心に忠実に言うと私はこの時が好きだ。私はネットの中ではそれなりに知られている方でそれなりに反応をもらえる。だから、その時だけは誰かに認められている気がして、楽しい。


 きっと錯覚してんだ。自分の存在を肯定してもらえていると。


 私は人のいる絵は描かない。いや、描けないのかも。多分ちーちゃんを見れないのと同じ理由だ。

 私は誰かの背景になっていそうな絵が好き。そっちの方が共感できるから。


 私の投稿にコメントが付く。


『海中を走る電車!素敵すぎ!』

『海の底の暗くて恐ろしさを抱えた感じがすごくよく出てて良いですね!』

『色遣いが上手い!ファンタジーすぎない独特の不気味な雰囲気が好きです!』


 また独特、か。


 私のイラストはそう言われることが多い。

 理由は単純にキモいから。

 自分で描いた後見てても思う。一歩引いてみると気味が悪い。


 理由はどう考えても色遣いだ。明るい暗いとかそういうレベルじゃない。他の絵と比べてポップさラフさが欠如している。


 私の中身みたいだ。でも変える気はしない。


 不意に体の底から何とも言えない腹立たしさが這い上ってくる。それは自分への憤り。

 こんな素敵な言葉をもらっても返すどころか、擦り傷ほども刺さらない。

 最低な奴だ。こんな人間、生きてちゃいけない。


 時計を見ると、午後十一時半。また一日が終わった。何も残らぬ一日が。


『もっと人を元気づけられるような絵を描ける人間だったらなー』


「なんてね」

 スマホの画面を下にして、私はその側で倒れた。




 ジリリリン、ジリリリン。

 不可指数の高い金属の音が頭の中で鳴る。手を伸ばすが届かない。

 ゴトゴトッと何かが落ちる音がして、体に痛みを感じる。


 起きた。床の上で。ベッドから落ちた体を立て直し、痛みをぐっと堪えながら朝の支度をする。


 問題なく学校に着いたが、別に何かあるわけでもない。机の上で突っ伏して寝たふりをするだけ。


 朝の出席確認前、ふとスマホを取り出した。


 ただ、

『もっと人を元気づけられるような絵を描ける人間だったらなー』


 その文字を見て、背筋が凍り付く。

 寝ぼけてそんな事まで投稿していた。

 傍からみたら変わらないだろうが自分はとにかく焦って投稿を消した。


 私は学校にいる時はセミの抜け殻。静かに時間は過ぎた。

 教室の前黒板の上にかかった時計を見ると午後3時半を過ぎたらしい。

 ボーッとしていた。これじゃ今日は階段一番乗りではないかな。


 私は今日も変わらない一日を過ごす。何もおかしいことはない。

 変わらないことが普通。通常運転。




 そう思っていた時だった。


「ミライー!一緒に帰ろ?」


 突然、雑音の中からそんな声が聞こえる。今、ミライって言った?呼ばれることなんてないはず。何かしただろうか。いや、今日は記憶がないくらい何もしてない。


 でも、それはハッキリと聞こえた。ミライ、と。

 そう頭の中を整理して、恐る恐る背後を振り返る。


「頭の整理は終わった?帰ろー!」


 そこにいたのは私から見て一つ後ろの机に腰掛けた行儀の悪い子、ちーちゃんだった。

 私は彼女の言葉に分かりやすく動揺した。

 昔からそうだった。彼女はこっちが思っていることを気を遣うことなく当ててくる。


 というか今一緒に帰るって言った?


「早く早くー!」


「待って、どういうこと?なんで私と」


「んー、気分?」


 気分、なら仕方ないか。


 私は帰りの準備を素早く済まして、彼女と一緒に階段を下った。


 いやいやいや、おかしい。一度状況を飲み込んだものの、それは処理落ちに他ならなかった。この状況、明らかにおかしい。


「ねぇ、ミライ。私はさ羨ましいんだよね」


「え、何が?」


 嫌味だろうか。


 いや、ちーちゃんがそんな子じゃないのは自分が一番よく知っているはずだ。

 危なかった。動揺しすぎて危うくよく知ってるちーちゃんの性格さえ見失うところだった。


「昔さ、ミライに絵を見せてもらったことあったじゃん」


 あ……あれか。


 彼女の言うそれが何のことかは、私にはすぐ分かった。

 それはちょっとした黒歴史になっているからだ。


 中三のある時、調子に乗って「私、絵、描いてんだ」なんて口走った。そう言って自分のSNSからスクロールして自信満々に (実際は自信なんてなかったけど周囲からしたら、それはもう堂々としていたと思う)見せたイラストが中々に暗いものだったから、その瞬間私たちを囲う周囲の空気が凍りついたんだ。


 あの感触は忘れたくとも忘れられない。そんなことを今さら掘り起こすっていうのか、ちーちゃん。

 いや、もう別にいいんだけどさ。


「あの絵、私めっちゃ好きでさ」


 え?


 頭に浮かんだのは単に疑問符だった。


「いや、好きっていうタイプの絵ではなかったんだけど、なんか惹きつけられたっていうか?ミライにはああ見えてるの?」


 そんなはずないけど、ちーちゃんがあの絵に惹きつけられたって言った?


 本当は素直にありがとうって言うべき場面だったのだろうが、私にはそこまでの余裕はなかった。

 とにかく、私の中で二度と調子に乗らないよう色んな私が総動員されて彼女に褒められたわけじゃないぞとオペレーターに訴えかける。


「うん、そう見えてる、のかな」


 キモい返事をする。何度も言うが余裕などなかった。それはほとんど無自覚に近い。だからか、ミスしてしまった。普段の私なら、そう見えてるなんて言わない。それをタブーにしていた。聞きたくない返事が聞こえる気がするからだ。


「そうなの?いいな、私もミライのように世界が見えたら」


 彼女にそう言われて自分の犯したことに気がついた。防衛本能がオペレーターに急いで訂正しろと語りかける。


「いや、私みたいな見え方してもいい事ないよ!」


「そう?加工なしでそう見えるなんて、才能じゃん」


 その瞬間、私は息を飲んだ。


 それなのに私は初めて、生物的なものじゃない、人間としての息が出来た気がした。

 心の底から大きく息を吸えた気がした。


 絶対引かれると思っていた。ましてや自分の見え方が肯定される時が来るなんて夢にも思わなかった。

 絵としては評価されても、それがただ自分の見えてる世界を描いているんだなんて言ったら気持ち悪がられると思ってた。


 私の中で小さいけど大きい革命が起きた。その余波が体全身に響いた。


「私がさ、写真を加工するのはさ」


 あ、それ知ってる。


「ちーちゃんの中のちーちゃん?」


「そう!覚えてたんだ!私には私がそう見えるの」


「前も言ってたよね」


「そう。でもね、それ、嘘なんだよ。私の目は加工した写真のようなキラキラしたフィルターがかかってるわけじゃないの。理想に近付けてるだけ。まあ、それが普通なんだけどね。正直、あの時はミライに見栄張ったっていうか?」


 それは小さな告白だった。声も彼女にしてはいくつもトーンを下げていて。

 でも私にとってはとても大きなものだった。今までちーちゃんはそう見えているんだと本気で思ってた。


 人間は元からキラキラ見える人間とおどろおどろしく見える人間で分けられているんだと思ってた。


 彼女の裏切り。今までの、特に高一の私をつくってきた観念が破壊された瞬間だった。

 ただそれは何よりも今まで経験してきた何よりも爽快な世界崩壊の瞬間だった。


「だからね、私はミライに自信持ってほしいの! ミライは特別! 少なくとも私の中じゃ! ね?」


 その後、私は何を話したか覚えていない。




 私は今日も絵を描く。この色遣いは変わらない。

 私が存在していることに唯一価値のついたものだから。

 見える世界もいつも通り地獄色。


 ただ、変わったことといえば……


 あの日から人が描けるようになっていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

眼球に、映るセカイは地獄色 柑月渚乃 @_nano_

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ