XsINs‐さいんず

二桁年以来

 セミの擬人化を、考えていた。性別は男でも女でもいいが、欲求的面を考えて異性の方を選ぶ。


 その妄想をする上で、最も滾るシチュエーションとは?


 『ひとつの公園に集い、けたたましく鳴く』。『肩に提げた籠へ、溢れんばかりに詰め込む』。『捕まえようとして逃げられ、おまけにおしっこを引っ掛けられる』。『中身のない抜け殻を愛でる』。『ソフトシェルを食べる』。『羽根を取る』。


 ……それでは、物足りないのではないか、非・現実性が。妄想ができていない・・・・・・のではないか、可哀想なことに。


 個人の見解として、「マンションの廊下に迷い込んでしまい、どうにか出ようと無様に暴れているところ」こそ至高であるとする。室内ではなく廊下。高さのあるマンションの、閉鎖よりむしろ開放的な廊下。じっと困惑するのではなく、天井の引っ掛かりによって外に出られない残念な姿。


 妄想の足りない故人には、自分だけの世界観が存在しない故人には、わからないだろう。そんな面白味のない一面だけで、よく生きていられる。それとも、思考できる人間としては既に死んでいるのか。




 そんな事を思っていたからか、セミを見た。木に貼り付いて鳴く、二桁年前は嫌と叫ぶ程に目立っていたセミを、二桁年以来に。


 今年初だ。夏ももう終盤、いつかの栄光だけ残し消滅した秋の屍を踏んでいるところで、ようやく見た。たまにじゃなくもっと散歩しろよ、と、健康的な動きを斡旋してくれているように感じる。


 捕まえたいところだが、虫籠がないどころか触れることもできない。高い場所にいるからとかでなく、触れなくなっていた・・・・・


 分別を知らぬ子供の汚さ、唾棄すべきものを知った大人の穢れ。退化もまた進化であることを、この妙なタイミングで実感する。




 想いをかえせば、零れる記憶がある。


 そうだ、ふと想い出した。あの時の夏。転げて膝を擦りむいた際に、あの子がくれた、傷とサイズが合わない絆創膏。結局使わずに、鬼畜めいた消毒戦と布で代用した。あの布は何だったか……傷口に当てる、上から濁色のテープで固定するあの小さな布。まあ、いいよ、別に。


 あの子は、どうしているのだろう。同じ先人の足跡を、同じように辿っているのか。それとも、獣も通らぬ雑草の森に、自分だけの道を拓いているのか。


 顔も名前も想い出せない。まるで、例の布のように。……これはどちらに失礼な発言だ? 実際発していないのだから、構わないのか。そうしておこう。




 セミの着いた木漏れ景色から覗いて見えた幻は、市民プールの跡。


 二年前だ、久々に意識してみたら更地と化していて、心底驚いた。現在ではコンビニのかたちが出来上がっている。ちなみに、そこで泳いだ経験はない。


 あの子は、泳ぐのが下手だった。いつもプールサイドに座り、でもタイム計測だけは成績のために出席。醜い溺れ方で、前に進むはずもないのが、笑いの種だった。


 好きだったかすらも覚えていない。なのに、なのになのに、事あるごとに紐付いて、歴史が呼び起こされる。


 不愉快、でもない。




 しかし不愉快だ、セミ、いや虫ってやつは。もしも平気、と言うか狂気ならば、この靴底で板っぺらにしてやっているものだ。


 木に蹴りを入れれば、そのバカ虫は泣きっ面も忘れて飛んで逃げた。あまり良くないのだろうが、気にするような人自体もいないので良し。


 次いで、逃げ先の小さな男ひとりに小便を恵んだ。なんと、運の悪い男。


 あの子も、ツキがなかった。風が吹けば帽子が飛び、雨が降れば傘を取り違えられ、砂が舞えば目に集約する。とても見ていられない、天性の逆光があった。


 そう、不思議そうにこちらを見る、彼のように。


 文句でも言いたいのか、足早にこちらへ歩み寄る。当然ながら遠くから見るより、身長がずんずん高くなってくる。いや、明らかに小さくないな。むしろ高身に類するのでは。


 筋違いだ、水晶を睨む老害へ当たれ。『立派な大人』と呼ばれる故人に成り果てかけていた私の、最後の妄想が、そのクソに匹敵する面白味のない言葉となった。



「あの、すいませっ、ああ葉っぱ! 飛んでまで邪魔しに来るな!


 ごめんなさい。あ、その、想良ソラちゃ……さん、ですか? 瀬見野セミノ想良ソラさん。あの、覚えてる、覚えてますか? 僕のこと。……お久し振りです。中学以来でしたっけ」



 五月蝿いセミより、もっとずっと聞き馴染んだ声。優しさとか丸さとか、そんなのが増している、昔よりも。


 ああ、そう、そうだ。


 そうだった。想い出した。あの瞬間の初めて得た感情も、ラッキーもハプニングも、しょうもないことも大事なことも全て。




 綿紗ガーゼだ。例の布の、名前。

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