電気屋のエンジン

とmdろ

第1話実はダックスフンド

 それよりおい、知ってるかお前!

 なんです。さっきまであなた、今晩の夕飯がまずかっただとかブツブツブツブツ文句言ってたくせに、こっちが言い返そうとした途端にこれかい。

この夫婦はいつもやかましいのだ。近所からの苦情は週に三回以上。一度は今住むこの町から追い出されそうになったものの、夫婦の表面上の優しい性格のお陰か、結局は今もこの家に住むことができている。いつも高級料理店で出てもおかしくないくらいレベルの高い料理をおすそ分けしたり、町内会のイベントに率先して必ず参加したり、そしてなんといっても心優しい(実はそう見えるだけなのだが)性格を持つという、そういう点では町民からの評価は誰よりも高い夫婦なのだ。

ただ話が長く、声が大きい上、あまり面白くない。この夫婦に見つかる度に一時間以上は聞きたくない話を聞かされる。関西生まれ、江戸っ子風味の喋りを展開するこの夫婦との会話に足並みそろえて歩けるものなどそうそういるものではなく、この町に住む人々は少なくともそういう人ではなかった。町民にとってこの夫婦との会話は、Youtubeで耳舐めASMRを大音量で聞いているときに某R社の広告が流れてくるのと同じくらい、若しくはそれ以上のストレスなんだとか。

一部界隈では寝てる間も喋ってるんじゃないかと噂されているこの夫婦。二人の口の周りはマグロと同じ性質を持つらしく、家でもずっと喋るようで…

 いや、思い出したんだよ。すごい話を言い忘れてたけど、今!思い出したんだよ!

お皿の散らばる机に身を乗り出して主人は続ける。

 いやあ、家に帰ったらすぐ母ちゃんに話そうってこの話を聞いてからずっと思ってたんだよ。それなのによ、帰ったらあんた、「あなた、ご飯にする?お風呂にする?それとも、あ・た・し?」なんて俺の日頃の苦労を理解した気の利いた質問を投げかけてきて、俺に「お・ま・え」なんていう返事をさせるってこともなくよ、「おい、早う風呂入ってからご飯食べ。はよ洗濯したいんじゃ。」だなんてつまんないこと言うから…

主人の名は愛飢夫。最近妻からの愛に飢えているのだ。町の人々はこれを知っており、一部では、名前が愛飢夫だなんていう五十音の最初みたいな変な名前なのはこのことが理由で、二年前の結婚記念日に役所で改名したんじゃないかとささやかれている。が、飢夫は生まれた時から飢夫だ。いわゆるキラキラネームである。なぜこんな辺鄙な名前なのかなど想像に難くないだろう。飢夫は、妻は私のことを実はずっと愛しており、恥ずかしいから表面には出さないのだろうなどと思っているが、そんなことなど一切ない。そう、一切ないのだ!

 何言っとんよあんたは。もう二人とも50過ぎで、わたしゃ洗濯は昔と違って大変なわけで…って、あんたは元気ね。今年で56っていうのにまだ私を選びたいのかい…いやー、こりゃあ参ったよ。通りでずっとうるさいわけだよ。

 それはあんた、言っちゃいけないよ。

 あんた、昔は二世紀に一人のイケメンって言われてたのに今は……今は…ダンディになったわね。

レディーの名は愛愛。最近夫に愛想尽きたのだ。町の人々はこれを知っており、一部では、名前が愛愛だなんていう尻尾の長いサルみたいな変な名前なのはこのことが理由で、新たな愛を探しているため、二年前に役所で改名したんじゃないかとささやかれている。が、愛は生まれた時から愛だ。別にキラキラネームじゃない。飢夫の家に嫁いだからこうなったのだ。もともとは柳生愛という何とも高貴で美しい名前だった。しかし、目玉の大きいサルみたいな名前になることを覚悟して愛する男の名字になることに決めたのだ。ただ、今はものすごく後悔している。

 そう。今はダンディに。この口髭と白髪が年相応の重厚感を生み出ているのよ。どうだい母ちゃん、俺の事、今もかっこいいって…やっぱりずっと好きなんだろ?

愛は反論しようとするが、飢夫が被せるように言う。

 皆まで言うな皆まで。うんうん。分かってるって、いつもは言えない心に秘めるその気持ち。伝わってるから。ああ。

自惚れするおっさんを放っておいて夕飯のあとを愛は片づけ始めた。飢夫のお皿の上はいつも通り何も残っていない。文句は言うものの、美味しいとは思っているのだ。

 あのねえあんた。毎日言ようるけど、お酒が入って変になりょうるのよ。それにあんた、すごい話はどこに行ったんだい。それを言わずに横道それて行って、本題が暇になってランニングでも始めとるんじゃないかい?あんたと山を登ったら大変だろうね。山頂に着いた時にはもう真っ暗で、小屋もないから日の出を見て帰ろうなんて言い出すんでしょうよ。

 酷いこと言うねえあんた。まあそうするだろうけども……いや、そうだよそう!ビッグリニュース!ビッグとビックリのビッグリニュースよ。あのー、前に俺が用事があったから肩をポンポンって叩いたら関節技をキメてきやがった部下の小泉ちゃんいるじゃん。

 ああ、あの子?あのー、可愛い…顔が丸い、眼鏡かけた子だよね。

 いやそれは知らねえ。

 なんやねん。

 まあ、その子が犬の秋田犬を二匹飼ってるんだよ。

 犬じゃない秋田犬なんていないでしょうに。変な気遣いするねえあんた。

 まあ、そこはええのよ。その二匹は、雄と雌で、雄がパグで、雌がポメラニアンなんやけど…

 他の犬種の名前つける奴絶対小泉ちゃんだけでしょ。ややこしなあ。秋田犬飼うことが結構珍しいのに、名前のせいで秋田犬の主張が弱なってんよ。小泉ちゃん変な子やね。

 あんたに言われとうないやろ。ほな、続き話すで。ほんで、そのポメラニアンがよ、パグとの子をいつの間にか身籠っとって、つい先週ポメラニアンが三匹も子供を産んだんよ。

 そこまではええ話じゃないかい。で、続きは?

 一匹はな、日本にようおりそうな感じの犬で、もう一匹は、なんか、お笑い芸人におりそうな見た目の雌の犬で、あと一匹はよう吠えそうな犬らしいわ。で、そのそれぞれの名前が…

 当てちゃろか。

 え?

 いや、子犬の名前当てちゃろかゆうてんねん。

 まあ、ゆうてみいな。

 柴犬、ゴールデンレトリバー、チワワやろ!

 お!不正解!

 なんやねん。

 いやあ、知らんはずなのに自信ありげに当てちゃるゆうけえ、知っとるんかと思うたわ。名前は、信一郎、孝太郎、進次郎。

 おいおいおい。おいおいおいおい。おいおいおいおいお…

 うるさいなあ、おいおいおいおい。ただの犬の名前だろ。そんな一生懸命にならんでもええでしょうが。変な人だねえ。

 なんであんたはそんな、何とも思わずにいられるのか不思議だねえ。小泉ちゃんは相当おかしな子だよ。

 あああ!

 どしたんよいきなり!

 いや、この子犬の名前!元首しょ…

 それ以上は言うんじゃないよ!………まあまあ、すごい子だねえ。度胸のある子だねえ。

 いや…本当だねえ。なんだいこの名前は。俺はこの子犬の写真を見たけども、柴犬、ゴールデンレトリバー、チワワの方がしっくりくる名前だったよ。

 だろうねぇ!もう、何とも酷い話だなこりゃ…ところで、これは話のオチじゃなさそうだね。まだ話に続きがあるんだろ?続けてくださいよ。

 うーん…

 おっとおっと?夫が困っている。

 それ、面白いねえ。

 そんなことは良いんだよ恥ずかしい。まさか、今その子犬の名前の酷さに気付いたからオチが今の話に劣ってるってことはないだろうね。

 まあ、そんなところ…

愛の食器を洗う手は既に停止していた。その時、ここ数年音が鳴りやまなかったこの家から数秒だが音が止まった。

 まあ、呆れたよ。あんたは…話の最初と最後は大事だってよく言うものの、そこだけしかしっかりと聞いてないなんて。まあいいよ。早くオチを話しなさいな。

 昨日分かったらしいんやけどな、本当は秋田犬じゃなくて土佐犬だったんよ。

 えぇ……えぇーーーーぇぇ……なんじゃそれ…鳥肌立ったわ。なにこれ。新手の怪談かなんかだったんか?今夏やから、怪談とか丁度ええなあ思うたけども、かいた汗、冷や汗とちごうて脂汗なんよ…いや、これは、年取ったからなんやろか。それはそうと気持ち悪い話やわあ。なんなん……

 あのな、この怖さは人間の本能が怖がっとるときの怖さなんや。予想が当たることのない、予想不可能の恐怖や。

 なにがすごい話や!小泉ちゃん恐ろしい子やわあ。もう、なに気色悪い話してくれてんねん。頭おかしなるやろ。

 あんたは元からおかしいねんけどな。

 あんたもや。

 がはははははははは(二人の息のそろった笑い)

二人はこの後もしょうもない話を寝るまで話し続けた。


一方、隣の家から騒音被害に毎日あっている、伊野須家では、先程の数秒の沈黙について大騒ぎになっていた。

 愛さん家からの声が一瞬止んだぞ!片方死んだか!

なんて言って喜んでおられた。愛家からのおすそ分けにどの家よりも多く応じていたこの家。ほぼ毎日その料理の具材を買うところから作ってここまで持ってくるまでの工程をどこも面白い節はないにも関わらず、何とも面白いかのようにに話される。何とも楽しそうに話すため、なかなか話を終わらせにくく、その上立って話すものだからその一時間は苦行そのものなのだ。そのお陰で伊野須家の人間は仏の心を手に入れたのだ!といううまい話になることはなく、最近はそれに耐えかねて簡単なパイプ椅子を持って行って話すようになった。伊野須家は実はある夫婦の愛の巣であり、夫の雄大も妻の今日子もただただ静かに愛を育みたいと思っていたのだ。そのため、愛家を憎む二人はいつになったらあの二人が死んでくれるかと真面目に思っていて、毎日のように家の一番大きな柱に括り付けた藁人形の心臓にめがけて長い釘をトントン、トントントンと刺し入れている。この音は愛夫妻の声よりも大きな音で、愛家にもよく聞こえているようで、愛夫妻はこの音を何よりも激しい夜の営みの音だと思っている。愛家ではこの音を聞きながら、

 おお、今日もいい音だ!

とか、

 おおお!リズムが早くなったぞ!女が上か!

とかいう、思春期末期のしょうもない想像でまた一段と声を張り、スーパーコンピューターでも処理できなくなるほど話をますます白熱させていくのだ。

まあ、突くという点では当たっているのだが。


さて、愛家が静かになるときは来るのか、伊野須家に平穏は訪れるのか。町民が愛家の地獄喋り(エンドレスボイス)から解放される時はくるのか。

だが、それはまだ誰も知らないのであった。

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