暗躍、そして蜂起す
左大臣である九条夢之進は、いつも通りの黒い
その眼前には、並んで
「用意した九条殿の『替え玉』が先程、
口を開くのは、黒雨一位。野太い声で、存在自体に威圧感がある。
「私ではない。
九条は、
「国宝の力には限りがあるに違いないと、ずっと訴えていたからな。その証拠に、年々
「
隠密が感情を荒らげることは珍しい。それほどまでに、希代の陰陽師の作った盤の上で事が進んでいるようにしか思えず、そら恐ろしいのだ。
九条は、両袖口に反対の手を差し込んで腕を組む。
「私も半信半疑であったがな……まさか娘に力の一部を託して、
「っ、ギー様の
「うむ」
ふー、と九条は眉間に深いしわを寄せ目を閉じる。
夕星の、瑠璃色の瞳を思い出す。強い意思を内包した煌めきは、いつでも九条の心をざわつかせた――ひょっとして、人あらざる者なのではないかと。そんな女が選んだのが、涼月という
実際、試合稽古であれギーに片膝を突かせたのは、数百年の中でも彼のみだという。
――老いたものよなぁ。
楽しそうに笑って紫電一位を譲ったギーよりも、悔しそうに顔を歪める夕星の方を覚えている。
九条はそんな過去から現実へと、思考を無理やりに引き戻した。
「とはいえ、
夕星の一人娘である沙夜に危機が迫った場合、黒雨の者が皇都へ導く手筈を整えたのは、他でもない九条だ。皇太后である夕宮――夕の字を夕星に与えるほど可愛がっていた――の印をついた書状を預け、後宮
ところが、愚闇はなぜかギーの元へと連れていった。
想定外であったものの、離宮で会った沙夜は、顔立ちこそ涼月によく似ていたが、意思の強そうな目が夕星に似ていて思わず微笑んでしまった。
「未来を切り開こうぞ。そのためには」
「……粛清はこちらにて」
暗黙の了解とばかりに、隠密ふたりが深く頭を下げてから姿を消す。
九条は、何もない空間に向かって小さく言を放つ。
「龍樹殿下は、殺しすぎた……直接でないにしろ、恨みは穢れを助長するぞ。皇帝の座に近い魅侶玖殿下の方が先かと思うておったが」
その身に皇帝の血を受け継ぐものは、過去数百年の穢れをも受け継ぐ――実際先に倒れたのは、魅侶玖だった。
「早く決着をつけねばな……いくらそなたの『
◇ ◇ ◇
その頃龍樹は自室でひとり、
「なんで! なんでっ……」
あれほど周りをうろちょろしていた、
いくら呼んでも現れないことに、一人で焦っていた。
皇都近郊にもいよいよあやかしが出没したとの
腹違いの兄である魅侶玖は、皇帝の座にまるで興味がない態度だったから油断していた。おまけに「龍樹様こそふさわしい」「栄華の世を、共に過ごしましょうぞ」などと持ち上げられ、満更でもなかったのもある。
ところが、あやかしが出没し始めてから、状況が一変する。
地方
「できるだけ早く軍を派遣してくれ」
「陰陽師はもういないのか」
「補給はまだか」
と手紙だけならまだしも、使いが直接皇城までやってくると、皆が皆震えあがったのである。
お喋りや歌、楽器を
次々と舞い込んでくる
幼少時から武家筋の稽古に交じり、剣の腕を磨いてきた第一皇子は、当然紫電を動かすのも
恵まれた身長や体躯、泰然とした雰囲気は、皇帝というよりは武人と言われた方がしっくりくる。
そのことが、余計に龍樹の
遥か昔に国宝青剣を
「いやだっ! ぼくが、皇帝になるんだっ、……ならなくちゃっ……」
もはや自分の居場所すら分からない。
龍樹は『皇帝』という地位に
――ちりりん。
手元にある鈴を鳴らすと、紫の
「内大臣。九条は?」
振り乱した頭髪を整えもしないまま上から睨みつけると、
「
内大臣は狐目を一層つり上げて微笑んでから、
「あいわかった」
――
後の世ではそのたった一行で書かれた出来事であるが、今この時代の人々には、間違いなく大きな混乱と悲しみをもたらした。
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