対決と、対決


 

「沙夜……」


 光が収まり玖狼が駆け寄ると、沙夜は袖口で軽く目元を拭き、目の前で倒れている桜宮さくらのみやを部屋で寝かせるよう愚闇に促した。

 

「大丈夫よ、玖狼。

 

 瑠璃色の目できっぱり言い放つ横顔に、玖狼は目を見開いて畏敬の念を抱く。その意思の強さ、覚悟の重さに。

 

「我が娘、と言われた。これは、母様の力なのね」

 愛おしそうに自身の胸へ手を添える沙夜に、黒い狼はハッとしてからその柔らかい毛で寄り添い

「さもありなん」

 とだけ発する。


 人へ戻った桜宮を、横抱きにして布団へと運ぶ隠密の手は、慎重で繊細だ。それを見守るふたりは当然心中で「呪いをはらった」事実を反芻している。

 

「玖狼は、母様に言われてわたしの側に?」

「否定はしない」

「そう……これは瑠璃玉という、なにもかも暴き清める、とても強い浄化の力だと」

「その通りだ。夕星ゆうづつめ、結局わしに面倒見させる気満々だなぁ」


 ははは、と乾いた笑いを漏らす黒狼は、くいっと首を桜宮へ向ける。

 

「あの『蛇成り』のような強いしゅを元に戻すなどというのは、普通なら不可能だ。そのようなことができるのは、希代きだい陰陽師おんみょうじのみ」

「母様は、陰陽師?」

「うむ。白光一位でギーの愛弟子の夕星ゆうづつという」

「っ! だからギー様は、わたしに目を掛けてくれたのね」

「まあ、娘とは知らぬはずだが、何かを感じていたやもしれんな。沙夜は代々、陰陽師の家系だから」

「え……ということは、まさか! ばあばの語っていたお話とか……言葉とか踊りとかって……」

「修行の一環だ」


 沙夜は、息を呑む。

 子守歌に皇帝や左大臣の話の他にも、文字に手遊び、歌など、いろいろなことを教わった。

 ぐるぐると頭の中を今までの思い出が巡っては消えていく。疑いもなく、ただの遊びだと思っていたが、今思えば確かに

 

「して、何が見えた?」


 沙夜は下唇をぎりりと噛み締める。話すのを躊躇うほどのことか、と玖狼は読み取り

 

「その力は、『しゅにまつわるもの』を見通す。代々継承していくものだが、中には気の狂う者もいる。抱え込まずに言うが良い」


 と背中を押す。

 沙夜はぎゅっと目をつぶってから開いた。

 

「……泣き崩れる桜宮殿と、寄り添うご家族が見えました。ご家族の周りには、蛇が」

「龍樹とやらがそれをできるとは思えぬな。ここはもう大丈夫だろう。愚闇」

「は。調べてまいります」

 

 ばさり、と黒い翼をはためかせ、隠密は回廊から夜空へと飛び立った。

 すぐに闇に紛れるその影の行き先をぼうっと目で追ったまま、沙夜はほろりと

「ばあばは、最後の瑠璃の力を使ってわたしを守ったのね」

 と涙をこぼす。


 家で起こったことと、離宮であやかしを消したことが、ようやく腑に落ちた。


「うむ……あれが、星影ほしかげの遺言だった」

「星影……」


 温かい手を思い出し、胸が絞られるような思いをする。


「星影も夕星も、そなたを陰陽師にするのに躊躇ためらいがあった。厳しい道だからな。それでも何かあったらと、術を伝えてはおった」

「だから、わたしの名前には」

「そうだ。星がない。より良い物を取り分ける夜、という意味だ。星にとらわれず、良い生をと願った……そなたに瑠璃玉を託すのも葛藤していたからな。わしが人の世のためと押したこと。責めるなら、わしを」


 途端に皆の深い愛情を感じて、涙が止まらなくなった。

 例え直接ではなくとも、常に側に寄り添ってくれている。

 これほど心強いことはない。

 

「ありがとう、玖狼。責めたりなんかしない」

「そうか……これからが大変だぞ、沙夜」

 

 目の前の布団がもぞりと動く気配がし、袖で再び涙を拭ってからキッと顔を上げる沙夜が

「うん。あとでもっと聞かせて」

 と頷くその揺るぎない決意に、玖狼は身震いをする。


「う……」


 さらさらと上等な布ずれの音をさせながら、桜宮が身を起こした。彼女は意識がはっきりするや否や、ギリリと恨みをこめた目で沙夜を睨む。


「余計な、ことをっ……!」

「余計、とは?」

「わらわは、死なねばならぬのにっ」

「死なねばならぬ人など、いない!」


 沙夜はバン! と両手で畳を叩き、ずいっと膝でにじりよる。


「あなたをとしたのは、誰だ!」

 

 


 ◇ ◇ ◇


 


 くれないで紫電二位であるギーの屋敷の庭は、位とは裏腹に質素だった。

 整えられた植栽と、白い玉砂利、小さな池に泳ぐ鯉が数匹。

 竹笹の隙間に上る月を眺めながら、酒を飲むのが小さな楽しみだ。


 そんな庭にふうわりと降り立ち、


「あああ~この世は何年経っても、欲まみれだねぇ。よきかな、よきかな」


 ヒョウヒョウと鳴きながら、ぬえは言う。


「ねえギー。三百年みほとせもお勤めして、疲れたでしょ?」

「……なるほどなぁ。はは、年なぞ数えるのをやめていたなぁ」


 縁側で盃を傾けていたギーは、目の前のもののけに向かってようやく腑に落ちた顔をする。


「青剣の欲がいよいよあふれ出た、ということか」

「君のためだよ、ギー」

「なんと?」

「キャキャ。鬼は欲を喰らって生きるもの。だから弱ったのだろ?」


 ギーはその赤い目をぱちぱちと瞬かせる。


「ふくく。それこそ余計な世話というに……消えるなら受け入れるまでよ。それがことわりであろ」


 柔らかく笑むギーとは対照的に、ぬえはたちまち厳しい顔をする。

 

永久とこしえちぎりをたがえるか」

 

 

 ――われらは永久とこしえの命を持つものぞ。いつかまた会えるだろう。

 


 ギーは盃を置いてから、手のひらに自身の拳をぽん、と打った。


「ききひらきぬ。われも誓約の一部であったかぁ。三百年知らなかった。ふくくく」


 たちまち猿顔の少年が不貞腐ふてくされた顔をする。


「おまえがいなくなったら、駄目なんだよ」

「ほぅ」

「そのまま消える気満々で、魅侶玖とかいうガキに色々教えていただろう」

「だから、出てきたとな?」

「そうさ。ほうら人の命の香りがするだろう? 力が、戻って来ただろう?」


 ふ、とギーは短く息を吐き、眉尻を下げた。

 

「われの欲は、人を喰らうことにあらず」

「な!?」


 にょきりと鋭い角が生えた赤鬼が、ゆるりと庭に下り立つと空気がざわめいた。じわり、じわりとその足から香り立つは、鬼の気だ。


「ふくく。命を削った甲斐はあったか……われが誓約の一部と知れた。浅はかなことよなぁ、青剣あおのつるぎよ」


 闇夜に、赤い目がぎらりと光る。


「え」

「知らぬのか? 鬼は千年生きる」

「えっ」

が、見誤ったなあ。じゃをも喰らうのが鬼よ。飛んで火にいるなんとやら」


 ひ! と甲高い悲鳴を上げるぬえはもう、ヒョウヒョウとは鳴かなかった。

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