あいまみえ、覚醒する



 沙夜のいる夜宮よるのみやを三日三晩襲ったのは、蛇たちだった。


 毒牙を持つマムシたちが、こぞってとぐろを巻いてシャーッと威嚇する様は、おぞましいの一言に尽きる。

 沙夜は当然まともに見ることができず、玖狼の背に顔を埋めて耐えた。

 それでも愚闇がする間のブシャーとかぐちょりとかいう音は、全く誤魔化しが効かず、しばらく食欲が湧かなかったのは余談である。


 明らかに後宮内がおかしいということが知れ渡り――次々と姫たちは、皇都にある自身の生家や親族の家屋敷に移り始めた。『やんごとなき家の事情』であれば家に戻ることができる、と言うのは姫たちに与えられている正当な権利である。今や後宮に留まっているのは、清宮を含んでも数名しかいない、とすずが言っていた。

 

 

「ねぇ愚闇……わたしも、後宮の外に出たいんだけど」

「え。無理っす」

「なんで!?」

「外ったって、どこか行く当てでも?」

「うぐう!」

 

 

 ――まさか……わたしをわざと孤立させた?


 

「玖狼。わたし、分かっちゃった」

「うぅん!?」


 ぴるるん! と大きな黒い耳が揺れるのが動揺の証拠だ、と沙夜は確信した。

 

「これって、あの強面こわもて皇子の罠なんでしょ! 餌食えじきにされてる気がする!」

「そ、そうか……?」

「だって今まで一日おきに通ってたのに来ないし! ふみすら寄越さないもの!」


 不自然に、連絡を絶っている気がしてならない。

 

「ギー様のことも全然聞かなくなったし! さてはふたりして、何か隠してるでしょ!?」

 

 あえて聞かずとも「紫電しでんが郊外であやかしをほふっている」「皇都でも百鬼夜行ひゃっきやこうの前触れがあったが、陽炎かげろう部隊が術で殲滅せんめつさせた」「白光びゃっこう結界縄しめなわが、ようやく地方へ届き始めた」などと情報を持ってきてくれた愚闇が、ここ数日沈黙しているのだ。


 何も言わないのは明らかに変だ、と沙夜は気づいた。

 

「ええっとですね」

「しゃべるな愚闇」

「ひゃいっ」


 がう、と玖狼が噛みつくように止めたことで、確信に変わる。


「くーろー?」

「はは。われらがおるからには、心配無用だぞ沙夜」

「答えになってないし! でも肯定ってことだよね!」

 くわ! と目を見開いてから、玖狼の背をポカポカ殴ると

「いだだ、沙夜、痛い」

 言葉と裏腹に笑う黒狼は腹を見せ、そこに沙夜は遠慮なく顔をうずめる。


「……いちゃいちゃしてる……」


 部屋の片隅で、隠密がひとり、ねた。


 

 

 ◇ ◇ ◇


 


 答えは、次の日の夜におのずとやって来た。

 

「お初にお目にかかる、夜宮よるのみや殿」


 艶やかなひとえ姿の女が、沙夜の部屋の敷居の向こうで、両膝と両手を床に突いている。

 年の頃は、沙夜より少し上ぐらい。大きな瞳が白い肌に映える。が、赤すぎる唇は、美しいと言うより異様である。


「え……と……」

「わらわを知らぬてか」


 ギッと鋭く睨まれた沙夜を庇い、愚闇が

桜宮さくらのみや殿が、何用か」

 と問うと

「無礼な! バケモノの隠密ごときが、わらわに話しかけるなどと!」

 激高しカッと見開いたその目が、蛇の目に化けた。瞳孔が細い縦長で、周りは金色になっている。


 おまけに彼女の周囲には黒いもやがとめどもなく発生し、えもいわれぬ匂いを放っている。まるで何かが腐ったような、それでいて甘い匂いだ。


「なにか、御用でしょうか?」

 無理やりに気を奮い立たせた沙夜が、改めて声を掛けると

「ふん。卑しい平民の分際で両殿下の寵愛ちょうあいを受けるなどと! どんな汚い手を使った!」

 シャーッと口を大きく開け、ちろちろと長い舌を見せつけてくる様は、とても恐ろしい。


 玖狼が、物悲しそうに言う。

 

「どこぞの高貴な姫だったろうに、無惨むざんなことだなあ。一体誰だ、甘言を用いてそなたをそのようなものにしたのは」

「うるさい! 問うておるのは、わらわの方じゃ!」


 シャー! と今度は単の裾から蛇の尾がのぞき、ガラガラと音を立てて左右に細かく揺れた。

 

 玖狼も愚闇も、これは毒蛇だと一層警戒する中、

「桜宮殿。わたくしは、誰の寵愛も受けていないです」

 沙夜が正直な心で発する。力のある澄んだ声が、桜宮にはまた憎く聞こえた。

 

「そのように、誤魔化すなどと!」

 

 単の襟元から、ずるりと出てくるは蛇の体である。顔は桜宮そのままであるのが、余計に恐ろしく醜い。

 玖狼は犬歯を見せつけるように唸り、愚闇はいつでも斬れるよう身構えた。


「許さぬ……許さぬぞ……わらわは、わらわはっ」

「ああ、なんてひどい……」


 沙夜はそれを見て、両目からとめどもなく涙を流した。

 離宮であやかしを消した時のように、両眼が瑠璃色に光っている。

 

「桜宮殿。あなたさまは、お家の犠牲になったのですね」

「っ! 言うなあ!」


 ――ガチインッ。ギリリリ……


 シャーッと襲い掛かる毒牙を即座に防いだ愚闇の忍刀は、彼女の口の端にギリギリと食い込んでいる。

 攻撃を押しとどめているに過ぎないその拮抗きっこうを保ちつつ、愚闇は叫ぶ。


「さがれっ!」

 

 だが沙夜は、桜宮に近づいた。強い信念を持って。


「見えるだけの力なら、いらぬ! この人を! 助けたい!」


 

 突然、目もくらむ程の強く青い光が、部屋を満たした。

 


「ぐ」

「!?」

「やれやれ。まこと恐ろしき女よな、夕星ゆうづつよ……そなたの娘に託した力が、今覚醒するぞ」


 


 ――沙夜。その胸の内に託した『瑠璃玉』は浄化の力である。なにもかも暴き清める、まこと強いものだ。それでも、使うか?


 ――使います。


 ――さすが我が娘よな。覚悟は受け取った。継承を認めよう。ただし、使い方を誤るな。誤ったが最後、肉体も魂も失うぞ。


 ――はい。



 

「浄!」


 視界が青く潰されている中、響いた沙夜の凛とした声に、玖狼も愚闇も戦慄した。


 

 ありとあらゆるあやかしをほふるという、最強の陰陽師・白光一位である夕星ゆうづつ、そのものであったから。

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