甘言、そして発現
「しぶといなあ」
龍樹は後宮主殿にある自室で、イライラと親指の爪を噛んでいた。
傍らでは、両の手を真っ赤に染めながらじゅるじゅると
「じゅるる、まあ、まあ。それでもしばらくは、派手に動けませぬよ」
キャキャ、と楽しそうに言う少年に、龍樹は
「
「じゅるるん、ぷはぁ。皇帝の血筋は、そう簡単に滅せませぬて。次は、何を欲しまするか」
龍樹がぼそりと告げた名を聞いたぬえは、ニタアといやらしく笑う。
「ふうむ。骨が折れまするなあ」
「ふたり」
「ケキャキャ。かしこまりまして」
――その夜、龍樹に
◇ ◇ ◇
第一皇子殿下に召し抱えられたばかりか、ギー様のお取り計らいで護衛に隠密を付けるなどと――もののけとは言っても、
平民から更衣などはありえぬ処遇であるし、特別扱いが過ぎるのではないか。
わらわは望まれて参内したというのに、殿下のお声は掛からず、ひとりで
ああ憎しや、憎し。
ああああ、憎し。憎うて憎うて――憎しニクシクシクシャシャシャ……
◇ ◇ ◇
それからの沙夜は、いたずらに時を消費していた。
魅侶玖の見舞いに行くことは当然できず、かといって後宮の中でできることはなにもない。
夏の終わりだというのに、日が落ちてもじめりとした空気がまとわりつく。それは何も、気温のせいばかりではない。
後宮というのは、ただでさえ負のものが溜まりがちのため、それらを浄化する仕掛けが随所になされているはずなのだが――機能していないと感じる。
「わたしの部屋って、次々不幸がやってくる、呪いの宮って言われてるみたいだね。果ての次は呪いかあ」
あきれたような、あきらめたような顔をして、沙夜は窓の外を眺めながら独りごちる。
ヒョウヒョウと鳴くような不思議な声は、夜になると必ずやってきて、精神を
心がざわつく。言いようのない不安に襲われるようなこの感覚は――異常としかいいようがない。その証拠に、姫たちは恐怖や焦燥でますます部屋に引きこもり、女官たちは次々辞めていっているそうだ。人手不足で、すずは何部屋も掛け持ちになってしまい、こちらにはあまり来られなくなってしまっている。
沙夜も例に漏れず、悪いことばかり考えてしまっていた。だからこうして、愚闇や玖狼が話し相手になってくれているのは、ありがたかった。
「……あやかしを消せたんなら、
沙夜が思い付きでそう言ってみると、
「っ、それは、だめです」
と愚闇が即座に否定する。
沙夜はくすりと笑ってから、部屋の片隅で
「だめってことは、できるってことだよね」
「う」
「おのれ愚闇……迂闊にも程があるぞ! ぐるるるる」
縁側で寝そべっていた玖狼が、すかさず顔を上げて愚闇を𠮟りつける。
「玖狼、怒らないで。なんとなくだけどね、不思議な力が湧いてくるような感覚があって」
「「!」」
沙夜の
ヒョウ、ヒョウと鳴く声が遠くなったり近くなったりする。
「魅侶玖殿下に、目が瑠璃色になったって言われてからかな。胸の奥が、熱いような、懐かしいような」
愚闇がごくりと息を呑み、玖狼が
「そうか……沙夜。おぬしの中にあるものは、特別なものだ。だが、決して拒まないで欲しい」
と諭す。
「とくべつ? こばむ?」
「うむ。強い力を持つのを単純に喜ぶ者と、望まぬ者がおるだろう? 沙夜は後者だろうからな。受け入れよ、さすれば道は繋がる」
「さすが玖狼、わたしの性格をよく分かってるね。そっか……受け入れる……」
複雑な表情をして胸に手を当てる沙夜に、たまらず愚闇が
「オイラが、ついてますから」
と言葉をかけた。
――みんな、死んじゃった。けど、わたしは今、ひとりじゃない。
ほわりと胸の内が温まる。それから、感覚が研ぎ澄まされた。視界がより澄み渡ったようで、今まで目に入らなかったものも見える気がする。
「ありがとう愚闇。ところで……なにか様子が変じゃない?」
「え? ……! 確かに」
どこがどう変というわけでもない。なんとなく嫌な予感がする、という程度の違和感だ。
「うぅむ、まずいな。なんぞ来よるか」
玖狼がグルルルルと低い唸り声を出しながら立ち上がって、耳をぴくぴくと動かす。
「来るって、何が」
沙夜のその問いには、愚闇が無言で抜刀することで応えた。護衛の殺気は、危険な相手に対しての牽制でもあるのだ。
と――
ふっ、とあたりが一段暗くなる。
宵の口の薄暗さが漂っていた外の空気は、気づけば濃い紫色に染まっていた。
「ふは。まるで冥だな。
「玖狼!?」
「案ずるな沙夜。さあて、鬼が出るか蛇が出るか」
「どっちも嫌だよ!?」
「がっはっは!」
チャキ、と忍刀の鍔音が鳴った。
愚闇から、更なる殺気が
シャー、シャー、シャーッ……
空気音のようなものを発しながら、やって来たのは――
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