よみがえる記憶
ある山の中を、少女が慣れた様子でてくてくと歩いている。
その先にある小さなお
そんなささやかな日課の帰り道。
少女の足が、突然止まった。
「落ちちゃったの?」
見上げる大きな木の枝には、
「そっか……」
キョロキョロと辺りを見回すと、
「もしかして、巣立ちの練習してるの? ……巣に戻してあげた方が良いかな……でも私の匂い、ついちゃうしな」
うーん、うーんと真剣に悩んでいるその少女を困らせたくない。
その一心で、雛は翼に力を入れたかに見えた。
「わ! 飛べそうだね!? すごいすごい!」
はじける笑顔に応えたくて、より一層羽ばたいてみた――が、飛べない。
じたばたしている雛を見守っていると、
「おん!」
「え!?」
何かの鳴き声がした。
がさごそと草花をかき分ける音が近づいてくる。匂いを嗅ぎつけられたか、と少女は身構える。
彼らにとって、雛はごちそうだ。
「ああ、どうしよう。ひなちゃん、食われちゃう。でもな……」
弱肉強食は、自然の摂理だからだ。雛を助けたいが、食わずに飢えるものがあってもいけない。
そうしているうちに、やがて少女は、黒い狼と
ぐるるるる、と明らかに腹を空かせた様子の
「この子食べちゃうなら……私からどうぞ」
黒狼はぎゅっと目を
ひと噛みで頭ごと食べられそうなぐらいの大きさの獣を前に、涙を浮かべた少女は、それでも背中に雛を庇ったまま震えながらじっとしている。
「その幼さで
狼がそう言ったので、少女はぱっと目を開け不思議そうに眺めた。
彼はそれを見るや、ふっと笑う。
「われは山神。
「りょうげ……?」
「知らぬなら、良い。どれ、その雛はわれが預かろう」
「!」
「そなたの眷属として育てるさ。きっと必要な時が来る」
「かみ……さま?」
「改めてそう呼ばれると、照れるよな」
ぱあ、と明るい笑顔になった少女に、黒狼は体をすり寄せた。
少女は、遠慮なく撫でる。長い毛がふわふわとして気持ちが良く、あちこち触った。
「ふはは。くすぐったいなあ。さて、神といっても
「しんじん?」
「ああ。毎日お供えをありがとう、だな」
「! はい!」
「できれば、名付けてくれるか? そうしたら、力が強まる」
「んじゃえっとね、黒いから、くろう!」
「はっはっは! 覚えやすいなぁ。玖狼。良い名だ」
◇ ◇ ◇
「くろ……玖狼……」
「うん。ずっと側にいたぞ」
目の端から溢れ出る涙を、ぺろりと舐める。
目覚めた沙夜を見下ろす、黒い耳黒い毛、そして黒い目の大きな狼は――
「やまがみさま!」
がばりと体を起こすと、そこは見知らぬ部屋だった。
「おん! ってな。どうだ、うまく化けておっただろ」
「ああああ……」
ニヒヒと笑う彼の首に、沙夜は抱き着いた。少し獣の匂いのする、ふわふわの毛が暖かくて心地よい。
掛け布団が飛んだのを、いそいそと畳むのは愚闇だ。
「愚闇ってもしかして! あの時の、ひなちゃん!?」
「はい。ひなちゃんです。どうも」
隠密が初めて覆面を取って、照れた顔で笑う。
その下は
「ああああもう!」
今朝目撃した
皇都にやって来てすぐに愚闇が助けてくれたのも、玖狼と居たからかと思い至り、たまらず叫ぶ。
「なんで忘れてたの!? なにが起こったの!? ……魅侶玖殿下は!?」
黒狼と隠密が、顔を見合わせる。
「わん」
「ええ!? 玖狼様、面倒だからってオイラに丸投げ……ごほんっとですね」
ぼりぼりと後ろ頭をかきつつ、愚闇が言うことには――
当然気づいた愚闇が飛び込み、阻止。拘束しようとしたが、尋常でない力で抵抗され、斬らざるをえなかった。その
ところが、動揺した沙夜を抱えていた魅侶玖に、なぜか
愚闇の機転で玖狼の力を使って祓ったものの――夜宮は
沙夜の記憶は『神と接した』ことを隠すため一部を封じられていたが、玖狼の封印を解いたことによって同時に解かれた、ということだった。
「てなわけで、しばらくお部屋使えないっす」
「えぇ……? いいけど、言い方軽くない……?」
「もう素でいっかなって」
「ひなちゃんだもんね」
「うぐ。それだけはやめて」
はあ、と沙夜は大きな溜息を
「魅侶玖殿下は大丈夫?」
「まあ、なんとか……」
愚闇が玖狼を見やると、ぷいっとしてから敷布団の上に丸まった。
元の大きな体になったので、足も尻尾も、だいぶはみ出ている。
「あんまり大丈夫じゃなさそうね?」
「あー、まあ。一時しのぎらしくって。油断はできないそうっす。根本を排除せにゃ」
「根本?」
沙夜が玖狼を見ても、彼は微動だにしない。答える気はなさそうだ。
「殿下……」
正義感のあふれる横顔を思い出して、沙夜の胸はざわついた。
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