冥界の門

欲の権化



「ギー。顔色が良くない」


 朝の執務を終えた後、皇城にある魅侶玖みろくの私室に呼び出された紫電二位は、思わず苦笑する。


「殿下。われは、もののけでありまするが」

「知っている」


 ふん、と大きく鼻を鳴らす若い皇子は、腕を組み憮然とする。


「俺の力不足で、そなたに多大なる負担をかけ」

「これこれ、いけません」


 ふっくっく、と美麗な鬼はその言を遮ると、舞踊のような仕草で膝前に出された素焼きの茶碗を持ち上げ、


「その小さき両肩に、われの永久とこしえの時すら背負わんとするその御心みこころは、それこそ傲慢ごうまん


 ずず、と音を立てて熱い中身をすする。


「傲慢とまで申すか」


 魅侶玖は苦笑するしかない。


「気づいたら、抱えていたなと。そう、おわりに笑うが吉」

「!」


 ギーは、背負うなとは言っていない。

 魅侶玖には、それで十分だった。


「さあて。若君がわれを呼びつけた御用とは、いかに」

「ギー。後宮の空気がよどんでいるとは思わないか」


 赤い目が細められた。

 しゅさ、と紫の狩衣かりぎぬのこすれる音が、耳に心地良い。


「覚えが、ござりますれば」

「申せ」


 銀糸のような髪が、ほろほろと紫の上にこぼれ落ちる。

 魅侶玖はそれを自然と目で追いながら、やはり滑らかな仕草で茶をすする。苦味が口内に広がり、胸の奥がじんわり痛む気がする。心労が積み重なっているなと、漏れそうになる自嘲の笑みをごくりと飲みこんだ。


青剣あおのつるぎは、幽世かくりよにて滅んだ冥の国の、国宝にございまする」

「ほろ……んだ」

「また別の国がおこり、今は平らかになり申したゆえ、ご心配には及びませぬよ」


 とん、と茶碗を懸盤かけばんに置くギーが、魅侶玖を真正面から見る。


「冥にあふるるは、欲。せいしきぜい、なにもかもを手に入れたいとうごめくあやかしの国ありて。それらを統べる王の宝ならば、あらゆる欲を叶える力を持つのは必然」

「ということは、青剣あおのつるぎは……結界のたぐいではないのだな!」

「ふくく、さすが殿下」


 魅侶玖は、静かに戦慄している。


あるじの欲を具現化する。それこそがあの剣の本質。即ち継承の儀とは」

「皇帝の欲を、『護国』として固定するもの……!」


 ダンッ、と魅侶玖は右膝を立てて畳に足裏を打ちつけた。そのまま膝に肘を掛け、上体をギーへ向け乗り出すようにして

「猶予は、あとどれだけ残っているのだ!」

 叫ぶように詰め寄った。


「あまり、ない」


 鬼の引き絞るその口角から、鋭い牙が顔を出す。


よどみあらばあるいは、欲の権化ごんげが動き始めたやもしれぬな」

「ハク様は」


 ぎゅ、とギーの眉間にしわが寄った。

 

「まだ、力が足らぬ……」


 力の抜けた魅侶玖は膝を折り、腰をすとんと落とした。

 正座して、ギリッと目元に力を入れる。


「皇都軍にも、もはや余力はない。一刻も早く継承の儀をせねばならぬぞ、二位よ」

「気は焦れども、その儀は『皇帝』に限られまする」

「!」


 

 平安を 求め彷徨さまよ宵蛍よいぼたる 血にまみれし 手をや見るらむ――



 ギーの詠む句が、魅侶玖の芯に突き刺さった。



「血に塗れる覚悟なら、とうにしている!」

「ならば、どういたしまする」

「沙夜を使う。但し、にえなどにはせぬぞ」

「ふくく。愚闇と玖狼がついておりますゆえ」

 

 魅侶玖が小さくすまないと呟いたのを、ギーは聞こえないふりをした。


 


 ◇ ◇ ◇




 その同じ頃、後宮主殿にある三之間さんのまと呼ばれる広い部屋に、龍樹りゅうじゅは居た。

 

「ウキャキャ、これにて信じて頂けたでございましょうか?」


 龍樹の目の前に置かれているのは、金銀財貨の山だ。黒い鉄箱に雑多に入れられていて、手を突っ込むと、じゃらじゃらと音が鳴る。


「ふむ、国宝の眷属というだけはあるか。本物ならばな……財官よ、鑑定せよ」

「はっ」

「キャキャ、手厳しいっ」


 ぬえと名乗った怪しげな存在をそのまま鵜呑みにするほど、龍樹は馬鹿ではなかった。

 

 国宝の眷属であるのならそれを証明しろと言うと、無理難題を三つまで叶えると言われたので――ひとつめは雨を晴れに、ふたつめは首を縦に振らなかったある姫を後宮に参内さんだいさせよと願い、どちらも叶った。

 

 みっつめは、確信を得るためと言うよりも、皇雅国こうがのくにの中枢を掌握するための財を集めるのに利用した。


「そなたが真に青剣の眷属と仮定して。目的はなんだ?」


 御簾みすの向こうには、母である清宮きよみやが居る。

 金銀を見て目の色を変えているであろうが、ここから見えないのは幸いだなと龍樹は自嘲する――実の母が欲望に目をギラつかせている姿は、子として見たくはないものだ。


「主君を見定め、その欲を叶えることにございまする!」


 ぬえは、少年らしい無邪気な笑顔で言い放つ。


「見返りは、なんだ」

「我が欲は、主君の欲をずいまで喰らうことにございますれば」


 なんだそんなことか、と龍樹はほくそ笑む。

 財官が、本物であると目で合図したのを確認し、

「そなたを眷属と認める。我が欲、喰らいつくしてみよ」

 鷹揚おうように告げる第二皇子へ、ぬえは正座して声を張った。


 

「ちぎり、なせり!」



 ――その日から、夜の闇が訪れるたび、不気味なヒョウヒョウと鳴く声が後宮にこだまするようになり、次々と姫や女官たちが病んでいった。

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