冥界の門
欲の権化
「ギー。顔色が良くない」
朝の執務を終えた後、皇城にある
「殿下。われは、もののけでありまするが」
「知っている」
ふん、と大きく鼻を鳴らす若い皇子は、腕を組み憮然とする。
「俺の力不足で、そなたに多大なる負担をかけ」
「これこれ、いけません」
ふっくっく、と美麗な鬼はその言を遮ると、舞踊のような仕草で膝前に出された素焼きの茶碗を持ち上げ、
「その小さき両肩に、われの
ずず、と音を立てて熱い中身をすする。
「傲慢とまで申すか」
魅侶玖は苦笑するしかない。
「気づいたら、抱えていたなと。そう、おわりに笑うが吉」
「!」
ギーは、背負うなとは言っていない。
魅侶玖には、それで十分だった。
「さあて。若君がわれを呼びつけた御用とは、いかに」
「ギー。後宮の空気が
赤い目が細められた。
しゅさ、と紫の
「覚えが、ござりますれば」
「申せ」
銀糸のような髪が、ほろほろと紫の上にこぼれ落ちる。
魅侶玖はそれを自然と目で追いながら、やはり滑らかな仕草で茶をすする。苦味が口内に広がり、胸の奥がじんわり痛む気がする。心労が積み重なっているなと、漏れそうになる自嘲の笑みをごくりと飲みこんだ。
「
「ほろ……んだ」
「また別の国が
とん、と茶碗を
「冥にあふるるは、欲。
「ということは、
「ふくく、さすが殿下」
魅侶玖は、静かに戦慄している。
「
「皇帝の欲を、『護国』として固定するもの……!」
ダンッ、と魅侶玖は右膝を立てて畳に足裏を打ちつけた。そのまま膝に肘を掛け、上体をギーへ向け乗り出すようにして
「猶予は、あとどれだけ残っているのだ!」
叫ぶように詰め寄った。
「あまり、ない」
鬼の引き絞るその口角から、鋭い牙が顔を出す。
「
「ハク様は」
ぎゅ、とギーの眉間にしわが寄った。
「まだ、力が足らぬ……」
力の抜けた魅侶玖は膝を折り、腰をすとんと落とした。
正座して、ギリッと目元に力を入れる。
「皇都軍にも、もはや余力はない。一刻も早く継承の儀をせねばならぬぞ、二位よ」
「気は焦れども、その儀は『皇帝』に限られまする」
「!」
平安を 求め
ギーの詠む句が、魅侶玖の芯に突き刺さった。
「血に塗れる覚悟なら、とうにしている!」
「ならば、どういたしまする」
「沙夜を使う。但し、
「ふくく。愚闇と玖狼がついておりますゆえ」
魅侶玖が小さくすまないと呟いたのを、ギーは聞こえないふりをした。
◇ ◇ ◇
その同じ頃、後宮主殿にある
「ウキャキャ、これにて信じて頂けたでございましょうか?」
龍樹の目の前に置かれているのは、金銀財貨の山だ。黒い鉄箱に雑多に入れられていて、手を突っ込むと、じゃらじゃらと音が鳴る。
「ふむ、国宝の眷属というだけはあるか。本物ならばな……財官よ、鑑定せよ」
「はっ」
「キャキャ、手厳しいっ」
ぬえと名乗った怪しげな存在をそのまま鵜呑みにするほど、龍樹は馬鹿ではなかった。
国宝の眷属であるのならそれを証明しろと言うと、無理難題を三つまで叶えると言われたので――ひとつめは雨を晴れに、ふたつめは首を縦に振らなかったある姫を後宮に
みっつめは、確信を得るためと言うよりも、
「そなたが真に青剣の眷属と仮定して。目的はなんだ?」
金銀を見て目の色を変えているであろうが、ここから見えないのは幸いだなと龍樹は自嘲する――実の母が欲望に目をギラつかせている姿は、子として見たくはないものだ。
「主君を見定め、その欲を叶えることにございまする!」
ぬえは、少年らしい無邪気な笑顔で言い放つ。
「見返りは、なんだ」
「我が欲は、主君の欲を
なんだそんなことか、と龍樹はほくそ笑む。
財官が、本物であると目で合図したのを確認し、
「そなたを眷属と認める。我が欲、喰らいつくしてみよ」
「ちぎり、なせり!」
――その日から、夜の闇が訪れるたび、不気味なヒョウヒョウと鳴く声が後宮にこだまするようになり、次々と姫や女官たちが病んでいった。
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