亡国の国宝



 ――沙夜と魅侶玖の時代ではない、はるか遠い昔のこと。



 太陽も月もない暗い空は、明らかに人の世のものではない。ゆっくりと流れる雲の動きで、かろうじてあれは空だ、と分かる。

 

 黒い砂利がどこまでも続く、荒涼とした河川敷。

 黒い水の流れる川の対岸では、ぽう、ぽう、と赤い炎が揺らめいている。

 


「あーあ。もうダメだ。兄者め、とち狂ったとはいえ、暴れすぎだ」


 うぞうぞとうごめく目の前のあやかしたちに向かって、ひとりで毒を吐いている男がいる。

 

 頭頂に太い一本角が生えた青い肌の青鬼は、腰に刀を帯びているものの、構えているのはとげのたくさんついた金棒だ。

 彼は、言葉にならない「ろろろ」という音で怨嗟えんさを吐きつつ、目の前の『命』を喰うことしか能がない存在を相手にしている。


「ったくキリがないなあ。倒しても倒しても、次から次へと門の隙間からあふれ出ちまう……人間なんざ、あっという間に喰われちまうだろうなぁ。残酷なことだぁ。阻止、阻止」


 ぶん、ぶん、と空気ごと殴る勢いで振り回す金棒であやかしをほふりながら、愚痴をのたまう青鬼に応えるのは、

「ふむ。ならば、われが人界へゆこう。漏れ出たものを始末する役目が必要だろう」

 長い銀髪の上に鋭く赤い二本角を生やす、美麗な男だ。

 

「ギー! 危険だぞ。人間に調伏されるやも」

「なあに、われはもともとあちらで生まれたもの。むしろめいの空気は合わぬて」

「だが」

 

 ギーは鮮やかな赤い目を細めて笑った。


「われらは永久とこしえの命を持つものぞ。いつかまた会えるだろう。あの兄殿を止められるのは、そなたしかおらんよ、瑠璃丸」


 瑠璃丸と呼ばれた男は、渋々頷いた後で腰の剣をさやごと外す。


「けどなぁ。そっちもひとりでは厄介だろ。これ、持ってけ」

「よいのか? 国宝だろうに」

「いい。どうせ持て余してたし、この国は滅ぶ。てか滅ぼす」

「ふっくっく。それに、鬼に剣は似合わぬもんなぁ」

「くそぅ、いつかちゃんと返せよ!!」


 ギーは笑って頷き返すと、瑠璃丸が放り投げた青く光る刀を宙で受け取り、背後にあった赤く背の高い門扉もんぴからくぐる。

 

 背中でばたりと閉じた音がしたが、振り返らなかった。――門の向こうで、あやかしを人の世に漏らさんと一人戦う親友のことならば、心配無用に違いないから。


 

 そうしてその異能は、世に平和をもたらさんと奔走する皇雅国こうがのくにの皇帝と出会い、青剣あおのつるぎあるじとしてふさわしいと知るや、それを託した。


 

 この世にあらざるものを斬る『宝剣』を授かった皇帝は、自らの手でもってあやかしを次々ほふるが――やがて身に受けたけがれが溜まり苦しむことになる。

 以降、皇帝の血筋は脈々と流れる血に宿るけがれと戦い続けることを余儀なくされるが、持ち主を守らんとする青剣の力は強力な眷属を生み出し、それらをはらうことに成功した。

 


 長い時を経て、国宝の力が弱まってきたのを感じたギーは、懸念する。

 青剣の力がだとしたら。

 いつか『護国を実現する』力も、その眷属が『持ち主の穢れを祓う』能力も――失われるかもしれない、と。

 

 

 

「冥のものであるからして、己の欲もあるのだろうなぁ」



 ゆるゆると自室の窓際で赤いさかずきを傾け、酒をたしなみながら、美麗な赤鬼がひとりごちる。



「瑠璃丸よ。穢れはついに、皇帝を冥へ連れて行ってしまったなぁ。このままでは、また現世うつしよにもあやかしが溢れ……ごほごほ」

 

 ギーは、現世うつしよ幽世かくりよは正しく分かたれたままであるべきだ、と思ってこれまでやってきた。

 鬼だ異能だと嫌われたとしても、人の世に留まったのはその信条のためだ。


 それに、と過去に思いを馳せる。


 人の命ははかない。数多あまたの友と呼べるような存在を失ってきたが、輪廻の中で再び相見あいまみえることもあり、人とは愛しいものとさえ思っている。


「はあ。少々無理をしすぎたか……そろそろもらわぬと、困るなぁ。ふくく」

 

 ぼんやりと、黒く長い自身の爪を眺める。その手のひらには、咳とともに吐き出した、黒いどろりとしたものがこびり付いていた。


 


 ◇ ◇ ◇




「兄者は、いったいなにを企んでいるんだろうなあ」


 下賤げせんな村娘を後宮に引き入れたばかりか、怪しげな犬と化け物の隠密まで付けてくれたお陰で、女官たちからは動揺の声が聞こえてくる。

 それらを好機と捉える龍樹りゅうじゅは「なにかあれば知らせよ」と愛想を振りまき、清宮きよみやの後押しもあって、第二の皇城と言われる後宮を掌握しつつある。

 

 血の繋がった父であるはずの皇帝とは、数えるほどしか会ったことがなかったが――珍しく教えてくれたことが、ひとつだけある。


 

 青剣の眷属は、白髪の少年である。

 


「その方、『ぬえ』と言ったか。そなたが、青剣の眷属である、と?」

「ウキャキャ。はい! われこそが、青剣を守る存在にござりまする! りゅーじゅさまのお力になりとう存じまする!」


 猿のような顔をした白髪の少年が、龍樹の前でニコニコと座っていた。

 

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