月夜の決意 ~魅侶玖 抄~



 俺が夜宮よるのみやに通うのを一日おきにした理由は、実は特にない。

 頻繁に行くと沙夜が困るだろうな、と思っただけだ。

 

 案の定、後宮では「下賤げせんな者にうつつを抜かしている」「皇帝を継ぐのはやはり第二皇子」といった声が大きくなってきていると聞き、溜息が出る。かつて、自身の幼心でさえも、金と欲にしか興味のない清宮きよみやをなぜ側妃などに……と思っていたのだが、彼女の家は公家くげ筋の中でも最も権威がある。皇帝として致し方なかったであろうことは、理解しているつもりだ。たまたま男を授かってしまったのは、不運としか言いようがない、とも。


 

 夜風をそぞろ歩いて、俺は静かな空気を吸い込む。


 

 玖狼のぬくもりなのか、沙夜の持つ空気なのか。

 不思議と心が落ち着いて、よく眠れるあの部屋に、できれば毎日行きたいが――



 すっかり定位置になった離宮の縁側に腰を下ろし、庭の池に浮かぶ月を眺める。

 一歩外に出れば、あやかしがうごめいているに違いない。罪のない民が死んでいく音は、ここには聞こえてこない。夜をこうして無防備でいられるというのは、恐らく皇都以外にはもうないだろう。その皇都の平穏も、ギーが休まず紫電を動かしているお陰だ。


 

 沙夜を召し抱えた決定打は、確かにここであやかしを消したのを目撃したからだった。

 が、俺が誰か知らずとも明るく優しく接してくれる彼女に――人として惹かれていたのも事実。

 

 

 左大臣九条の調べで、暮らしていた村が全滅した後自力で皇都までたどり着き、夕宮陛下の書状を見たギーが後宮へ招き入れたことは、裏付けが取れた。

 

 過酷な道のりだったのは、想像にかたくない。

 

 祖母の遺言を握りしめて知恵を絞り、見知らぬ道をひたすら行くその勇気と芯の強さを、尊敬している。


 

 そして俺はそれを聞いたとき、このままではいけないと強く思ったのだ。

 この国をべる血筋を受け継ぐ者として、この国をまもらなければならない、と。

 


 富や名声、権力ばかりを追い求めている皇城や後宮に嫌気がさしていた俺は、皇帝など龍樹がやりたいならやればいいとすら思っていた。

 国が滅ぶということに、現実味がなかったからだ。


 だが、今はどうだ。

 

 実際は沙夜のような善良な民の命が、無惨に奪われていってしまっている。

 俺は、そういった事実を想像もして来なかったことに、愕然とした。


 ぎりりと拳を強く膝の上で握る。

 月に決意をするかのように、あえてその文言を口にする。

 

「国を、まもる!」

 


 ――と、生暖かい風が吹いた。



「やっとけつい、したんだね」

「!?」



 ふわりと池のほとりに現れたのは、灰色の髪でねずみ色の水干すいかん姿の少年だ。瞳が白く濁っており、明らかに


 

「誰だ!」


 即座に立ち上がり、たもとから笛を取り出す。後宮護衛方こうきゅうごえいがたへ危機を知らせるためのものだ。ぴ、と吹いたつもりが、なぜか音は出ない。

 

「ちっ」

 あきらめて腰の護身刀の柄に手を伸ばすと

「うん。つよいこころや、よし。でもすこし、あやうい」

 少年はにこにこしながら、歩いて近寄ってくる。

 

 三和土たたきから飛び降りながら素早く刀を抜いて構えると

「なるほど、うでもある。いいね」

 小さな頭でうんうんと頷かれて、苛ついた。


「貴様なぞに評される筋合いはない」

「ゆうよが、ほしいのだろう?」

「!!」

「ギー」


 少年は、俺から目をそらさないまま、その名を呼んだ。

 と――


「お目覚めでしたか」


 紫の狩衣かりぎぬを優雅に着た紫電二位が、またたく間に姿を現す。

 月光に輝く銀髪が、妖しく美しい雰囲気をかもし出していた。

 

「ギーのいったとおり、みろくをきにいったよ」

「はい」

「みろく。ぼくのはまださずけられない。これは、ただのゆうよだ」

 

 俺は、呆然とする。

 あれほど探し求めていた――

 

青剣あおのつるぎの眷属で、あらせられるか!」

 

 刀を納め、バッと地に片膝と右拳を突くと、彼はまぶしそうな顔をした。


「うん。ハクとよんでくれたらいい。さよと、なかよくね」

「沙夜をご存じか!」

「なんとっ」


 途端にハクは、やるせない顔をした。


「これからがたいへん。けど、きみたちな、ら」

 

 存在が、薄れていく。


「ごめ……まだ……」

「ハク様!」


 消えゆく存在を、呆然と見送った。

 

「……まだ、お力が戻っておらなんだ」


 ギーが俺に寄り添い、その赤い目を潤ませる。

 

「ギー、お前……」

「殿下の決意、われも確かに受け取った。今宵こよいは、良い夜であるな」


 

 美麗なもののけが微笑む。その頭には、赤い角が二本、生えていた。

 

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