夢の眷属
「ほぉ。噂に
いつも通り侍女長の
凝った作りの金の
「……」
もちろん沙夜は端に寄り、立ったまま深々と頭を下げた。
小汚いと言われたが、今は手入れの行き届いた衣服を身に着けているのだから、ただの嫌がらせだろう。負けるもんか、と下腹に力を入れる。
「これ。
投げられた言葉に従い、沙夜が目を伏せたまま顔を上げると、畳んだ
「その顔で、どうやって
また同じ!
「……
亡き皇帝の側妃である
金遣いの荒さ、気性の荒さ、気位の高さ。
どれもこれも
ちなみに
「そなたの部屋に行ったのは事実じゃろ?」
「迷われたのではと」
す、と檜扇を下げ、冷めた目を向けられたので再び沙夜は頭を下げた。
喧嘩は買わないと分かってくれただろうか、とじっとしていると
「はぁ」
空気が動いて、
「ばちいん!」
沙夜の目の前に、いくつもの星が散る。
頬が焼けたように熱くなり、自然と手を添えた。
「っ……」
「わらわの問いにまともに答えられぬ罰じゃ」
頬を横殴りにされた沙夜は、それから誰かに肩を押されて転ばされた。裾がはだけ、白い脚が露わになった姿を見て、女官たちが侮蔑の失笑を漏らす。
何が起こった? と目だけで周囲を窺うと、乱れた黒髪の隙間から
清宮は威圧するように上から睨みつけながら、無防備に横たわる沙夜の足首をぎりりと踏みつけてきた――痛みで肩が跳ねたのを見て、一層力をこめる。
殺気を発している護衛たちに、沙夜は倒れた姿勢のまま無言で動くなと訴えていた。
愚闇は、暴れそうになる玖狼に覆いかぶさり、体ごと押さえている。全員に襲い掛かる勢いで犬歯を見せつけ「グルル、バウアウッ」と吼え続けているからだ。
「そこな隠密。その下品で見苦しいケモノはなんじゃ。飼うのを許した覚えはないぞ。捨てて来やれ」
言い捨てて去る清宮を、沙夜は無言で見送るしかできない。痛む足を引きずり、這いつくばるようにして座礼する。
女官たちも次々に捨て台詞を吐きながら、これみよがしに足首、手首、手の甲を踏んでいく。酷い者は、横腹を蹴っていく。
「汚らしい犬だこと」
「下品よの」
「こわや、こわや」
沙夜は、体の痛みよりも絶望感でいっぱいだった。
玖狼、捨てろって……もう、一緒にいられないの? なぜまた、私から奪うの?
ずん、と腹の奥が重くなるのを感じた。
皆が去った後で、ようやく愚闇と玖狼が駆け寄る。
「夜宮様!」
「きゅーん」
「だ、いじょうぶよ」
「くそ……オイラが居ながら……」
後宮の
「愚闇、気にしないで。それより玖狼のこと」
「っ、殿下とギー様にご報告致します。捨てさせなどしません。ご安心を」
「……分かったわ」
この出来事は、沙夜の心に深い傷を作った。
◇ ◇ ◇
その夜、魅侶玖は訪れなかった。
だからか、恐ろしい夢を見た
どこか分からない真っ暗な空間に、赤い大きな門が開いた状態で宙に浮いている。その奥はやはり暗闇だ。そこからじめりとした嫌な空気が、黒紫の煙とともにこちらへ流れてきている。
門の前で泣き叫ぶ、幼い女の子がいる。
その手の中には青く輝く玉のようなものを握っている。
「や!」
いやいやと
「たのむ。望みを託せるのは、おまえしかいないのだ」
と諭して頬を撫でる。
幼女は、絶望を映したかのような瞳で、泣くしかできない。
「すまない」
母親の腰を抱いて寄り添い、謝る父親。やはり顔は見えない。
それからふたりは門の中へ入り、向こう側から扉をギギギと閉じた。
黒い空間はまばゆい光に包まれ、何の変哲もない光景に変わる。
門から流れ出ていた黒紫の煙は一か所に集まったかと思うと、モワモワと固まり何かの形になっていく。
ひたすら泣き叫ぶ幼女を背後から、体ごと包んでくれる存在がある。
「なかないで」
小さな肩にかかるのは灰色の長い髪だ。
柔らかな声で頭上の
「ぼくのかみと、
左手首に白と黒の紐で編まれたものを結ぶと、青い玉が胸の中に吸い込まれるようにして、手の中からすーっと消えた。
苦しい。嫌だ。思い出したくない!
寝ているはずの沙夜は、目を閉じたまま激しく
――と、また優しい声が耳に流れ込んできた。
「わるいゆめは、ぼくが
ハク?
◇ ◇ ◇
沙夜は、飛び起きた。
心臓が、バクバク跳ねている。
隣で丸くなっていたはずの玖狼も同時に飛び起きたようで、心配そうに首を傾げて沙夜を見つめている。
周囲を見回すと、いつもの自室の布団の上だった。
障子窓には日光が当たっていて、
静かな朝だ。
一体わたしは、
動悸がやまず、肩で激しく呼吸をすると
「沙夜、大丈夫か!?」
愚闇が文字通り飛んできたので――
「大丈夫よ」
かろうじて、そう告げた。
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