夢の眷属



「ほぉ。噂にたがわず小汚い娘よの」


 いつも通り侍女長のを受けた後、沙夜が自室である夜宮よるのみやへ向かって回廊を歩いていると、真正面から豪華絢爛ごうかけんらんひとえ姿の女性が現れた。背後に何人もの女官を付き従える、現在の後宮の頂点にして第二皇子の母親であることは、すぐに分かる。

 

 凝った作りの金のかんざしが、日光を反射してギラギラしている。それを目にした者の心をざわつかせるのが、このお方の手法なのだろうかと考えつつ――

 

「……」


 もちろん沙夜は端に寄り、立ったまま深々と頭を下げた。

 

 小汚いと言われたが、今は手入れの行き届いた衣服を身に着けているのだから、ただの嫌がらせだろう。負けるもんか、と下腹に力を入れる。


「これ。おもてを上げよ」

 

 投げられた言葉に従い、沙夜が目を伏せたまま顔を上げると、畳んだ檜扇ひおうぎの先で顎を上げさせられた。親子して、やること全く一緒だな! と呆れが生じたのを悟らせないよう、奥歯を噛みしめて飲み込む。


「その顔で、どうやって龍樹りゅうじゅをたぶらかしたんじゃ?」



 また同じ!



「……清宮きよみやのお方様。わたくしごときが、龍樹殿下の御目おんめかなったなどと。滅相めっそうもございません」


 亡き皇帝の側妃である清姫きよひめは、容姿端麗ようしたんれいであるもののその性根は『清い』からは

 

 金遣いの荒さ、気性の荒さ、気位の高さ。

 

 どれもこれもになれなかった要因であるが、本人は決して認めず、愚闇曰く「変わらぬまま後宮に君臨している」。もちろん、自身の息子を皇帝に据えようと動いているらしい。

 ちなみに魅侶玖みろくの母である正妃は十四年前、魅侶玖が七歳の折、病で亡くなっている。


「そなたの部屋に行ったのは事実じゃろ?」

「迷われたのではと」


 す、と檜扇を下げ、冷めた目を向けられたので再び沙夜は頭を下げた。

 喧嘩は買わないと分かってくれただろうか、とじっとしていると

 

「はぁ」


 空気が動いて、白粉おしろいの香りを感じるや否や

 

「ばちいん!」

  

 沙夜の目の前に、いくつもの星が散る。

 頬が焼けたように熱くなり、自然と手を添えた。


 

「っ……」

「わらわの問いにまともに答えられぬ罰じゃ」


 忌々いまいましげに言った後で、ぱちん! と檜扇を鳴らして閉じる音が、回廊に響き渡る。


 頬を横殴りにされた沙夜は、それから誰かに肩を押されて転ばされた。裾がはだけ、白い脚が露わになった姿を見て、女官たちが侮蔑の失笑を漏らす。

 何が起こった? と目だけで周囲を窺うと、乱れた黒髪の隙間から下卑げびた笑いの侍女長が見え――心を整えるため深く静かに息を吐く。

 

 清宮は威圧するように上から睨みつけながら、無防備に横たわる沙夜の足首をぎりりと踏みつけてきた――痛みで肩が跳ねたのを見て、一層力をこめる。


 殺気を発している護衛たちに、沙夜は倒れた姿勢のまま無言で動くなと訴えていた。

 愚闇は、暴れそうになる玖狼に覆いかぶさり、体ごと押さえている。全員に襲い掛かる勢いで犬歯を見せつけ「グルル、バウアウッ」と吼え続けているからだ。


「そこな隠密。その下品で見苦しいケモノはなんじゃ。飼うのを許した覚えはないぞ。捨てて来やれ」


 言い捨てて去る清宮を、沙夜は無言で見送るしかできない。痛む足を引きずり、這いつくばるようにして座礼する。

 女官たちも次々に捨て台詞を吐きながら、これみよがしに足首、手首、手の甲を踏んでいく。酷い者は、横腹を蹴っていく。


「汚らしい犬だこと」

「下品よの」

「こわや、こわや」


 沙夜は、体の痛みよりも絶望感でいっぱいだった。



 玖狼、捨てろって……もう、一緒にいられないの? なぜまた、私から奪うの?



 ずん、と腹の奥が重くなるのを感じた。

 皆が去った後で、ようやく愚闇と玖狼が駆け寄る。


「夜宮様!」

「きゅーん」

「だ、いじょうぶよ」

「くそ……オイラが居ながら……」


 後宮のあるじに、一介の隠密が逆らえるわけがない。

 

「愚闇、気にしないで。それより玖狼のこと」

「っ、殿下とギー様にご報告致します。捨てさせなどしません。ご安心を」

「……分かったわ」

 


 この出来事は、沙夜の心に深い傷を作った。




 ◇ ◇ ◇




 その夜、魅侶玖は訪れなかった。

 だからか、恐ろしい夢を見た

 


 どこか分からない真っ暗な空間に、赤い大きな門が開いた状態で宙に浮いている。その奥はやはり暗闇だ。そこからじめりとした嫌な空気が、黒紫の煙とともにこちらへ流れてきている。


 門の前で泣き叫ぶ、幼い女の子がいる。

 その手の中には青く輝く玉のようなものを握っている。


「や!」


 いやいやとかぶりを振る幼女に、彼女の母親――顔は影になって見えないが母だと認識している――は

「たのむ。望みを託せるのは、おまえしかいないのだ」

 と諭して頬を撫でる。


 幼女は、絶望を映したかのような瞳で、泣くしかできない。


「すまない」


 母親の腰を抱いて寄り添い、謝る父親。やはり顔は見えない。

 


 それからふたりは門の中へ入り、向こう側から扉をギギギと閉じた。

 黒い空間はまばゆい光に包まれ、何の変哲もない光景に変わる。

 門から流れ出ていた黒紫の煙は一か所に集まったかと思うと、モワモワと固まり何かの形になっていく。


 

 ひたすら泣き叫ぶ幼女を背後から、体ごと包んでくれる存在がある。


「なかないで」


 小さな肩にかかるのは灰色の長い髪だ。

 柔らかな声で頭上のは言う。


「ぼくのかみと、かかのかみであんだをあげる。これがきみをまもるから」


 左手首に白と黒の紐で編まれたものを結ぶと、青い玉が胸の中に吸い込まれるようにして、手の中からすーっと消えた。

 


 苦しい。嫌だ。思い出したくない!

 


 寝ているはずの沙夜は、目を閉じたまま激しくかぶりを振っている。

 


 ――と、また優しい声が耳に流れ込んできた。

 


「わるいゆめは、ぼくが、たべてあげる」



 ハク?




 ◇ ◇ ◇

 



 沙夜は、飛び起きた。

 心臓が、バクバク跳ねている。

 

 隣で丸くなっていたはずの玖狼も同時に飛び起きたようで、心配そうに首を傾げて沙夜を見つめている。

 周囲を見回すと、いつもの自室の布団の上だった。

 障子窓には日光が当たっていて、御帳みちょうと呼ばれる衝立ついたて越しにも眩しい。

 


 静かな朝だ。


 

 一体わたしは、



 動悸がやまず、肩で激しく呼吸をすると

「沙夜、大丈夫か!?」

 愚闇が文字通り飛んできたので――

 

「大丈夫よ」


 かろうじて、そう告げた。 

 

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